長女は、わたしにとってとても大切な人です。生まれて初めて愛されたと感じたのは長女の愛です。
わたしは4人兄弟の長女で弟が2人に7つ違いの妹がいます。
母は実母が13歳の時に35歳で亡くなっています。17歳の時に父親が再婚して継母のことで随分辛い経験をしたようです。
わたしは母のことをまるでシンデレラみたいと思って来ました。母が幼い頃母親のところへ行くと手で跳ね除けられたと言っていました。
わたしの35歳で亡くなった祖母は東京外語で学んでいたそうです。でも長女なので婿養子を取って結婚するようにと19歳の時に退学させられて結婚したそうです。19歳で結婚した後20歳で長男(わたしの叔父)を産んで22歳でわたしの母を産んでいます。
わたしが小学1年生の時に妹が生まれました。その日は6歳年下の弟の誕生日でした。
学校から帰って来ると母は赤ちゃんのうんちのオムツを洗うように言いました。赤ちゃんのうんちは花の匂い臭くなんかないと言っていました。
17歳の時に父親が再婚した後年子で妹たちが生まれました。その時きっとオムツを洗っていたのだと思います。
18歳の時にオムツを洗うのと7歳で洗うのは随分違うと思うのですが、きっと母はトラウマのせいで自分が継母からされたことをわたしにしていたのだと思います。
わたしは幼い頃おてんばで動き回っていました。弟がタンスの上にあるバター飴を取って欲しいと言うので引き出しに足をかけて登り飴を取ろうとしました。
タンスの上に置いてあった嫁入り道具の鏡台が落ちて粉々に割れてしまいました。
それ以来母は鏡は女の命、鏡を割ったせいでわたしは不幸になったと言うようになりました。
小学1年生の雨の日に誘拐されかかりました。噛みついて足で蹴って必死の思いで走って逃げ帰り母に話しました。
母はチラリとわたしを見た後下を向いて仕事を続けました。抱きしめてよく帰って来たねと褒めて欲しかったのに。
わたしはお母さんは、わたしのことなんか死んでもどうでもいいと思っているんだと思いました。
親子関係が逆転しているような母娘関係でした。わたしは母をいつも慰めていました。
母がわたしの相談にのってくれるという関係ではなかったです。悪いのは父で愛人が支配するおかしな家庭を作りました。
幼い頃は母に暴力を振るったこともあります。税理士になってからは経済DVが酷く生活費も満足に入れていませんでした。
わたしは両親に関して中立を保とうと決めていました。夫婦の問題は、わたしの問題ではないからです。
母の父に対する不満をいつも聞いていた弟は悪いことをしても叱られず、わたしの大切にしていた硬貨(オリンピックのなど)2万円分を盗んで全部プラモデルを買ってしまいました。
弟は叱られることはなかったです。わたしは泣き寝入りでした。親の心子知らずと言いますが母はわたしの気持ちになって考えることはなかったです。
母を反面教師に子育てして来たつもりです。
娘は体調のすぐれないわたしのために、いつもお母さんの具合が良くなりますようにとお祈りしてくれていました。
母娘関係 優しい娘②につづく