amebloを始めた最初の頃は子育てジャンルで書いていました。
ゼロ歳から5歳頃に子どもをどう育てるかで優秀な子になるかどうかが決まるからです。
わたしは4人兄弟の長女で最初の子どもなので両親は赤ちゃんの時にとても可愛がって色々教えたそうです。
1歳半で100曲歌えたのも当時のことなので母が歌って聴かせたのだと思います。
母は大人になってから、お父さんが〇〇は天才だと可愛がっていてわたしのことを愛してくれなくなったから、もう子どもに教えるのは、やめたと弟には、わたしの時のように教えなかった言っていました。
わたしは成績はほとんど5でした。すぐ下の弟はオール3に2つ2くらいです。
その下の弟はいつも1と2ばかりでした。赤ちゃんの時に母が末っ子の妹をおぶって仕事に行っていた間近所の老夫婦に預けられていました。
母は話し好きで子どもにも、よく話しかけます。言葉を覚える大切な時期に預けられていた影響は大きくて言葉がとても遅かったです。
そうしたことから考えて学力は遺伝ではなく環境だと考えるようになりました。
同じ両親から生まれたので遺伝的には同じ遺伝子を受け継いでいるからです。
中学生の時に将来わたしが考える理想の幼児教育が出来る幼稚園のようなものを作りたいと思いました。
中学生の時によく行く美容院の人に頼まれて初めて小学3年生の子どもの家庭教師をしました。
短期間でビリから3番目の子がクラスで3番になりました。わたしは家庭教師をする時は勉強の仕方を教えます。
本格的に家庭教師をするようになったのは19歳からです。最初は妹の友人の従姉妹が高校受験で教えました。
また妹の友人も受験の時に教えました。高校受験する子を教えたことが多いです。
父はわたしに算数を教えていたのだと思います。小学校入学時には二桁の暗算と3桁が10ある筆算が出来ました。
父が計算機で答えを出して正解と言っていたのを覚えています。
何故か弟には同じように教えなかったようです。
長男を出産して間もない頃に訪問して来た人に1冊の雑誌をもらいました。
その雑誌のコラムに生まれた時からアルファベットの歯固めで遊ばせておくと、どの子も一歳の誕生日までにアルファベットを覚えると書いてありました。
日本語は50音なので遅くとも2歳までには50音が読めるようになると思いました。
50音の積み木で遊んでいたら文字が読めるようになっていました。画用紙に大きな字で『わたる』と名前を書いてあげていました。
1歳10ヶ月頃、自宅で家庭教師をしていたら、いつも一人で大人しく遊んでいるのに隣の部屋から来て「わたる」「わたる」と何度も言って呼びに来ます。
隣の部屋に行ってみたら積み木で「わたる」と綴っていました。この子もう字が読めるんだと思いました。
その日から隣に住む小学生の従兄弟のお姉さんとお兄さんが競って字を教えるようになりました。
2歳3ヶ月ですべて読めるようになっていました。
5歳離れて長女が生まれました。
長男はお友だちには皆兄弟がいるのに自分はいないから僕神様に赤ちゃんが生まれるようにお祈りしていると言っていました。
だから長男は僕がお祈りしたから赤ちゃんが生まれたと信じているのでとても喜びました。
長女が生まれた頃には50音の積み木は知人にあげてしまっていたので50音表を壁に貼っていました。
長男が赤ちゃんの妹に先生になって教えていました。わたしが教えたことはないです。
お兄ちゃんは優秀な先生で詰まる音や濁る音、破裂音もすべて教えて、何とカタカナも全部教えてしまいました。
長女は3歳の時には一人で自由に本が読めるようになっていました。振り仮名付きの本や聖書も読んでいたので漢字も自然に覚えてしまいました。
読むのが好きなので4歳の時に日刊の朝日小学生新聞をとってあげました。振り仮名がついているし写真もいっぱいあります。
また長女が生まれて病院から連れて帰った日から毎日顔と顔を見合わせて歌を歌って聴かせました。
長女もわたし同様赤ちゃんの頃から歌うようになりました。当時は義母の介護をしていたのでわたしも仕事をしていませんでした。
ずっと家庭教師をしていたので自分の子どもは塾に行かなくても教えられると思って来ました。
実際に2人共塾に行かないで希望大学に合格しました。
どんなブログにするかもう少し考えてみますね。