わたしは4人兄弟の長女で子どもが中学生の頃から大好きでした。末っ子の妹とは7歳離れています。
26歳の時に長男が生まれました。予定日より2週間早く生まれました。産院でミルクを飲ませられたので退院時には顔に湿疹が出ていました。
病院に連れて行くとステロイドの軟膏が出ました。塗っていると皮膚が透けて来て怖いと思いました。当時はステロイド軟膏のことを知りませんでした。
母乳が十分出なかったのでミルクを夕方に足す混合栄養でした。そのせいかアトピーになってしまいました。何とか体質を変えてアトピーを治してあげたいと色々勉強しました。
長男が生まれてすぐの頃『目ざめよ!』という雑誌を訪問して来た人にもらいました。その雑誌のコラムに赤ちゃんの時アルファベットの歯固めで遊ばせているとどの子も一歳の
誕生日までにアルファベットを覚えると書いてありました。
日本語は50音だけど2歳までには文字を覚えると思い画用紙に大きく子どもの名前を書いたり50音の積み木を買ってあげたりしました。
長男が一歳の時にわたしが家庭教師をしていると隣の部屋から何度も自分の名前を言って呼んでいます。見に行くと
自分の名前を積み木で綴っていました。
字が読めるんだと思いました。それからは隣に住んでいた
従姉妹のお姉さんとお兄さんが競走で文字を教えてくれて
2歳3ヵ月でひらがなが全部読めるようになりました。
長男が2歳の時に引っ越しました。とても寂しかったようで
何度も家に帰ると言っていました。長女が生まれたのは長男が5歳の時です。
赤ちゃんの妹の世話をしたがりました。ゆり椅子を揺らして寝かしつけてくれていました。長女に文字を教えたのは小学
1年生になったお兄ちゃんです。
50音の積み木は友人にあげてしまったので壁に50音表を
貼っていました。それを使って先生気分で教えていました。
ひらがなだけでなくカタカナも教えていました。
優秀な先生で詰まる音濁る音などすべて教えてあげたので
長女は3歳までに自由に本が読めるようになりました。
その後は能力に合わせて本を買ってあげました。振り仮名
付きの聖書も3歳の時から自分から毎日読むようになりました。4歳の時に長女のために小学生新聞をとるようになりました。漢字の勉強をしたことはないですが自然に漢字を覚えてしまいました。1年生の時には一般紙を読んでいました。
わたしは最初の頃は感情的に子どもを叱っていましたが怒りに任せて口を開くことはなくなりました。自分をコントロールすることが出来るようになりました。
長男は聞き分けがよく静かに座っていられる子どもでした。
わたしが家事をしている時に座らせて本を見せておくと静かに本の挿絵を見ていました。
長女は赤ちゃんの時とても活発な子で10人を同時に育てているくらい大変でした。3歳の時にわたしが40度の熱が1ヵ月下がらなかった時にうつしては大変と近くに来させないように
していました。わたしが治った時には長女は急におとなしくなって喘息になってしまいました。
何とか喘息を治してあげたいと色々な本を読みました。
『母原病』という本を読んだのもその頃です。お母さんが
原因で喘息になったあらましが書いてありました。
お母さんの馬鹿と言えた後に喘息が良くなっていった話しが
書かれてありました。詳しくは本を読んでみてください。
長女の喘息も小学2年生の時に完治しました。それまでは
幼い時は急ぐ時は走らせないで抱いて走っていました。
本の大好きな子になりましたが一輪車が得意でした。
子育ては子どもの気持ちを汲み取る必要があります。利他的でないと子育ては難しいです。子どものためを思って色々
勉強をするようになりました。
PTAの役員もしました。そうした中で気心の知れた親友も
出来ました。子どもたちの純粋さにわたし自身が変化したと思います。
子どもにどうすべきかを教える時は親が見本を示す必要が
あります。言葉で教えるだけではいけません。
わたしが子どもの頃はすぐ下の弟と喧嘩ばかりしていました。でも長男と長女はとても仲がいいです。成人した今も
仲が良くお兄ちゃんが好きな人と結婚出来たのも長女の助けがあったからです。嫁と長女は年齢は違いますが親友です。
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