みどりむし書房のブログ
みどりむし書房

華音・独蛇夏子の二人からなる創作サークルです。
主に小説・詩を創作、ブログに小編を掲載し、投稿サイトで執筆し、文学フリマに勇んで本を持って行くような人たちです。

創作活動と就職活動に挟まれた大学生の葛藤から、このサークルを始めました。
おもしろいことをしたい、好きなことをしたい。
提供したい。
それが、みどりむし書房の単純な理念です。

当ブログではみどりむし書房の二人の

・作風
・作品情報
・イベント参加・活動情報
・管理人のぼやき
・テーマ別小編(月1更新)

等を掲載いたします。

各カテゴリの内容、情報探しは
いんふぉめーしょん。
の参照をお願いします。

ミドリムシの如く青臭い我らを、どうぞ温かい目で見守って下さればと思います。


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来世を信じない―独蛇夏子(テーマ:マスク/みどりむし書房10周年記念小説)

来世を信じない

 

 そこは、山を背後に、森といくばくかの葡萄畑で囲まれた村だった。村人総出でのワインの仕込みがすっかり終わり、黄葉が散り始めた時期に、死神が忍び寄ってきた。

 山を越えた先の、港の大きな町から雑貨を仕入れている店の主人が、一人目の発症者だった。いつもよりだるそうな様子で、俺もトシかな、と冗談を飛ばしていた。後になってみれば、初期症状が出ていたのだ。ほどなくして、店の奥に引っ込むようになり、ものすごい高熱に襲われ、意識が混濁するようになったらしい。

 診察した医者は腋下や鼠頸部がひどく腫れているのを発見して真っ青になって呟いたそうだ。これは大変なことになった、黒死病だ。

 症状が悪化して、三日も絶たないうちに主人は死んだ。それまでの間に、主人の奥方、息子、従業員が次々に同じ病で倒れた。

 雑貨屋の近くに、木工細工の工房に、ある青年がいた。幾人もの弟子を抱えた父とともに、工房を切り盛りしていた。雑貨屋には木工細工を納品していて、倒れる寸前の主人とやりとりするのも、青年の役目だった。

 弟子の一人も、雑貨屋の息子と友人同士だった。黒死病と聞いて真っ青になった。

 ――まさか俺らも、病気になったりしませんよね。

 青年は何も言えず、神に祈るしかない、と答えた。

 以前から、行商人や旅人の噂では、港の大きな町で黒死病が広がり、近隣の村にも及んでいるということは知らされていた。しかし、この村の人々にとって、所詮山を越えた向こう側のことだった。

 近頃、公共事業で道が整備された都合があるのだろう。山を越え、森中の蛇行する道を通りぬけて、死神はやってきたのであった。

 雑貨屋主人の奥方が亡くなり、息子が亡くなり、従業員が亡くなった。主人の知り合いや、奥方の茶飲み友達も病に倒れた。雑貨屋の息子と友人同士だった弟子の一人も、体調を崩して来なくなった。一人、また一人と、見知った顔が病に倒れていった。

 村に恐怖が広がっていった。人々は外に出ず、家に籠った。

 そうしているうちに、村長が都から呼んだ医師の一団がやってきた。

 表面に蝋を引いた、重布のガウンですっぽり全身を覆う。つば広の帽子を被り、鳥のくちばしのようなものがついた奇妙なマスクで顔が覆われ、表情は窺えない。医師の身分を表す木の枝を持つ。

 異様な装いのペスト医師団の足音に震え、家に引きこもった村の人々は、絶望的な運命が押し寄せるのを感じた。

 医師団は村の一画に病人と接触者を集めた。柵をこしらえ、隔離地域を作った。医師のみが出入りし、病人の世話をした。死者を記録し、埋葬もそこで済ませた。遺体は土葬を許されず、罪人のように火葬された。隔離地域から、遺体を焼く煙が、ゆらゆらと毎日のように立ち上った。異様な姿の医師たちは、周辺に消毒液を吹きかけ、香を焚いて病をもたらす悪い空気を払う。村人たちにも香は配られ、家の軒先で焚くようになった香のにおいが、たちこめた。人の出入りが途絶えた村に、冬の訪れを教える風が吹き抜け、香のにおいはすみずみまで運ばれた。

