ベビーカーに乗っていて歌っていた赤ちゃんの娘。
わたしが1歳半の時100曲歌っていたと母から聞いていた
けれど娘も1歳代から歌を歌っていました。
玩具のピアノを自由自在に弾いて本当に楽しそうでした。
この子は音楽の才能があるなあと思いました。
ピアノを教えたのは最初はわたしです。
今思うと教えるのはもう少し後の方が良かったなと思って
います。教えないで音符とか読めないで好きに弾かせて
あげる時期をもっと長く取っていた方がいいなと。
天真爛漫の笑顔で活発な子でした。
過去形にしたのは、わたしが40度の熱が1カ月続いた後
性格がガラッと変わってしまったからです。
一瞬も目が離せないくらい活発だったのが、とても大人しい
子になりました。3歳の時です。この変化に戸惑いました。
そばに来るとうつるからと隣の部屋にいるように言って
いました。娘はどんなに心細い思いをしたことでしょう。
喘息にもなってしまいました。
2歳からママ友と毎週集まって幼児教室をしていました。
娘が非常に繊細で、友人の結婚式に皆で歌を歌うことになったのですが、歌いたくないと言いました。2歳の時です。
練習だけ一緒にしようねと言って練習は一緒にしていました。当日出るはずだった子がやはり2歳なので寝てしまいました。代わりに出てということで機嫌をとりながら歌うことが
出来ました。
3歳の時に子供向けの料理の本を買ってあげました。
『ひとりでできるもん』です。本を読んで料理を作って
くれました。
幼いながら内面の世界を持っている感じでした。
一歳半検診の後買ってあげた人形に名前をつけて遊んで
いました。ネネちゃんという名前です
娘は、お母さん役を好んでするので、わたしは子供役を
してあげました。3歳の頃です。この頃から本を読むのが
大好きになりました。
本を読むと内面の世界が広がります。
程なく絵本から児童向けの漢字に振り仮名が振ってある本を
読むようになりました。
自分に自信がある息子と違って娘は、完璧主義なのか
自信がない方でした。褒めてあげるのが人一倍必要でした。
だめだだめだとなってしまうからです。
主人は娘とアルプス一万尺をしたり遊んでいました。
本人はお父さんと遊んであげてる感じでした。
HSCというのがあると学びましたが、とても敏感で繊細
でした。大きな音を怖がりました。
5歳上のお兄ちゃんのチャレンジを勝手にどんどんやって
しまいました。本人の能力に合った勉強が楽しかったの
でしょう。
特別な幼児教育はしていません。お兄ちゃんがひらがなや
カタカナを教えていました。詰まる音濁る音も教えていました。文字の学習は、楽しい遊びだったと思います。一歳代にお兄ちゃんに教えてもらうのですから。
娘が自信を持てるように細心の注意を払いました。
それは成長していっても同じです。小学生になっても
中学生になってもできていないところだけに目がいって
だめだだめだになってしまうからです。
高校2年生の頃から自信が持てるようになったようです。
進学校なので数学は能力別クラスで理数科の子に混じって
男子の間に女子数人のクラスでした。
高校になると全国規模の模試があり満足な結果が出たのも
大きいのかもしれません。
成績は高校大学と伸びていきました。
大学ではオール優でした。本人の希望だったバイトも
いっぱい出来て嬉しいようでした。
小学生の頃や中学生の頃は、学校生活が心配でした。
小学生の頃は何でこんな簡単な勉強をしなくてはと学校が
楽しくなかったようです。
中学生の頃は友人関係で悩んでいました。仲良しだった子が
不良グループに入り娘に悪いからと避けるようになった
からです。
高校では音楽部の合唱とバンド活動で学校が楽しくなって
いきました。バンドでは誰も出来ないからとドラム担当。
文化祭当日は男子から歓声が上がりました。
娘が自信を持てるように支え続けて良かったと思います。
東京の大学に進学したので親元を離れて生活しました。毎日
お弁当を作っていました。
夕方スーパーが安くなる時間帯に買い物に行っていました。
塾や家庭教師のほかにジョナサンで調理のバイトもしていました。ジョナサンのメニューが全部一人で作れるようになったと喜んでいました。