日本という国、土地は、全体でとても特殊な場を作っており、

 

そこに住む日本人は、それに大きく大きく、影響を受けています。

 

 

実際に、ここに住んで、何代にもわたってその影響を受けている日本人は、

 

それが当たり前になっており、

 

自分たちの特殊さに気づかず、日常を送っています。

 

 

 

 

 

私たちは、アジアの系統の人種です。

 

ですが、他のアジア圏と比べて、特に、お隣の国と比べて。

 

性格や気質が、うんとかけ離れたものとなっています。

 

同じ人種系統、しかも隣の国とは海を隔てているとはいえ、

 

元の系統は同じとこにあります。

 

歴史や文化によって、ある程度の変わりようはありますが、

 

あまりに根本的に、気質が違います。

 

 

 

 

欧米系の人たちは、アジア系の人たちをその見た目で、

 

同じような人種としてみています。

 

私たちもそうでしょう。

 

欧米系の人たちは、ある程度、同じような質としてみており、

 

そこからはみ出ることはありません。

 

 

 

 

ですが、日本人は、自分たちがアジア系であることを、

 

思考では理解していますが、

 

他のアジア系と自分たちは違う、という

 

感覚を持っています。

 

 

まるで別の、日本人は日本人という人種という、

 

一つのカテゴライズとして、単独であるように感じています。

 

思考では、科学的、歴史的な流れは把握できますが、

 

感覚では、アジアの系統と自分たちは、一線を課しています。

 

 

 

 

これは、日本という土地にある、独自のスピリチュアルによって、

 

形成されたものです。

 

それはいわゆる宗教儀式として国が行なっているものであり、

 

だからこそ、思考でなく感覚でそれが入り込んできています。

 

 

 

もし思考で、わたしたち日本人は特別な人種として教育されたなら、

 

必ずそれがおかしいと歴史と科学の面から、いずれNOが突きつけられるでしょう。

 

国としての発展も、歪みを生みます。

 

 

 

 

 

国をあげての宗教儀式は、思考はそのままにありながらも、

 

感覚をこのように、ある意味狂わされます。

 

 

 

 

私たちは思考では「皆と同じ同じアジアの仲間」と理解できているのに、

 

感覚では「全く違う別の人種」を抱えています。

 

 

 

 

これは、ほんの一例であります。

 

宗教儀式は自分たちを特別にするために行なっていることではなく、

 

別の一つの目的のために行なっていますが、

 

その結果の一つが、このような人種格差の思考と感覚の違いになります。

 

 

 

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

これはひとつの例えで書きましたが、

 

それくらい、日本の持つ特殊さというのは、

 

日本人には認識しづらいものとしてあります。

 

 

 

国をあげての、宗教儀式を行っているために、

 

その儀式による影響の感覚を全く自覚できていません。

 

そしてその儀式の効力はとても強力であります。

 

 

 

 

 

思考では、理性や仕組みは理解できているがために、

 

自分がそのようにあれていると思い込んでいます。

 

公平さや倫理観など、持ち合わせてそれを元に、自分を表現していますが、

 

感覚は、別のものを拾っており、それが言動にもあらわれます。

 

 

 

思考が優位な人は、感覚を抑えて矛盾なくあることはできますが、

 

感覚が優位な人は、その感覚の言語化がむずかしく、自覚できないまま、

 

思考のままに表現できない自分に戸惑います。

 

 

 

海外の人は、わたしたちよりもっと、物事をはっきりと言います。

 

これは思考と感情が直通できているからであり、

 

感覚が思考と感情を邪魔しないからであります。

 

 

 

日本人は、思考と感覚のズレや乱れを埋めるために、

 

多くの曖昧さをあらわす言葉を作ってきました。

 

表記でも、ひらがな、カタカナ、漢字で多くの揺らぎをつくり、

 

その隙間を埋めようとします。

 

 

 

 

そして海外の人も、日本という土地に住んでいると、

 

そのうち儀式による感覚の狂いが起こります。

 

ですがそれは、住みはじめの文化の違いや人種の違いによる、

 

幾つものエラーにかき消され、自覚できることはありません。

 

 

やがて日本の全てに慣れ始めると、

 

日本人と同じように、思考は理路整然とできているのに、

 

感覚による言動の振り幅に、馴染んでしまいます。

 

 

 

 

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

 

国を挙げての宗教儀式は、

 

日本という国に住むもの全てに、大きなまじないをかけています。

 

私たちはその異常さ、特別さをただの国民性として認識しており、

 

当たり前のようにその日常に生きています。

 

 

 

上記に書き記したように、

 

ここに住んでいるなら、それが当たり前すぎてわからないし、

 

海外から来た人も、文化や国の違いとして受け入れるため、

 

儀式、スピリチュアルな結果として認識することはできません。

 

 

 

 

今、国をあげて宗教儀式をし、

 

それが効果的に人間に影響をあたえている国は、あるでしょうか?

 

日本人ですら、馴染みすぎてその効果があるかどうかもわからず、

 

そんな魔術的なもので国を作るのは、過去のよくある物語のなかでしかなく、

 

この科学が発展した世界では、形骸的に行われているだけだと思っています。

 

 

 

でもそれが、その儀式の魔術が、

 

今の私たちにかかっているならば、どうでしょう?

 

 

 

では、日本が行なっている宗教儀式はどういうものなのか。

 

それを説明していきましょう。

 

 

 

 

 

mie.

 

 

 

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