5は素数なんだって。
1と自分でしか割り切れない。
この場合の5は5になった彼らのことです。
素数でもそうでなくても関ジャニ∞が好きだよ、と思ったしすぐに7だって素数だよね?ってなった。
あげ足ばかり取ってゴメンね笑
そう考えると6は割り切れる数字だ。割り切れる、なんて潔いんだ、と。
それはそのまま、6にいた亮ちゃんそのものだな、とも感じる。
何も言わずに離れた亮ちゃんのことをよく思わない人もいるようだけど、わたしにしたらそれはそのまま5人の関ジャニ∞にだって言えると思った。発表された当時、ね。言わない、というか言えないのかな、とも考えたけど、言わなかったんだろうな。亮ちゃんのためじゃなくて、と感じるからそこがどうしてもまだ怒ってるとこなんだけどね。
とにかく5人の関ジャニ∞に直接会ってないからまだ何も分からないんだよね。言葉を尽くしてくれてるけど、体感する気持ちで君たちはこれまでも伝えて来てくれたから、それを感じられないわたしは割り切れていないんだ。
素数だよ、ほんとにね。
自分でしか割り切れないんだろうし、他が介入できないんだろう。
そしてそれは、いいとか悪いとかではなく、仕方のないことなんだろうな、と。
どちらが好きとかではなくそういうものだから仕方ない。
言うてもまだ2年しか経ってないんだ。2なら割り切れるかもしれないけど、23ヶ月なら割り切れないよ。素数きた。そんな風に毎月、毎日、毎時間行ったり来たりしてる。
好きかどうかのはなしなら、7がいいよ。でもそれは言えないでしょう?だから同じように、君たちにも我々に言えないことがあるんだと知る。きっとそうだ、と考えるしかなくなる。割り切れるようで割り切れない。
割り切れて潔いのは亮ちゃんみたいだ、ほんと。亮ちゃんを内包していた5=6、とすると、同じことが8にも7にも言えるんだろう。わたしは8のことは体感していないから想像なんだけど。
関ジャニらしさ、ってわたしにとっては何があっても笑っていられること、だと思ってて、思い出す彼らの表情はいつだって笑ってる。笑ってるメンバーを思い返すとそれは5の素数なんだよね。関ジャニ∞がカッコイイのはすばるくんや亮ちゃんがいる関ジャニ∞のことだとずっと感じてたけど、それを内包していた5人もやっぱりカッコイイんだよね。
カッコイイの内訳=(泥臭い)(優しい)(面白い)(強い)(弱い)(誠実)(才能)(努力)(整ったお顔)
基本的にカッコイイ彼らだけど、まぁカッコ悪い時もあって、それは割り切れないのと同じかな、と。割り切れたり割り切れなかったり、夢は叶ったり叶わなかったり、する。そういうもんなんだ。
割り切れたりするところをカッコイイと思えたり、割り切れないときにものすごく好きだと感じたり。
そういうもんなんだよ。
割り切れなくて悲しいけど、悲しさの内訳はただ寂しいだけだから。8でも7でも6でも関係ない、それは本当にそう。でも8や7や6にあった体温や空気がどうしても5にはないじゃない?どうしたって足りなくなってしまったからね、物理的に、ね?だから悲しいのも割り切れないのも仕方ない。仕方ないんだ。悲しさの内訳が寂しさだと肌で感じられることが大事なんだと思う。
割り切れない素数のはなし。割り切れないのは悲しいのか?きっと寂しいんだ、他人が介入しない孤独な存在だから。
それでも、この感情を持ち合わせてるおなじ素数がたくさんあることも知ってるし、なんなら多分、5の素数もそうじゃないかな?と。
だから早く、寂しいね、というはなしがしたい。
ものすごく楽しかったけど、今は少し寂しいね、って。
その頃にはお酒のCMが来てますように。