 それでも、病人は増えていった。病人が増えるにつれ、隔離地域の範囲も、徐々に広がる。健康な村人たちは、もはや村の外に避難し、野営するしかなくなった。木工細工工房の隣の花屋、ひょうきんな馬屋、幼馴染のいる床屋、妙にライバル意識をむき出しにしてくる金工細工工房などは、村外に出て行き、村の風上にある山腹を切り拓いて新しい居を構えた。

 そんな頃に、木工細工工房の青年は病を発症した。工房から父母と妹は追い出され、隔離地域のひとつとされた。よく知った一室が、青年の病室となった。涙をいっぱいに溜めてこちらを見ながら、追い立てられていく父母と妹の姿が、家族を見た最後となった。

ひどい悪寒に全身が痙攣し、高熱にうなされた。身体は重く、関節は痛む。吐き気が強く、胃の中のものをすべて吐いても、おさまらない。青年は寝床の上で獣のように転げまわった。

 ペスト医師はろくに看病をしなかった。くちばしが付いたマスクの、二つの穴から自分を見下ろし、腋下の腫れを杖でつついて確かめ、決して触ることはない。唯一の治療法は、瀉血だ。注射針で血管から悪い血を吸い出す。医師はおっかなびっくりといった手つきで青年の体に針を刺し、血を抜いた。

 医師からは甘いような花のような、強いにおいがする。マスクのくちばしのようになっている袋の先端に、良い香りのものを詰め込んでいる。悪気を払い、感染しないためだ。

 青年の体調は一向によくならなかった。高熱に喘ぎ、腕や足は病原菌の毒素で腫れる。身体は汚物にまみれていく。医師はろくに面倒を見ない。自分が、これから死にゆく病原体でしかない汚物として扱われているのだと理解する。

 病気にかかった時点で、助からないと決まっているのだ。

 

 ―――こんなことなら、あの日、雑貨屋の主人に会わなければ・・・いや、そんなことを考えても、どうしようもないことだ。そんなことより・・・もっと木工技術に打ち込んで、腕を磨いておけばよかった。親父に一度でも、一人前の人間として認めさせたかった。それから・・・・―――に、自分の思いを伝えておけばよかった。

 

 様々な後悔が、頭の中をよぎったが、いずれにしろ、どうしようもないことだった。

 ところが、一日足らずで、出入りするペスト医師の様子が変わった。

 マスクとガウンで覆われた人物の中身が変わったのが、いつのことかは分からない。しかし、はっきりと、妙にてきぱきした人間に看病人が交替した。

 水で冷やした清潔な布で額を冷やし、水分をとらせ、手足の膿を出し、せんじ薬を飲ませる。それから、瀉血をしなくなった。

 積極的な身辺の世話と治療に、戸惑いと感謝を覚える一方で、男の脳裏に一つの可能性がよぎった。まさか。そんなばかな。そんなわけがない。淡い期待を抱く自分を殴りたくなる。

 家族や、友人などの大事な人たちは、皆、村の外に出たのだ。隔離地域にいていいはずがない。いてはいけない。

 マスクの二つの暗い空洞から、どんな目がこちらを見つめているのか分からない。

 それでも、隔離された瞬間に失われた尊厳が、まだそこに残っている気がした。青年は病と闘うことにした。

 意識が朦朧としていたから、どれほどの時間を、生き延びたかは分からない。ペスト医師はキビキビと働き、根気よく世話と治療を続けた。

 そうした日々は、唐突に、終わった。

 その日の夜は妙に静かだった。毎夜やってくる見回りのペスト医師が、いつまで経っても来ない。階下からの物音もなく、しんとしていた。

 外で、複数名の歩く音がし、誰かが指示を出す声が聞こえてきた。何だろうと思って、しばらくすると、家の中を駆けあがってくる音が聞こえた。

 ドアが乱暴に開かれた。見ると、ペスト医師が立っていた。

 

 ――逃げるわよ。

 

