The Greens 緑の党とは何か?長谷川ういこさんのプレゼンです。 The Greens―緑の党とは何か? プレゼンテーション台本   ※スライドには、アニメーションが入っているものがあります。

◆は、スライド中にアニメーションを動かすタイミングを示しています。
(クリックでアニメーションが動きます)

  1. みなさん、こんにちは。緑の党の共同代表、長谷川羽衣子です。今日は私が、なぜこの緑の党に希望を見出し、立ち上がったのか。緑の党とは何なのか。世界の緑の党が成し遂げたこと、歩んできた道のりを紹介しながら、お話しを、させていただきます。どうか宜しくお願い致します。

  2. それは忘れもしない、2011年3月11日のことでした。

  3. あの福島第一原発の爆発に、私は大きな衝撃を受けました。原発が危険だと知っていたにも関わらず、どうして自分は何も発言してこなかったのか、行動を起こしてこなかったのか・・・。しかし、さらにショックだったのは、原発事故によってあれだけの広大な土地を汚染し、多くの人々の生活を破壊しながら、政府も、官僚も、電力会社も、原発メーカーも、誰もが、「想定外!」という言葉で責任逃れを決めこみ、マスメディアも充分な追及をしなかったことです。日本はこのままでよいのか、なぜ政府はマトモな対策を取らないのか、マスコミはなぜ事実を報じないのか。何かしなければ!、という思いに突き動かされ、

  4. 私は、自らNGOを立ち上げ、デモを組織しました。

  5. そして、福島事故のあと初めて、20万人以上の声を押し切って強行されようとしていた、福井県、大飯原発の再稼働を阻止すべく、

  6. 原発現地の封鎖アクションに参加しました。再稼働を何としてでも防ぎたい一心で、私は大飯原発前で生まれて初めて、座り込みを行い

 7. 生まれて初めて、「強制排除」というものを経験しました。私は、福島原発事故をきっかけに立ち上がってはじめて、私たちが置かれている社会の異常な現状を、再認識させられました。

  8.私たちの声が届かない政府

  9. 真実を伝えないマスコミ

10. 土地や海を汚染し、人の生命を脅かしながら、何度事故が起こってもかまわないとばかりに、原発の再稼働を求める産業界。この現状を変えるためには、政治を変えるしかない、私はそう痛感しました。 そんなとき、私は一人の政治家に出会いました。そしてそれが、私の人生を大きく変えたのです。その政治家こそ、

11. ドイツ緑の党のベアベル・ヘーン議員でした。彼女は、2人の男の子を育てるお母さんでした。しかし、チェルノブイリ事故をきっかけに、子どもたちを守るために立ち上がり、市民運動をはじめました。そして、政治を変える必要を感じ、自治体議員から州の環境大臣、そして緑の党の副党首の地位にまで上り詰めたのです。ヘーン議員はこう言いました。「私は、自分がデモで掲げていた政策を、全て実現してきた」と。その言葉に、私は大きな感動を覚えました。彼女こそ、私を緑の党へ導いたひとであり、私のロールモデルなのです。

12. 緑の党とは何か?みなさん、そのように聞かれたら、何と答えますか? 私が答えるならば、緑の党、それは、

13. 世界を変える力です。では、緑の党は、どのように世界を変えて来たのでしょうか?

14. そのひとつめは、エネルギーです。福島の事故のあと、ドイツでは、

15. あのメルケル首相が、脱原発を実現した・・・、かのように報じられています。

16. しかし、実のところメルケル首相は、福島事故が起こる前までは、原発推進論者でした。福 島事故のほんの五か月前に、原発の寿命を10年以上延ばす法律を成立させた人物です。

17. ドイツでは1986年にチェルノブイリ事故が起こるまで、全ての政党が原発推進でした。そう、緑の党を除いては。

18. ドイツでは、原発に反対するデモに対して、警察の放水車ほうすいしゃから容赦ない攻撃が行われ、ヘリコプターから毒ガスが撒かれ、

19. 戦車まで動員されていた時代です。そんな中、緑の党だけが、当初から、反原発を貫いてきたのです。 ドイツの政治に詳しい、ジャーナリストの熊谷徹さんは、こう言っておられます。

20. ドイツに緑の党がなければ脱原発は実現しなかっただろう、と。それだけではありません。ドイツ緑の党は、

21. 世界を変える、エネルギーシフトの流れを確かなものにしました。

22. 振り返れば、第一次産業革命は石炭、

23. 第二次産業革命は、石油をエネルギーとし、人類に発展をもたらした一方で、環境を大きく破壊して来ました。では、第三次産業革命のエネルギー源は、いったいなんでしょうか?

