おはようございます🌞

もう年が明けて2日目ですね。今日は箱根駅伝があります。

毎年テレビ観戦しています。コロナ禍の応援は慎重に。

 

光陰矢の如し。子育てに多くの時間を取られて早く大きくなって欲しいと思う方もいるかも知れません。三つ子の魂百までと

言いますがすぐに3歳の誕生日を迎えます。

 

その3年間がいかに大切な時期か改めて考えさせられました。今塾に通う中学生のお子さんのいる方が3歳までに子どもの

脳🧠の発達を考えて育てていたら塾に行く必要はないです。

 

学習塾で教えていたわたしがそれを言うのもおかしいですが。

多くの学習不信児を教えて来ました。何とかそうしたお子さんを過去に遡って授業についていけるレベルまで引き上げて来ました。

 

わたしが子育てに関心を持ったのは早く中学生の時に子どもの才能を伸ばす幼児を育む施設(幼稚園のような全時間の)を将来創りたいと思っていました。

 

わたしは四人兄弟の長女で幼い頃は俗に言う神童。記憶力に

優れ幼稚園の劇の全員分のセリフを暗記していて舞台の袖で

プロンクターをしていました。

 

幼稚園ではPTA会長の娘のルミちゃんが主役。よしえちゃんが

お母さん役(当時から老け顔)わたしが一番セリフの多い役を

していて3人でほぼ主要な役をしていました。

 

20歳過ぎにアルバイトに実家で副業でやってた手巻き寿司店に来た子が幼稚園時代のわたしを覚えていて幼稚園の時はM

ちゃんスーパースターだったよねと言っていたので記憶は確かなようです。

 

運動能力にも優れ鉄棒で連続37回前廻に成功しました。夢中になってワンピースを破いてしまったことを思い出します。

とても活発で動きまわっていました。

 

1歳半で100曲一番から3番まで間違えずに歌っていたと母が

よく言っていました。それって遺伝ではと思う方もいるかも

知れません。母は記憶力がよく電話番号を200件覚えていました。わたしは電話番号は20件くらいしか覚えられません。

 

兄弟全員優秀かというと4人全く違います。末っ子の妹は上位

三分の一に入りますがすぐ下の弟はオール3に2が2つ位。

下の弟は1と2ばかりで3を取ったことがありません。

 

同じ両親から産まれて何故こんな大きな差があるのか不思議

でした。でもある時母の言葉で育て方が違ったことを知りました。父は最初の子どものわたしのことをとても喜んで可愛いがったそうです。わたしのことを天才だと言い父の愛を独占してしまったそうです。

 

お父さんがMが可愛いとわたしのことなんか愛してくれなくなった。だからもう子どもに教えるのはやめた。そう思った

そうです。実際親が教えなければCDもレコードプレーヤーも無くて100曲歌えるようになるはずがないです。

 

母が赤ちゃんの時のわたしにした子育てを実践すればどの子も天才になるに違いないと思いました。弟にはわたしにしたようには教えなかったそうです。下の弟が1歳の時に丸一年違いの同じ日に妹が生まれました。

 

年子の子育ては大変です。オムツも二人分洗う必要があります。そんな状況でしたが母は父が税理士事務所を開業する為に

妹をおぶって2歳の下の弟を近所の老夫婦に預けて洋装店に

裁断士として毎日勤めるようになりました。

 

快活でよく話す母と赤ちゃんの時に接する時間の少なかった

下の弟は発語が遅く中々話せるようになりませんでした。

ようやく話せたのは3歳でした。その後は大丈夫でした。

 

こうしたことを知ったのが中学生の頃です。だから幼児を育む施設を創りたいと思うようになりました。実現していませんが

今も想いは変わりません。

 

ここまで書いて来て子育てで一番大切なことは何かまだ書いて言いませんでしたね。3歳までに知力を伸ばすことは大切ですが全人格が幼少期に造られます。

 

優しい子、思いやりのある子。一方自己中な子や他人の気持ちに無頓着な子もいます。そうした違いも育て方の影響が大きい

のです。親が人に親切で利他的なのを見て育つ子は親のように親切になる可能性が大きいです。

 

辛抱強さも3歳以下から培われていきます。最近話題の非認知能力のことも赤ちゃんの頃から伸ばしてあげたいものです。

過去記事から非認知能力については見てください。

 

嘘をつかないで真実を語ることも幼児期からの積み重ねによるところが大きいのです。レジリエンスやグリットも幼い頃から身につけられるといいです。

 

 

 

 

わたしが子育てで一番大切だと思うことは子どもを心から愛することです。愛は多くを求めません。子どもには子どもの人生があります。親の所有物ではありません。

 

子どもには子ども自身の意思があり、それを大切にしてあげて

ください。子は授かりものという教えが昔はありました。

 

少子化で一人の子どもにかける期待が大きく今の子どもは可哀想です。一番大切な親の愛を十分受けているとは言えない場合もあります。生まれて来てくれただけでありがとう。

 

そういう謙虚な気持ちで子育てしたいです。息子は情緒が安定

していて育てやすかったです。一人遊びをしていつもニコニコ

していました。

 

一方5歳離れた娘は妊娠中に置かれた状況のせいか一時も目が

離せないくらい活発でした。生後一週間の頃には他の子と違うと思いました。眼差しが違うのです。

 

娘はかけがえのないわたしの命の恩人です。娘を育てていてわたしは生まれて初めて人から愛されることを知りました。無条件で愛してくれる我が子。お母さんの幸せがわたしの幸せ。そう言っていたのは中学生の頃です。

 

 

 

娘が中学3年生で反抗期になった時とても精神的に辛かったです。カウンセリングを受けました。でも話したのはわたしの母のことばかりでした。お母さんはお母さんなりに愛してくれていたのですよ。カウンセラーはそう言いました。

 

わたしは結構カウンセラーを引き込んでしまうようです。料金を払うのを忘れそうになったこともあります。カウンセリングを受けている時不思議な夢を見ました。

 

娘が車に乗って来てカウンセリングに行くのを邪魔します。これはカウンセリングを中断すべきということかも知れない。そう思いカウンセリングはやめました。

 

後に娘が進学した後大学1年生の11月読み聞かせのボランティアが学校行事が忙しく中断していた時に精神的に追い詰められて15歳のわたしが棺から起き上がる映像が浮かぶようになりました。生まれて初めての経験です。

 

不安になったわたしはカウンセリングを受けなくてはと思いました。でも不眠傾向で運転に自信がないので近所の素人の方からカウンセリングを受けてしまいました。

 

後に解離が専門の精神科医に疼痛について薬では治らない。トラウマ対応のカウンセリングで完治すると言われました。カウンセリングは効果が大きいけど同時にとても危険な治療なの。カウンセリングの失敗が病気の原因と言われました。

 

一回10,000円以下の安いカウンセリングなんか受けちゃ駄目よ。最低でも1万円は払わないとと言われました。一回5000円でした。その時娘が中学生の時にカウンセリングをやめて良かったと思いました。

 

子育て中に病んだら大変です。6年続けて来た読み聞かせもその日を最後にしていません。思えば一緒に暮らしていた娘に支えられていたようです。娘のためにはわたしが離れた方がいいと思い東京の大学に進学させました。

 

親元を離れて元気いっぱいで活躍する娘。わたしは自分の限界を超えて人を助けることばかりしていました。自分自身を顧みなかったのです。生き方を見つめ直すいい機会でした。

 

聖書には『子供はエホバからの財産。子は神からの贈り物。』

とあります。神様から贈られたものは当然大切に扱うはずではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

トラウマ治療にはソマティック・エクスペリエンス