 マスクでくぐもった女の声を聞いて、青年は慄然とした。

 ペスト医師は、いつものようにキビキビと近づいてきて、驚くほど力強く男の体を起こす。肩に腕を回して、まともに歩けない男のことを立たせた。

 

 ――立って。歩くの。ここから逃げるよ。村をまるごと燃やすことになったの。患者はほとんど死んだ。もう生き残っているのは、虫の息の重病者だけ。あなたのほかに意識のある人はいないわ。外部でもう病人が出なくなったから、ここだけ潰せば病を終息させることができるってわけ。こうなるんじゃないかと思ってた・・・でも大丈夫、絶対助ける。

 

 でも大丈夫、絶対助ける、じゃない。おまえ何をやってるんだ。

 

 声にしようとしたが、憔悴している青年は言葉を発する力さえ衰えており、咳き込むことしかできなかった。しかし、自分に肩を貸して歩こうとするペスト医師を止めようと、歯を食いしばり、声を絞り出した。

 

 ――何しているんだ、おまえ。置いていけ。俺を置いていけ。

 

 瞬時に鋭い怒声を浴びせられた。

 

 ――馬鹿言わないでよ。私がどんな思いで看病していたと思ってるの。

 

 やっぱり、おまえだったのか。

 身体から力が抜けそうになる。驚くやら、嬉しいやら、気恥ずかしくなるやら、泣きそうになるやらで、感情はぐちゃぐちゃだった。だがそんな余裕はない。熱は高く、身体は鉛のように重い。手足に痛みは走り、しばらく使っていなかった足はふらつく。こんな自分を、ペスト医師は何としてでも連れ出そうと引きずる。腹をくくって、青年は病室から出て一歩一歩階段を降りた。

 青年は薄っすら思い出していた。病床には、ほかにも何人か患者がいたはずだ。しかし、いずれの患者も死に、ペスト医師によって遺体が運ばれていった。それに比べて、青年の病の進行は、明らかに遅かった。

 どういうわけか分からないが、彼女は適切な看病をしていたらしい。

 青年を担いでいるのは幼馴染の床屋の娘だ。健康的な体格で、理知的で頭の回転が速い女性だった。父親の床屋は変わった人物だ。床屋は医者を兼ねていて、簡単な治療を村人に施す。しかし彼女の父親は、自らを実験台に作ったせんじ薬を、症状に合わせて村人に分けたり、食生活に助言を与えたりしていた。一見怪しげなこれが、瀉血よりもよっぽど効いた。だから、村人からの信用を得ていた。

 幼馴染の彼女と、朴訥とした男は、何故か気が合った。木工細工を作ることだけしか取り柄がない男だったが、父親に似て実験好きで、薬草の勉強と薬作りに精を出し、床屋の仕事を切り盛りする彼女の話を聞くのは楽しかった。

 一度も口にしたことはなかったが、彼女が自分の妻になってくれればうれしいと思っていた。

 いつか、と思っていたことなど、黒死病で叶わなくなったと思っていた。彼女が自分と同じ気持ちでいる確証もなかった。

 彼女が村外へ出て行ったことに、安心もしていた。

 自分のほかに好きな人がいたら、結婚相手がいたらと思うとつらい。しかし、生きていてほしかった。

 だから、妙にきびきびと看病するペスト医師に恐怖した。実に彼女らしかった。嬉しいと思う一方、あまりに危険すぎた。ペスト医師は偏見の目にさらされる。病気がうつって死ぬ者も少なくなかった。

 それが、重傷者ごと村が焼かれるというときに、ここにいるのだ。泣きたくなるような気持ちになりながら、青年は幼馴染の肩にすがって、足を動かした。

 ようやく二人はドアの前に辿り着いた。窓は板で塞がれている。ドアノブをひねったが、びくともしなかった。階段を下りている間に、外から釘で打ち付けられたのだろう。

 彼女は男を座らせると、分厚いコートを着せ、温かい帽子と手袋をつけさせた。そして、工房のどこかから斧を持って来た。

 青年は悪寒に震える体を押さえつけながら、ドアに向かって何度も斧を振り下ろすペスト医師の背中姿を見つめた。あまりに迷いのない行動だった。

 どうやったのかは知らないけれど、こちら側に来てくれたのだ。涙が出そうになるのを、慌ててこらえた。

 ドアを破壊すると、冷たい空気と焦げ臭いにおいが室内に流れ込んできた。ペスト医師は男を支えながら歩いた。一帯の家々には既に火が燃え移り、ごうごうと音を立てていた。炎は空に向かって渦巻いていて、凍てつく夜を、真っ赤に染めていた。