24. 原子力?いいえ、原子力は過去のエネルギーです。第三次産業革命のエネルギー源、それは、

25. 再生可能エネルギーです。再生可能エネルギーは、これまでのエネルギーとは異なり、環境を破壊せず、持続可能な方向へと世界を導くものなのです。 さて、緑の党が変えてきたもの、その2つ目は…  

26. ジェンダーです。…残念ながら、

27. これが日本の政治の現状です。日本は先進国の中で、最も女性の国会議員が少ない国のひとつです。

28. もっとも、1980年代までは、どの国でも、政治やビジネスの場に女性の姿はほとんどありませんでした。特に政治は、男性が支配する場だったのです。

29. しかし、ドイツ緑の党はこの常識を打ち破りました。1986年にクオーター制を導入し、党の役員も、候補者も、あらゆる場面で「女性が半数以上」という、それまで考えられなかった、ジェンダーの在り方を実践してきたのです。これはドイツ社会に、

30. 劇的な変化が起をもたらしました。当初、緑の党のクオーター制を冷ややかな目で見ていた保守党ですら、90年代後半には、緑の党にならってクオーター制を取り入れました。今では、ドイツの国会議員に占める、女性の比率は30%を超えています。また、フランスでは…

31. 緑の党がはじめて政権に参加したジョスパン内閣で、政党の候補者の男女比を、半々にすることを義務づける、「パリテ法」が成立。当初は地方自治体の女性議員の割合はわずか22%でした。しかし、2001年の統一地方選挙では、その割合が一挙に47.5%に増えました。

32. そして、国政でも女性議員の数は約2倍になりました。  

33. 現在のオランド政権には、緑の党も入閣していましたが、この政権では、閣僚の半数が女性です。緑の党は、フランスのジェンダー政策に、着実に影響を与えています。 さて皆さん、緑の党が変えてきたもの、その3つ目は…

34. 民主主義です。自由で平等な政治への参加は、民主主義の根幹です・・・。選挙が実施されるようになった当初、参政権は身分や財産によって制限されていました。また、20世紀初頭、ほとんどの国では女性の参政権が認められていませんでした。

35. ノーベル平和賞を受賞した、ワンガリ・マータイさんは、ケニア緑の党の創設者でもあります。独裁政権下にあったケニアにおいて、彼女は公然と政権を批判し、民主化を求めたことによって、何度も何度も、逮捕と投獄を経験しました。マータイさんのように、民主主義を実現するために、世界中で、多くの人たちが身の危険を冒して、闘って来ました。そしてそれは、今も続いています。

36. 2012年10月、私は韓国緑の党の「再」結成式に、日本の緑の党を代表して参加しました。どうして「再」結成だったのでしょうか?韓国緑の党は福島原発事故をきっかけに、私たちより少し早く、2012年3月に結成されました。そして、その年の4月の国政選挙に候補者を立てましたが、残念ながら議席を得ることはできませんでした。その結果、韓国緑の党は解散させられました。 何と、韓国では当選者を出せず、かつ得票率2%未満の場合、政党は登録を抹消され、さらに同じ名前を使うことが許されないという、信じられないような規定があるのです。

37. しかし、彼らは諦めませんでした。再び立ち上がり、党を再結成したのです。その名は…

38. 「◆緑の党◆プラス」。そして、彼らは、再び「緑の党」と名乗るため、行政訴訟を起こしたのです。

39. そして2014年1月、ついに判決が下りました。

40. 憲法裁判所が全員一致で、あの規定に違憲判決を下したのです!

