ずっと思っていることですが、父のことが亡くなってもまだ許せないのは何故かということです。


amebloの記事を読んでいると父親から暴力を振るわれていたのに許して父親のために尽くしている女性が複数いらっしゃいます。


18歳の時は父のことを将来裁判で訴えてやると思っていました。暴力を振るわれていたわけではないです。


わたしが小学1年生の時に父は税理士事務所を開設しました。


その時に愛人を事務員として雇いました。愛人は奥さんと子どもが邪魔だから追い出してくださいと言い父はわたしが小学2年生の9月に田舎の2Kの平屋に追いやりました。


自宅には愛人と住んでいて帰って来たり来なかったり。


年明けのある日学校から帰って来たら母がいなくて重度の認知症の祖母と5歳と2歳の弟に1歳の妹しかいませんでした。


それに先立って両親は父が帰って来る日はいつも夜中に離婚話しをしていました。


父は愛人と自宅で暮らしていて帰っては来ませんでした。お金さえ置いて行ってはくれませんでした。今なら父はネグレクトで逮捕されていたはずです。


赤ちゃん2人と6歳の弟に認知症の祖母の世話で学校には行けませんでした。1ヶ月学校を休みました。


父は1歳の妹と2歳の弟を乳児院に入れるつもりだったようです。それを叔父から聞いた母は愛人の支配する家に帰って来ました。


父は母に何度も愛人に謝れと土下座させました。土がついてないと何度も言いました。


母はどんな気持ちだったのでしょう?


小学4年生の時に母が奔走して土地を探し地主さんの頼み込み家を新築しました。


父は、建前の日に家が建ったのは愛人のおかげだと言いました。母は毎日大工さんにお茶とお菓子を運んでいました。


年収2,000万円あっても満足に母にお金を渡していませんでした。家計簿を付けさせ一円の位まで厳しく言っていました。


重度の経済DVです。お金がないのでお弁当は作れないと母は言っていました。中学は弁当でしたがパンの販売がありました。


父にパン代が欲しいと言ったら一緒に車に乗っていた愛人が贅沢過ぎる。家から食パンをハンカチに包んで持っていきなさいと言われました。


母に何とかやりくりしてお弁当が作れないかと訊いたら家計簿を持って学校の先生に聞いて来なさいと言われました。


その時初めて母に蹴られました。父は愛人と2人で高価な外食をしていました。


娘がどれほどひもじい思いをしていても昼食代をくれることはなかったです。


        






 つづく

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