ご訪問頂きありがとうございます🙇‍♀️

すっかりBlogの更新が
疎かになってしまっていました😞🙏

FacebookやInstagramでの
ご報告は済ませていましたが
こちらでのご報告が遅くなり
申し訳御座いません🙇‍♀️

去る10月25日 15:15分
母は天国へと旅立って行きました

今年の春の終わり
【胸が苦しい】と病院を受診した時
心臓の冠動脈の石灰化がかなり進んでいて
いつ心筋梗塞が起きてもおかしくない状態
今後は急変も覚悟して下さい
そぅ診断を受けていて

お盆には誤嚥を起こし
1週間の入院
退院後に主治医の往診医Dr.からは
早くてあと1ヶ月
恐らく年は越せないだろぅと
余命宣告を受けておりました

その間も食事はムース食
徐々におトイレは行けなくなり
リハパンから完全オムツに移行
それでも母は頑張ってくれていました

面会時も殆ど会話する事無く
娘達の面会時は一言二言の返答
実の弟妹の面会時は
老いて行く姿を見られたく無いかの様に
頑なに視線を合わせず
唯一町内に住む仲良しの従姉妹だけには
笑顔を見せ一言二言の返答

亡くなる数日前に
可愛い初孫で有る甥の面会時には
やはり視線を逸らしたままでしたが
『ばぁーさんはいつもティッシュに
小遣い包んでくれていたから
次来る時は、オレもティッシュに
包んで来て小遣いあげるから』
その甥の言葉に
母は持っていたハンカチを徐に2度広げ
あたかも
【今直ぐ、コレ(ハンカチ)に置いてくれ】
そぅ冗談めかして返すくらいの意識は
残っていたのに…

亡くなる前日の日曜日の19時過ぎに
サ高住の施設長さんから
【15時過ぎくらいから、
呼び掛けに開眼しなくなり
血圧もかなり下がっていて
酸素濃度も測れなくなって来ましたので
何人でも構いませんので
御家族で施設の方へお越し下さい】
そぅ連絡が入り
母の直ぐ下の弟が同行してくれて
一晩中母の側に寄り添う事が出来ました

翌朝も状態が回復する事なく
徐々に呼吸も浅くなり
私達が側で雑談をしてる中
眠る様に旅立って行きました

母の呼吸が実際に止まったのは
15時ちょうど頃
そこからスタッフさんやDr.に連絡し
死亡確認を受けたのが15:15でした

母が旅立った25日と言う日は
ちょうど2ヶ月前の8月に
母の叔母が亡くなった日

そして
死亡確認された15:15と言う時間は
午前・午後で違えど
姉と私の間に産まれた娘である
次女である姉が
交通事故で死亡確認された時間でした

しかも今年は
父の23回忌に当たる年

母の旅立ちはきっと
運命に導かれたものだったのでしょう

恐らく三途の川の向こうで
叔母が待っていてくれて
一緒に虹🌈の橋を渡り
天国への階段を登り
登り切った先には
姉や父の姿が有る事でしょう

母が旅立つ前の朦朧としてる時
粗い息づかいが
【じぃー…じぃー…】と
まるで父を探し彷徨ってるかの様な
言葉に聞こえた事が
今でも耳に残っています

姉や義兄の協力の元
色々な手続きを順番に済ませ
四十九日に納骨をします

徐々に平常の生活に戻りつつありますが
仕事や家事をしながら聴く
Uruさんの歌声に癒されたり
泣かされたり…
特に【娘より】という楽曲や
【奇蹟】という楽曲は
さすがにダメですね…
母の遺影を見ると泣けてしまいます

そんな訳で
喪中により年末年始の御挨拶は
失礼させて頂きます

介護の話題はここで一旦終了ですが
このBlog・FacebookやInstagramは
これまで通り
緩りと自分なりに更新して行きます

今後もくうた・リン共々
宜しくお願い致します🙇‍♀️