41. こうして韓国緑の党は、再結成式で誓った通り、緑の党という名前を取戻したのです。これは民主主義の、大きな前進です。緑の党がもたらした、大きな変化です。

42. 日本では、300万円、600万円という世界で最も高い供託金によって、私たちのような新しい政党が国政に参加するには大きな壁があります。韓国や台湾も、日本と同じように、高額の供託金に苦しんでいます。これは事実上の制限選挙です。しかし、韓国緑の党が民主主義を一歩前進させたように、きっと私たちもこの障害を取り除いていけると、私は確信しています。

43. 話をすすめましょう。平和。これは緑の党の6つの理念のひとつです。

44. しかし、現在の安倍政権は、武器輸出三原則の緩和、秘密保護法、集団的自衛権の行使など、平和とは真逆の方向に進んでいます。そして、周辺諸国との間に、緊張をもたらすような行動をくり返しています。日本が抱える、周辺諸国との大きな問題、それは、領土問題です。緑の党なら、領土問題にどんな答えを出すでしょう?  

45. 韓国緑の党の再結成式では、◆日本◆台湾◆韓国の緑の党が揃い、◆尖閣諸島や竹島(独島)に存在する、領土問題について話し合いました。そして、私たちの意見は一致しました。「島は、本来、海に属するものであり、国に属するものではない。所有するために争うのではなく、その環境を共同で保全するべきだ」と。  

46. もし、日本・台湾・韓国で緑の党が多くのひとの支持を受け、政権を担うようになれば、領土を争うことはなくなるのです。これは、夢物語に聞こえるでしょうか?

47. しかし、約30年前、ドイツ緑の党が女性を半数とするクオーター制を実践したとき、多くの人が「そんなことは不可能だ」とあざ笑い、彼らをこう呼びました。「◆夢見がちな党」、と。でも、その後のドイツ緑の党のれきしについては、みなさん、もう、ご存じですね。

48. 彼らは夢物語を実現したのです。緑の党は、世界90ヵ国に存在し、同じ理念を共有しています。  

49. 私たち日本の緑の党の結成総会には、韓国、オーストラリア、ドイツ、インド、台湾から緑の党の仲間が駆けつけてくれました。世界に仲間がいる。こんなに心強いことはありません。  

50. 世界中の緑の党が自分たちの国を変えれば、やがては世界を変えることができる。緑の党は夢物語を現実にする政党です。熱い心と冷静な頭脳を持った、世界を変える力なのです。…では、私たちの先輩にあたる緑の党は、どのような道のりを経て、現在に至ったのでしょうか?その道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

  51. 例えばフランス。フランスは強力な中央集権国家であり、選挙制度は日本と同じように、小選挙区制を中心としています。  

52. フランス緑の党の代表であるパスカル・デュランさんが、2012年に来日された際、私たちは、詳しくお話を伺うことが出来ました。

  53. フランス緑の党は1982年に結成、97年には社会党と連立を組み、左派の一派として政権にも参加したことも、ありました。しかし、その後の緑の党は、かたくなに独自路線を貫こうとして失敗し、2007年の総選挙、2008年の地方選挙共に不振に終わります。そして、2009年の欧州議会選挙では、

  54. かたくなに独自路線に固執する緑の党とは全く別に、幅広い社会運動が連合して、ヨーロッパ・エコロジー(Europe Écologie)という勢力がつくられました。そして彼らは、左派から保守層まで、幅広い支持を集めました。結局、緑の党は独自路線を断念し、このヨーロッパ・エコロジーという枠組みに合流して選挙に臨みました。その結果は、どうだったでしょうか。  

55. 何と、緑の党は、それまで9%が最高だった得票率を16%にまでのばし、14議席を得て、なんと社会党と肩を並べるまでに躍進したのです。  

56. その後、フランス緑の党はヨーロッパ・エコロジーと合併。正式名称、ヨーロッパ・エコロジー=緑の党となりました。  

57. 国内では、2012年に成立したオランド内閣に、緑の党から2名が入閣し、原発の縮小に貢献しました。

  58. そしてドイツ。  

59. 東西ドイツの統一前の1980年、西ドイツで緑の党が結成されました。そして83年には、早くも国政に進出しました。  

60. 実はこの結成当初、ドイツ緑の党には、ある職業の人たちが参加していました。どんな人々だと思われますか?  

