緑の牧場キリスト教会 相模原市中央区


アブラハムの子孫ダビデの子孫イエス・キリストの系図。


ダビデが神様を第一に歩んだので神の祝福をいただき、

その血統をつなげたことから、

やがて約束されたメシヤ、イエス様の誕生が実現されます。


ダビデの息子ソロモンにはレハベアムという王子がいました。

彼は神を第一とせず、酷い専制君主政治を行なったため反発され、

ソロモンのしもべの息子ヤロブアムを中心に建国され、北と南に分裂します。


北王国はダビデの血統ではなく、南ユダ王国がその血統をつなげます。

バビロン帝国に滅ぼされるBC586年まで300年の間21人の王様が治めます。



① アサ王はBC913、41年間治め、

(歴代誌下14:~16:)「主が良いと見られること、御目にかなうこと」

を行い平穏な時代が続きます。しかし、油断によって失敗します。



②アサの息子ヨシャパテが代わって王となり(歴代誌下17:~20:)

神を第一として25年間在位し、歩みます。

主がヨシャパテと共におられ、主は彼の王国を確立され、

並はずれて強大にされます。


晩年モアブ人とアモン人が攻めてきた時、

この大軍に当たる力は無いとひたすら主に助けを求めました。


主は「この戦いはあなたがたの戦いではなく、

神の戦いであるからしっかり立って動かずにいよ。」

と答えを下さいます。ヨシャパテは神の約束を信じて賛美を捧げました。


私たちにとっても大切なことは、困難な時、力尽きる時、

自分の力の不足に落胆するのでなく、

解決する力は私にはありませんと、祈り、助けを求めましょう。

なすべき事は主を信頼し、賛美するに尽きます。



③13代ヒゼキヤ王は(歴代誌下29:~32:)先代アハズ王が神殿を汚し、

その奉仕を廃止したことを懺悔し、偶像に関するすべての汚れを除き去り、

王としてやるべき事を置いても、

先ず「子たちよ。今は、手をこまねいていてはなりません。」

と、神を第一にしました。



④ヨシヤ王(歴代誌下34:~35:)ヨシヤはイスラエル人の全地から、

忌きらうべきものを除き去り、

イスラエルにいるすべての者を、その神、主に仕えさせた。

彼の生きている間、彼らはその父祖の神、主に従う道からはずれなかった。


4人の王様は、出合った出来事や時代は違いますが、神を第一にした王たちでした。

しかし、彼らの最後はみな失敗でした。

弱点も欠点もありで、神第一を全うできませんでした。


それは、失敗したとしても、誰でもが歩むことができるようにと、

救いの道を開いて下さるメシヤ、真の王、

救い主がやがて来られることを指し示したのです。



人の歴史はノアの時代も今も、悪が蔓延っています。

「彼らのすべての手のわざで、わたしの怒りを引き起こすようにした。

わたしの憤りはこの場所に注がれ、消えることがない。」(34:25)

神の怒りのすべては十字架に注がれました。

主は、私たちの弱さ総てその身に引き受けて十字架にかかられました。



十字架から目を離さずにいましょう。神の、怒りと愛がそこになされています。


石出 佳代子


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(1)エリシャは、

エリヤの継承者として50年以上北イスラエル王国で預言者として働きました。

エリシャは、「バアルにひざをかがめず、口づけしなかった7000人」

の中の一人でした。


エリヤより霊的力の継承として二倍のものを受け、多くの預言や奇跡をもって、

イスラエルを偶像礼拝から主に立ち返らせ、

王国と民を救うために目覚しい働きをしました。


しかし、民たちはエリシャのことばを拒み、神なき生活をし、

神から遣わされた人を受け入れませんでした。


イエス様が来られた時の様に、

「この方はご自分のくにに来られたのに、

ご自分の民は受け入れなかった。」(ヨハネ1:11)

しかしそのような中で、

王や国民から多くの尊敬を受けていたシリヤの将軍ナアマンは信じました。


彼には重い皮膚病という苦しみが立派な軍服の下に存在していました。

どんな治療を試みても直りません。

ある日、若い女奴隷によってエリシャに導かれます。


藁をも掴む思いでエリシャを訪ねましたが、

その指示に怒ります。「ヨルダン川に行って7度身を洗いなさい」だったからです。

しかし僕に執成され従います。

多くの人が受け入れない中で、

異邦人でありながらエリシャのことばを受け入れました。


そのとき、神の驚くべき救いに与かったのです。

救いを得るためには恥も外聞も捨て、勲章も、地位も位も捨て、

本当に謙虚になり裸になって身を川に沈めます。


「ヨルダン川に七度身を浸した。すると彼のからだは元通りになって、

幼子のからだのようになり、きよくなった。」


イエス様はルカ4:27で、心砕かれて悔い改めたのはナアマンだけでした。

と言っておられます。私たちも悔いて従うことが大切です。



(2)イエス様の宣教は40日間の悪魔の試みの後、

御霊に満ちて目覚しい働きをされました。(ルカ4:1~)