 足をできるだけ早く動かそうとするが、足がもつれ、バランスを崩して倒れそうになる。そのたび、彼女は立ち止まって、よろけながら男を背負い直す。男はガタガタと震えながら、体力が失われていくのを感じながら歩いた。否応なく、身体から力が抜けていく。彼女は息が荒くなり、マスクの下で苦しそうに息をしている。それでも進むことをやめないつもりらしい。

 熱い火の粉が降ってくる。燃え盛る家の柱が、目の前に倒れてくる。火に飲まれた家々に取り囲まれ、二人は歩いた。

 歩きながら、声を絞り出した。

 

 ――もうやめろよ。いいよ。充分だ。おまえがずっとそばにいただけで充分なんだ。逃げてくれよ。

 

 一呼吸置いて、彼女が叫んだ。

 

 ――死んでもいや。

 

 村のはずれに建つ教会が見えてきた。まだ火の手は及んでいない。二人はよろめきながら、教会になだれこんだ。

 教会には人一人いない。牧師も不在のようだ。祭壇の上の石造りの十字架だけが闇の中に薄っすら浮かび上がる。

 体力は限界だった。四肢は鉛のように重く、自分で体を支えられない。青年は崩れ落ちた。体中が痛かった。

 ペスト医師は男の石敷の床に寝かせ、男の頭を膝の上に乗せる。それから初めてペストマスクを脱いだ。

 涙にぬれた理知的な瞳がこちらを見下ろしていた。

 

 ――教会の先の森にも、火の手が見えた。周辺を人が取り囲んでいる。万が一にでも、病人を取り逃がさないつもりね。

 

 いつのまにか手袋を外して、彼女は男の手を握っていた。男も手を握り返した。彼女の目からは、次々と涙がこぼれ落ちる。止められないようだった。

 青年は荒い息を整えようと、大きく息をついてから、声を絞り出した。

 

 ――おまえ逃げろ。俺はもうダメだ。おまえだけでも生き延びろ。

 ――私は重大な命令違反をしているし、感染者との濃厚接触をしている。村の外に出たって、どのみち生き延びることなんてできないわ。

 ――何でこんなことしたんだ。村の外に引っ越したじゃないか。

 ――あんたを治すためよ。だって、あんたと結婚するつもりだったんだもの。

 

 きっぱり言い切った幼馴染に、男は絶句した。

 

 ――そんなこと無理だろ。

 ――分からないわよ。私が考えた治療方法なんて、試されたことないもの。

 ――おまえさぁ・・・俺もおまえと結婚したいと思ってた。

 ――そうでしょ?

 ――だけど、俺は、おまえにどんな形でも生き延びてほしい。

 

 幼馴染は、首を横に振る。

 

 ――ペスト患者を引っ張り出して来ているのよ。牢屋に放り入れられて魔女扱いされるのがオチね。それなら、自分の意思で、ここであんたと終わらせる。

 

 そんな、俺ばかりいい思いをすることばかり、言わないでくれ。何もできないことが、これほど空しいことはないから。

 青年は悔しさを覚えずにはいられなかった。

 彼女はずっとそばにいてくれていた。危険を顧みず、生きることを望んでいてくれた。諦めないでいてくれた。これを何故、喜ばないでいられようか。

 だが、彼女の自分への思いが、彼女を死へと誘うのだ。

 

 ――俺は神を呪わずにいられない。

 

 彼女は苦しそうに顔をゆがめた。

 

 ――私はとっくに神なんて信じていない。私たちをこんなふうにした神なんて。来世だって信じない。いま一番、一緒にいたい人と一緒にいることにしたの。

 

 言いたいことを、言葉にできる力はもうなかった。

 

 ――できることはした。後悔はしない。

 