61. 答えは、国会議員です。ドイツ緑の党は市民がつくった政党と言われています。もちろん、大部分は市民でしたが、結成に尽力したひとりが元保守党の国会議員だったことはあまり知られていません。国会議員が参加していたことで、ドイツ緑の党が注目を集めました。素人の集まりに過ぎないとして、軽くみられることはなかったのです。  

62. このように、ドイツ緑の党は結成当初、左派から保守まで幅広い勢力が集まっていました。しかし、まもなく保守派が離脱し、社会主義者・共産主義者中心の政党となって行きます。その結果、この緑の党の政治方針は…  

63. まさに全てに反対でした。  

64. まず環境破壊に反対、これは当然です。  

65. 反核・反原発、これも当然ですね。しかし、  

66. 経済成長反対、

67. そして資本主義にも市場経済にも反対、  

68. 他党とは絶対に協力しない!この頑なな政治姿勢のため、緑の党は、人々からこう評価されました。  

69. 「彼らの問いは正しいが、答えは間違っている」緑の党は、現実的な解決策を提示できない政党だと見なされていたのです。80年代はそれでも支持を集めることができました。なぜなら、西ドイツでは共産党が禁止されており、「反対」政党がなかったからです。しかし、何事にも「NO」しか言えない政党が、いつまでも支持を得られるわけはありません。  

70. ドイツ統一後の1990年、はじめての国政選挙で、西ドイツ地域で敗北、全ての議席を失いました。  

71. 他方、東ドイツ地域では、「同盟90」という勢力が、議席の獲得に成功したのです。この同盟90とは、いったいなんでしょうか?彼らは、ドイツ統一前の冷戦時代から、東ドイツの民主化を求めて、共産主義の政権に対抗してきた、現実主義的な市民運動勢力でした。ドイツ緑の党は、1993年、この同盟90と合併することによって、再び発展の軌道に乗ります。  

72. だから現在のドイツ緑の党の正式名称は、同盟90/緑の党、なのです。これ以後、ドイツ緑の党はNOだけの政党ではなくなります。

73. 自らを現実主義的な方向へと改革することによって、YESといえる...ものを打ち出したのです。

74. まず、原発にNOだけではなく、再生可能エネルギーにYES。そして、

75. 資本主義経済の否定ではなく、市場経済を肯定し、環境経済学を取り入れ、「エコロジー的社会的市場経済」を打ち出します。    

76.そして、他の党との協力にもYESに転じます。98年、ついに社民党との連立を決断し、政権与党となるのです。

77. この時、緑の党から何人もの閣僚が選ばれ、環境と経済の分野で、3つの大きな改革を成し遂げます。

78. ひとつは脱原発

79. もうひとつは再生可能エネルギーの推進。

80. そして、環境税制改革。これは増税ではなく、エネルギー税によって、労働コストにかかる税を引き下げる政策です。

81. この環境税制改革によって、ドイツではエネルギー消費を抑えながら、25万人の雇用を増やすことに、成功してきました。緑の党は、ドイツの社会を大きく変えることに成功しました。そして、その成功は、世界中に大きな希望を与えました。ドイツやフランスの緑の党が社会を変えることができた理由、それは…

82. 変化を恐れなかったことです。自分たちの狭い殻に閉じこもるのではなく、殻を破り、同じ理念を持つ人々と協力し、連携し、そして合併を決断して来た。国を、社会を、そして世界を変えるために、理念は変えず、しかし組織自体は変えることを決断して来たのです。もう一度、緑の党とは何でしょうか?

83. 右でも左でもなく、前に進み続けるものなのです。ドイツやフランスの緑の党ですら、今も試行錯誤を繰り返しながら、より民主主義的な組織の在り方、そして理念を実現できる政策の在り方を模索し続けています。私たち日本の緑の党も、これから様々なことに直面するでしょう。しかし、変化を恐れず、世界を変える一歩を歩み出しましょう。世界を変えるのは、他の誰でもない、

84. 私たちなのです。ありがとうございました。