しばらくお休みします。

もうかれこれ15年以上続けているバイト、そろそろ「物理的」に続けるのがムリになってきた。いつ辞めるか、今度の正月はもう、ムリだろうと思いつつ、先日、支店に行ったのだが。。

 

「あなたの事情はよくわかるわ」という応対をされると、どうにも辞めると言い出し難く、ただでさえ引きこもりがちなのにこのバイトを辞めたらどうなるの、という気持ちもあり、この2,3か月悩み続けている。

 

妻、母、娘、ヨメ、であるから、自分の思うようには生きていけない。

「自由」なんていつ得ることができるんだろう。

「卒母」。

自分ではとっくに「卒母」のつもり。

 

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ひとりでくらしている実母、義母とも「ひとり」を十分、堪能しているように見える。

まあ、両方の夫とも、いかにも昭和な夫だったので今のほうがのびのびできるのだろうから。性格的に合わせるのは大変だったろうけれど、両方とも十分な遺族年金をもらい金銭的には豊かなんじゃないかな。

 

Kは温和な夫だろうとは思う。

それでも時々、24時間、一人がいいなあと思うことがある。

私は自分の意見を声高に言わないし、ほかの人に同意を求めることもしない。

ニュースを聞いてあれこれ言いたくもない。言いたくなればそれこそ、ブログでつづればいいだけだし。

(だからKに「言いたいことがあればブログに書けば。60歳のカテにもじーさんはちらほらいるよ」と一応、言っておいた)

 

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Kにも「卒父」を願う。

あんまりあれこれ口出しするから辟易されてるんじゃないかしらね。

 

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新年度は10日までびっしり忙しかった。

 

9日は義父の13回忌だった。

義母が興奮して大変だった。1昨年の義祖母の25回忌はのんびりしていたのに、今回は一か月前からあれやこれやと。

まあ、今回は親戚が来るからで虚栄心が人一倍強い義母は、カーテン変えから始まって、、いろいろ張り切っていた。

(その後にまた、呼吸困難になって救急搬送とかにならないことを祈る)

年寄りが張り切っても自分の思うようにはもはや身体は動かないからそのしわ寄せはKと私に降りかかってくる。

なんだか、いろいろ不満なようで、ぶつぶつ言っていたが冷たい私は無反応だから義母はそれも面白くないようだった。

(結婚したころの私は今から思えばほんとに「うぶ」だったなあと思う。人間、60年も生きてきたらそれ相応にすれっからしにもなるってもんさ)

 

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昨年の秋のKの従姉妹の葬儀、暮れの実父の7回忌、年明けて伯母の葬儀、49日、そして今回の13回忌。

もう、お腹いっぱいです。

 

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実家母訪問も相変わらず、2週間に一度、行ってます。

なので別宅が大活躍。助かってます。今回も3泊しました。

別宅でKと二人で庭の草取りを黙々とするだけでこころが癒されます。

だからどうして義母があんなに不満だらけなのかわかりません。庭のボタンのつぼみがついているとか、菫が咲いているとか、雀がきたとかだけでもこころが和むのに。

 

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お坊さんのお経を読む声が素晴らしく、まるで「アカペラ」のようなお経でいいなあと思ってるのに、義母が台無しにするのです。

「ほら、ええこと言うてるやろ」と何度もいうのです。うるさいです。

黙っててほしいです。

(こんなに元気ならトイレ掃除、してくださいね)

 

先日、1年半ぶりくらいに久々に学校時代の友人と「お茶」の時間をもてた。

 

5年ぐらい前に年老いた義両親と同居するためにご主人の実家に帰ってきたのだが、そこが私の町の隣町だったという縁になんとも不思議な感じがしたしとてもうれしかった。

 

私より高齢出産だったので息子さんはまだ一回生。(これも偶然、うちの愚息の出た大学と同じ大学、学部)

 

ひさびさに会えたのは息子さんが春休みで帰省して留守番してくれるから、ということで相当、義両親との同居は大変な様子。2時間ほどしか「自由な時間」がない、とのことでお互い近況報告のみであっというまに2時間たってしまった。

 

彼女と私が「自由」になったら学生時代のときのように一緒にどこか旅に行きたいと思う。

そのときまで、どうか自分の身体を労わってほしいと心から思う。

この週末、金曜日から別宅に行っていた。今月は別宅に5泊はしていると思う。

 

義母の退院後の介護の訪問回数の変更の相談やKの親戚の法事があって3日は必要なので2泊することに。

 

実母のところにも当然、顔をだしてすること(入浴、洗髪の強制というか勧誘というか)をし、お茶をして食事を一緒にして笑ってもらうようにする。

 

土曜の午後3時から自由な時間がKと私にできたので隣のH市に行き美味しい喫茶店に行く予定だったが、なんと5時に終了で、珈琲は飲めなかった。デパ地下で総菜とパンを買って帰る。

「ブラタモリ」を見ながら(神戸特集だった)あれこれ言いながらKと食べる。階段教室から神戸の青い海に浮かぶ船を見た日々があったのだなあとしみじみ。あのころも物価は高かったと思う。確かミックスジュースが500円したような。授業料がすごくお安い学校だったけれど周りは高級住宅地だったよ。

 

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だんだん別宅に居る時間が増えていく。こうして半月はいるようになり、完全移住となるのだろうか。

 

今日はマンションのなんとか点検の日。
集合住宅は草取りとかゴミ当番とかなくて快適だけど、この年に何回かある○○点検が厄介だ。
ぐうたら暮らしてるからで普段からこまめにしている主婦はなんてことないんだろうなあとは思う。
 
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義母が入院、実母もこんな有様なので喪服のチェック、というかそろそろ「準備」しとかないと、とフォーマルを着てみ、ようとしてファスナーが閉まらない。。
(今日から腹筋を鍛えよう。お腹をとにかく凹ませないと)
 
義母の地方は喪主に近い親族は通夜は「グレーの着物」、葬式は紋の入った喪服がなんとなくの決まり。義父の葬式はちゃんとそれで行った。(そのころは実母がしっかりしていたので着付けも用意もお願いできた)。実父のときは通夜はブラックフォーマル、葬式は着物で姉と並んだ。
 
うーん。
このごろは家族葬も増えてきたのでどうするんだろう。
でも義母も実母もたぶん、○○会館で隣保の人も参列という従来の葬式になりそう。
ただ、着物は私はもう、着たくない。
 
そうすると、フォーマルのそこそこのものを買う必要がある。
デパートの催事チェックだわ。
最近、シニアブログ部門を時間のある時に徘徊している。
 
人間、トシをとるとこうも「差」が」でてくるのかと驚き。
毎日、元気に仕事の話が出てくる人から60そこそこなのに「もうバアさんです」と嘆く人までいる。
 
やはり、孫ができて「おばあちゃん」とか言われるとそんな気分になってしまうのか。
 
それよりもこわいのが、「昔」ばかり振り返る中途半端に時間のある人たち。
若いころの写真をだしてきて
「ほら、こんなにキレイだったの、わたし」とか。
(自分、好き好き大好きタイプは確かにブログはいいツールだよなあと思うよ。)