 木々が燃える音が聞こえる。熱い煙が教会内に流れ込み、焼け焦げたにおいが周囲を取り囲む。火の光が差し込んできて、ゆらゆらと景色が赤く照らされている。やがてこの教会も、燃え落ちるだろう。

 彼女の冷たい涙が頬に落ちてくるのを感じながら、青年の意識は闇に落ちていった。

 

   *

 

 青々としたスギに囲まれたこぢんまりとした教会は、村人のための教会だ。村で一番高いところに建てられていて、山道を車で上ってくる人が多い。広くとられた駐車場には色とりどりの車が停められている。教会の出入り口に立つモミの木には、オーナメントや、電飾が飾りつけられている。間もなくクリスマスがやってくる。

 この教会の珍しいところは、一画にペストの歴史に関する展示が常設されていることだ。ペストは古くからヨーロッパで猛威を振るい、致死率の高い恐ろしい感染症だった。そうしたペストの歴史年表があるほかに、かつてこの村の前身にあたる村での流行について、展示されている。治療や死者の記録、村の一部を焼き払った言い伝えを書き残した写本、当時の様子を伝える絵画、ペスト医師の絵姿などなど。これらの展示を見に、しばしば研究者も訪れるほどのコレクションだ。

 村の小学校の子どもたちは、ここで必ずペストの歴史と、村の歴史について勉強する。現在の村は、ペストをきっかけとして焼かれた村より風上に再建された。朽ちた焼け跡となった村のあとは、10年近く経ってから整備され、再び家々が建てられた。

 村の地中には、400年近く前の焼けた村が埋まっている。

 ダウンコートを着込み、ジーンズを履いた青年が、ペスト医師の絵を眺めている。この村に生まれ育ったこの青年は、小学校以来、しばしばこの教会に訪れて、この展示を眺めることがあった。

 小学校の見学で訪れた際、先生を困らせたことをしばしば思い出す。顔全体を覆う、鳥のくちばしのようなものがついたマスクをつけ、つば広帽をかぶり、全身をガウンで包んだ姿。先生が、絵姿のペスト医師を「彼」と言って説明したことに、引っ掛かったのだ。

 先生、このお医者さんの格好なら、中身が女の人でもばれないんじゃない?

 

「お待たせ。神父さんと話し込んじゃった。・・・また、それ見ているの?」

 

 振り向くと、恋人が立っていた。眼鏡をつけていて、長い髪は一本の三つ編みにして肩口から垂らしている。温かいダウンジャケットを着ていて、いつものように、本を抱えている。

 彼女とは、来月結婚式を挙げる。彼女は近所の診療所の娘で、幼馴染だ。高校まで同じ学校だったが、有名な薬科大学に進み、現在は大きな町にある製薬会社の研究所に就職している。

 対して青年は、木工細工の技術者の一家に生まれた。高校卒業後は、その家業が性に合っていたので、木工細工の技術者として腕を磨いている。結婚したら、村を出て、彼女と共に町で住む。就職先の工房も見つけてある。いくつか国内で賞も取っているほど、それなりに腕はある。

 幼馴染の二人は、幼いころから妙に気が合った。年頃になり、自分の気持ちを自覚した青年は、すぐさま彼女に告白した。彼女も同じ思いだった。そばに寄り添いながら、お互いの将来の夢を尊重した。離れている時期もあった。その間も、気持ちが揺らぐことはなかった。

 二人は絵の前でしばらく佇んだ。患者を救うはずの彼らの多くは二流の医師か、医師とも呼べないような流れ者だったという。その異様な姿は、死神と言われた。

 

「好きなんだ。この絵」

「変わってるよね。小学校の時に先生が困っていたのを思い出すわ」

 

 寡黙な少年が、その絵を前にして先生を論破し、同級生を騒然とせしめたのは、幼馴染と共有の記憶である。

 

「ちょっと聞いてみたいことがある」

 

 青年は幼馴染に尋ねる。

 

「例えば、この格好をしたら、ペスト医師が男か女か分からなかったと思う。僕は今でもそう思っている。だけど、もし、女性がこの格好で、ペスト医師として働いたとしたら、どうやってこの装束を手に入れることができたと思う?」

