結婚式後、長女出産までもドタバタあったわけですが出産した後も波乱でしたね
自分が産後クライシスに陥っていることも知らず、初めての育児に翻弄され、自分の体調もなかなか回復せず…。何もかも嫌になり投げ出したくなり
“もう、無理、私できない!”
と、数時間プチ家出した事があります。
そして、少し落ち着きを取り戻し、家に帰ってみると……
誰もい・な・い
慌ててダーリンに連絡するも、繋がらず
義母に連絡し、ようやく繋がると…。
“あなたには、子育て無理だから、こっちで育てますから。”
えはなんでそーなるのよ
私は泣き言すらいっちゃいけないの熱が下がらず、産後出血止まらず、授乳、夜泣きで不眠が続き、アトピーの悪化で、子供を抱こうとしても、腕の炎症が酷く伸ばすこともできない…。
それでも、もう、無理って言っちゃいけないの?
“辛いよね、でも一緒に育てていこう。大丈夫だよ。”
ってダーリンに言って欲しかっただけなのに。。。
結局、私が戻ってこないだろうと思ったダーリンが、義母に連絡し、義母が育てるという話にまでなり、ミルクやオムツの用意を始めていた、という状況でした
たった2時間の間に…。
この時、私はその時間に帰れば次の授乳には間に合うと考えていたし、何より母親としての私をダーリンに信じてもらえていなかった、というショックが大きかったな
でも、母性っていう感情は自然に湧き上がるようなものだから、男性に理解しろ、っていうのが無理なのかもしれないけど
そのあと、義母に実家の両親まで呼ばれ、懇々と説教され、私が“ワガママであまちゃんだからこんなことになる”と言われ…。
ここから、どうせ私なんてという卑屈な捉え方をする黒歴史に拍車がかかりました。
その後も妊娠の度に否定的な事を義母からは言われ続け・・・“今回は要らないでしょ”とか、三歳児神話をことごとく主張され、腹立たしい思いはありつつも黙って聞くしか方法が無いと思っていました。
結婚する、嫁ぐとはそういうものだと思いこんでいました。
長女は本当に良く泣く子で、授乳していないと泣く。寝たと思ってベッドに置くと泣く、という状態でした
そんな中で、ほぼ連日義母から電話があり、切るまでに平均2時間。それが終わると午後からダーリンのおばあちゃんがやってきて、介護が必要なおじいちゃんの愚痴をぶちまけて帰る、といった状態で、子供の昼寝に合わせて寝るなんて出来ませんでした
体調悪くても、
“気合いが足りないから”とか、挙句、
“〇〇が(ダーリン)、タバコを吸うようになったのはあなたのせい。家にいた頃にはマックなんて食べなかったのに、今は平気で食べるようになって…。結婚してから変わっちゃったわ”
って…。
でも〜、この人(ダーリン)は、私と出会った時に、すでにタバコも吸っていたし、マックもメッチャ普通に食べていましたけどね
そして、大事件が発生するのです…。
義母の大借金&ダーリンの連帯保証人発覚事件が〜
し、しかも。額が半端ない
私は、流石に頭にきて、義母に
“何で私に話してくれなかったのですか?○○さんは、この家族にとっての大黒柱なので、知らせてもらえないと困ります!”
と伝えると・・・。
“あら、なんであなたに伝える必要があるの?私が失敗するわけないじゃない。”
って、お前は、大門未知子かよ
まーねー怒り狂いましたよ、当然ね、ダーリンにも。
この、マザコンが~どうして、そんな大事なことを黙っていたんだよ!あなたが、まず第一に守るべき家族はこの私達じゃないの??
そしたら、なんて返してきたと思います
もー、びっくりですよ
“え?だってまだ払えとか言われてないし、実際命取られるわけじゃないし、毎月返しさえしていれば、貸しているあの人達の生活も守られるわけだし・・・。”
って。な~んの危機感も無いわけですよ。ま、今から考えれば、超引き寄せの人だってことなんですけどね
まー、当時はこの楽観的が許せませんでしたね。それをきっかけに夫婦仲にも亀裂が大きく入り・・・。
結局、自己破産を考えなくてはならない状態にまで
そこまで至った原因は、この義母の人柄。重要な取引先を怒らせてしまったこと。
その方から送られてきた手紙には、
“あなたは一体何様なんだ。不義理にも程がある”
というような強い口調で三行半を突き付ける内容でした
そこまでされても、一向に自らを省みることをしない義母
常に、“私は悪くない”の一点張りでしたね。。。
そうは言っても、取り立てが厳しくなり、そのまま住み続けることが厳しくなり、
“助けて”とは言わないものの、義母は“困るのよね”と繰り返すようになり・・・。
ダーリンは、助けてとは言われてないから、何もしてやる必要ない。と言っていたけれど、私は動かずに居られなくなり、義母の就職先、住むところを探し、私達のそばで暮らせるよう手配しました。
そして、頻繁に家に出入りするようになった義母でしたが、更に大きな地雷が待っていました。
ある日、義母が、
“そもそもこの借金は○○の進学のためにしたものなのだから、あの子が払って当然なのよ。もっと夜の仕事も増やしてもらって、返済に充てていきましょう”
・・・・・・おい、ちょっと待てババア!あんたに取っては操り人形の息子かもしれないけど、この家族にとっちゃあ、大事な大黒柱で、私にとっちゃあ、大事な夫なんだよ!!!それを、身体のことすら気にせず、借金を返すのが当然だあ??そもそもお前の事業計画が杜撰だったこと、そのイケシャアシャアとした態度が原因でこうなったんだろ~が
もうね、それまで堪りかねていた鬱憤が爆発です
子守をお願いしたら、4か月の子どもをベッドに寝かせたまま一時間以上外出し、その間にベッドから落ちギャン泣きしていたところに私が帰宅し、急いで病院に連れて行ったことや、
こどもに本物の硬貨をおもちゃとして与えていて、急に声がしなくなって焦って確認したら、目を白黒させて、窒息しかけている状態慌てて抱えて吐き出させて無事だったこと。
もー、そういった全ての事がこの大きな地雷を爆発させました。
“お義母さん、もう二度とこの家に出入りしないでください。そして、私達に関わらないでください!!”
ふと我に返ったときには、すでに言い放ってしまっていましたね
でも後悔は全くありませんでした