しかし、故郷では歓迎されませんでした。


ナザレの会堂の礼拝で読まれたイザヤ61:はご自分のことで、

きょうここに旧約が成就したと語られたからです。


エリヤとエリシャの話を通して、神は異邦人にも恵の業をなしておられること。

ご自分の使命は、選民だけではなく、全人類に及ぶもの。

救いはイスラエルのためだけでなく全人類に与えられていることを言われました。


これを聞き、

会堂の人々は怒りイエス様を町の外へ追い出し崖の淵でつき落とそうとしました。

旧約時代と同じ様に、どんなに奇跡を起しても人々は信じるわけではなく、

それどころかイエス様を拒絶しました。


しかしナアマンのように信じる人もいました。

信じた人々は信じるだけでなく、信仰を働かせ多くの祝福を得ました。


イエス様のみ衣に触れ病を癒された女性。


私たちも問題にぶつかった時、

信仰と切り離したところで結論を出すことがないでしょうか。


水をも酒に変えて下さる主。



私たちのただ中におられる主にしっかり求めていきましょう。



石出 佳代子


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Ⅰ.緒論


1.人の本性は最も苦しい時に現われる。

イエス・キリストの場合は十字架。


2.十字架上の7つのことば。

特に4番目の言葉を中心にイエス・キリスト御自身の信仰が現われている。


3.聖書は、逆説的真理である。



Ⅱ.本論


1. 十字架の奥義

(1) 見捨てられた御子イエスが見捨てられたからこそ、私達は救われた。


(2) つまずきの石イエス・キリストはつまずきの石である。

つまずくからこそ、十字架が分かる。


(3) 十字架の奥義の開示苦悩の時、神に嘆くと、

自分の個々の苦悩と十字架がつながりがある事が分かってくる。


決して周りの環境に変化の無い、現実の生活を生き抜いていくことが出来る。

あなたに十字架の奥義が開かれ、示される。

私達クリスチャンは、十字架の奥義に深く根を下ろしたお互いでありたい!


2. 十字架の宣教者

(1) 弱さの宣教者神にしかすがる事が出来ない、神に嘆くあなたを見て、

キリストを見出す。


あなたの弱さの内にあなたの真実の姿がある。

その生き方が宣教者の証しである。


(2) 追い続け、待ち続ける父の思い十字架の奥義が開示された、

十字架の宣教者は、一人の魂を追い続け、待ち続ける思いを託される。

あの放蕩息子を待ち続けた父のように。



詩編22:1「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」

をどうぞそのような意味で受け取られます様に!



Ⅲ.結論  


信仰は見捨てられ、つまづくと分かってくる。


十字架の奥義を開示された、十字架の宣教者たれ!



鈴木 康雄




7月31日~8月2日

蓼科にて夏の退修会を行いました。



小雨交じりの涼しい3日間


すがすがしい高原にて

神様に愛される喜びを実感できた

素晴らしい旅となりました。






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バラクラにてアカペラコンサートを楽しみました。


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山荘にて


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来年はご一緒にいかがですか?

どなたもお気楽にご参加いただけます。













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1、エリヤは、

「ここ、2,3年の間は露も雨も降らないだろう」と言う神様の言葉を宣告した。


預言者は神の言葉を民に取り次ぎます。

特に王や民が神にそむくとき、

決然として御言葉を携えて命がけの行為を行ないます。


当時の北王国は多くの偶像がはびこり、イスラエルの真の神を退けて、

ユダヤの歴史上かつてなかったほどの宗教的混乱をきたしていたからです。


エリヤはこのような時に、彼らの背教を告発し、

悔い改めて神に立ち返らせるために遣わされました。

エリヤの宣告の後、神様はエリヤをケリテ川のほとりに身を隠せ、

また、シドンのツァレファテの寡婦の家に行ってそこで養われなさい。


と言ってエリヤを導かれ養われます。

涸れていくケリテ川の水、烏が運んでくる食物にしても不安でした。

この不安な中で、完全に神に献身し、服従することを学びました。

エリヤを導いたものは神のことばと祈りでした。



エリヤの信仰の根拠は「主は生きておられる」です。


「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。」(17:1)

「エリヤは、私たちと同じような人でしたが、」(ヤコブ5:17~18)

のように決して強い人ではありませんでした。


しかし彼は、弱いままで神の前に生きたのです。

私たちも弱さのまま神の前に生きることを学びましょう。



2、かなりたって三年目に「主のことばがエリヤにあった。」

「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」

エリヤはアハブと対決をします。


「どちらの神がまことの神か」バアルの預言者450人に対しエリヤは一人。

しかしこの祈りの合戦に彼は劇的な大勝利を収めます。


民もすべて神に立ち返り、エリヤの使命は完全に達成されました。

私が仕えている万軍の主は生きておられます。

と言う臨在信仰が勝利の原動力となりました。



3、大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。

主の手がエリヤの上に下ったので、

彼は腰をからげてイズレエルの入り口までアハブの前を走っていった。

エリヤの使命は更に、


「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、

預言者エリヤをあなたがたに遣わす。」(マラキ4:5)


やがて世界に栄光の王、イエス様が来臨される時に、

預言者エリヤがもう一度来てアハブ王の前ではなく、

栄光のメシアの前を走りぬけ、


「さあ栄光の王メシヤが来ます。心を備えなさい。

救い主を迎え入れる準備をしなさい」ということです。


イエス様は、(マタイ11:10~15、17:10~13)バプテスマのヨハネを指して、

エリヤはすでに来ています。彼は私の道備えをし、

エリヤの勤めを果たしましたと語りました。



私たちは今日も生きておられる神様を信じていることを確信しましょう。

弱く、貧しい私たちであっても、主は生きて働かれて下さいます。


私たちも神のことばをいただきましょう。



石出 佳代子