 

 彼女は上目遣いに、じっと青年を見た。理知的な目がきらりと光った。

 

「そうね。患者からペストがうつった医師も少なくない。亡くなった医師の服やマスクを廃棄場所からこっそり拝借すればいいんじゃない?」

 

 彼女からの返答に、尋ねた青年は目をしばたかせた。

 

「だとしたら、すごい行動力」

「そうね」

「君だったら、そんなこともやりそうだ」

 

 彼女はにやりとした。

 

「まあね」

 

 少し笑い合う。自然と手を伸ばし合って、手をつなぎ、二人は教会の出口へ歩き始めた。

 青年は子どもの時から、自分のものでない、しかし自分のものである記憶を、時折思い出す。幼馴染の彼女と過ごしていると、不思議な既視感を覚える。おそらく、彼女も同じだ。時折、複雑な感情を宿した瞳でこちらを見つめてくる。

 遠い昔に、自分たちと同じような幼馴染同士の男女がいた気がしている。「気がしている」だけで、もしかしたら、そんな幼馴染の男女なんて、いないかもしれない。お互いに、それをはっきりと確認し合ったことはないし、それでよいと思っている。

 今、目の前にいる彼女と、共に歩む。それが一番、大事なことだと二人とも知っている。

 彼らは来世を信じていない。

 

(2020年11月21日執筆了 著者:独蛇夏子)

みどりむし書房 10周年記念企画

こんばんは。みどりむし書房の華音の方です。

 

先日、11/20でみどりむし書房はめでたく10周年を迎えました!

 

お互いに私生活がバタバタとしており、なかなかお祝いすることが出来ませんでしたが…

今回はマスクをテーマに、掌編を書こう!という企画を立ちあげました。

 

今年はマスクが欠かせない、いつもとは違った一年となりました。

蛇さんとも、オンライン飲み会を初開催し、今回の企画はそちらであがったものです。

 

こうして、久しぶりに企画を練って、創作活動が出来たことをとても嬉しく思います。

みどりむし書房の久しぶりの企画もの、是非お楽しみください。

 

「繋ぐ」―華音

 

 

「来世を信じない」―独蛇夏子

 

 

 

「繋ぐ」―華音(テーマ:マスク/みどりむし書房10周年記念小説)

「繋ぐ」/華音

 

「コロナが落ち着いたら会おうね」というメッセージを最後に、彼女とのトークルームは未だに沈黙を保ち続けていた。未練がましくも一日一回は画面を覗きにいってしまう。しかし、何度確認してもメッセージは一向に更新されず、そうこうしている内に、季節はいつの間にか秋になってしまった。

「それは確実に振られてるな」

友人から容赦ない一言を告げられる。薄々勘付いてはいるものの、事実として認めたくないことを言葉にされるのはきつい。

「いや、分からないじゃん…?俺の身を案じて会うことを控えてくれてるのかもしれないし…」

「それにしても半年も連絡がないのは怪しいだろ。お前から連絡は返したの?」

「落ち着いたら、のタイミングが分からなくて連絡できなくてさ…」

「会えなくても関係を維持したいなら連絡はするべきだろ」

「直接会って話した方が早いじゃん!メールとか苦手だし…」

「…色々言い訳してると本当に振られる可能性高いぞ…?」

「それはそうなんだけどさ…」

手許の紙コップに目をやると、どこか不安そうな、情けない自分の顔が映っていた。片手でゆらゆらと揺らすと、黒い液体が小さな漣を作った。

友人は俺の様子を見て、少し気まずそうな顔をしてコーヒーに口をつけてから、やがて徐に口を開いた。

「悪い、少し言い過ぎた…こんな状況下じゃ、どうしたらいいか分からないよな」

お互いに黙って、コーヒーを口に運ぶ。紙コップが空になってしまうと、友人は黒いマスクで顔の半分を隠した。浅黒く、くっきりとした顔立ちで、同性ながら風貌が良いと思わされるその顔が、こんなご時世故に、常に下半分が隠れた状態になってしまっているのが残念だなぁ、と思う。きっと同じようなことを考えている女子も多いのだろう。

