88歳になった母が3日の朝に亡くなりました。

夜中に放射能のことについて、書きながら、母の言ったことなど

思い出していたのですが、園にいて、ヘルパーさんが朝、9時半に

お部屋に用事でいったら、もう、倒れていて、なんか難しい状態で

救急車で運ばれ、私も病院にかけつけたのですが、すでに終わっていました。

人によっては、あっけなかったとか、急だったねとか

いろいろ表現はありますが、毎日を悔いなく、生きて旅立ったし、

私も出来る限りのことはしたので、また来世ね・・と言う気持ちです。

高齢なので、兄弟も、トモダチも皆あちらの世界の人になっていて

すっきりしたものです。わずかの親戚だけのメンバーで、

でも、送るための儀式はちゃんと滞りなく行って

よい、お葬式でした。

なぜか、前の日まで大荒れで、なくなった日から告別式まではよい

お天気で、また次の日から、雨になりました。

十分生きたね、またねと言うと、息のない状態なのに、うなずいたので

もう動かない体を魂の力でコントロールすることが出来るということを

目の当たりにしました。

なので、脳死状態のカラダを移植するということは、私はやっぱり

反対です。体にはまだ魂があるのですもの。

では、いつ、カラダから魂ははなれるの?ということになるのですが

おおむね3~4日かかります。

その前に野辺送りにすると、カラダと魂が一緒に焼かれることになります。

カラダが焼かれることよりも、魂がカラダにまだついていたとしたら、

パニックになるでしょう。迷うし,熱いし、そんなことをしたら、

それこそかわいそうです。

パニックになったら、行き先もなにもあったもんじゃない。

迷いの中にいることになります。

・・・そんなことは信じられないと思う方はスルーしてください。・・・

私は、私のsix senceで言っているだけですので・・

これは、私のブログだから

ひとつよかったことは、これが来年じゃなかったことです。

来年は、マヤ暦の終わりで初めの時、

老体にはかなり苦しいことだと思うからです。

他人には関係ない話だったけど、ちょっとあったので

書いてみました。

それから、いじましいけど、お香典なんて、自分に帰ってくるなんて

思わないほうがいい。

自分が生きていた時、兄弟がなくなった時奮発しても、

自分が無くなった時は、同じだけ返ってなんてこないから。

所詮、人間なんて、そんなものだっていうことも

今回 学習したね。