「お前の彼女って、地元だっけ?」

「そ、青森」

「そりゃなかなか会えないよな。こっちは人も多いから警戒してるだろうし…」

「向こうも地元の大学に受かったばかりだったから、忙しいだろうと思って連絡は控えてたんだ。でもこんなに連絡が来ないってことは…もしかして、なのかな」

「…もしかして、って」

「新しい彼氏が出来た、とかさ」

あまり想像したくない展開を口にしてしまい気分が沈む。意外と人懐っこいしな。大学で気の合う男に出会ったのかも。具体的なことを次々と想像してしまい、思わずため息が出る。

「…そんなに心配なのにどうして連絡しないのか、俺には分からん」

「…執着してるって思われるのは嫌なんだ」

「めんどくさいな、お前…」

「何とでも言ってくれ」

 要するにプライドが高いんだと思う。気心が知れている友人にさえ、この話をするのに半年もかかっているくらいなのだから。自分の中では不安や嫉妬や独占欲やどろどろとした感情が渦巻いているくせに、人にはそれらを悟られたくなくて涼しい顔をしてしまう。

 目の前の友人のように、思っていることがはっきり伝えられればなぁ、と羨ましくなったりもする。自分に正直に生きるというのは、言葉で言うほど簡単なことではないのだ。

 

 たまには自分から連絡してみろよ。俺の肩をぽんと叩き、去り際に友人はこう告げた。紙コップをゴミ箱に放りこみながら、たまには人のアドバイスも聞き入れてみるか――そんな気分になった。辺りを見渡すと、夕方の時間帯ではあったが食堂は談笑する学生たちで混雑していた。人数制限をするようになったとはいえ、やはり人と会って話す時間を少しでも長く持ちたいのだろう。

 人との距離を保って、マスクを着用、手は常に衛生を保ち、長居はせず、お喋りは控えめに――

なぜだろう。そう言われれば言われる程に、人の存在が恋しくなってしまうのは。俺が天邪鬼だからだろうか。…それもあるだろうけど、きっと本当に大切なものの存在を、失うことで初めて理解したからだろうと思う。

 つり革を掴んだまま、すっかり暗くなった窓の外の景色を眺める。ふと視線を外すと、「ソーシャルディスタンスを保ちましょう」と書かれたポスターが目に入った。

 アパートに戻ると、郵便受けに大きめの封筒が入っていた。宛名を確認すると、偶然にも、今日散々話題に上がっていた彼女からだった。封を切って中身を確認する。厚みのある封筒と、マスクが大量に詰め込まれていた。便箋十枚くらいの、びっしりと文字が書かれた手紙に目を通す。携帯電話が故障して、なかなか連絡が出来なかったこと。新しい学校生活の話。それから、手作りのマスクを同封したこと。マスクの生地や、デザインにこだわっていたら、ついつい熱中してしまい、思いのほか沢山作ってしまったこと。

「オンライン飲み会とかも考えたんだけど、裕君はそういうの苦手かなと思ってお手紙にしました。会ったら色々話そうね。」

こちらを見透かされているようで、何も言えなくなる。手紙にはこの半年間の出来事が、丁寧に綴られていた。一瞬でも彼女のことを疑ってしまった自分が恥ずかしくなる。彼女はきちんと、この時勢に適応しながら、生きているんだ。彼女自身が出来ることを考えながら。そう思うと、何かのせいにして、何もしない自分が恥ずかしくなった。

 今まで、電話をしたり、手紙を書いたりしたことは無かった。彼女とやりとりを交わす時はいつも直接会って話をしていた。便箋を目の前にして、何を書こうかと思案する。伝えたいことが多すぎて、巧くまとまらない。Jポップの歌詞にあるような、ありふれた言葉だけど、本当にそうなんだと実感するばかりだった。

 まとまらなくても良いからとにかく書こう。こんなご時世だけど、大事な人との関わりまで無くしてしまいたくはない。大きく息を吸い込んで、ボールペンを走らせた。

「お元気ですか。マスクを沢山送ってくれてありがとう。」

そこから先は、無我夢中だった。

                         終

 

 

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