お釈迦様が人々の苦悩を救う為にこの世に人となって出現されてから約3000年経ちました。
多くの人々がお釈迦様の教えを受け人の幸福について真摯に考え、人々に伝え、今日に至りました。
その間に、多くの考え方の違いによって、多くの宗派が出来ました。キリスト様の教えも全く同じです。
それぞれ目的は同じ人々の幸福のためであったのに、いつしかそれぞれの宗派の勢力争いや、それにまつわ
る金銭などの俗世間のしがらみなどで、大変窮屈な、そして歪曲されたものになってしまいました。
そうした心の隙に人々の幸福をえさにして「魔物の勢力」が入り込んで、じわじわと人間社会の奥深く
入り込み、今のこの文明の底流に余すところ無く浸透してしまいました。
個人がそれぞれ幸せであれば、他人などはどうでも良いと言う社会が出来上がってしまい、
そうした人間達であふれかえってしまったこの世「地球」はこの天体の中で持ちこたえられるのかも
定かではありません。それでも、人々の幸せの為に祈ることが「宗教」であり、
私達が心のよりどころとして必要とするところなのです。
ここまでは「仏教」「キリスト教」の教えです。
次に
地球のアセンションについて
このままでは、地球は人間の悪いエネルギーによって死の星になってしまいます。
メキシコ湾に堆積している原油や、宇宙からの放射線や、鉱石としてあるウランなどは地球のものなので
問題は無いのですが、人工の物はなかなか地球は受け入れられません。どうしょうもないと
諦めなければならない・・・普通ならそう考えても不思議ではありません。
でも、人間も地球上のものだとしたら、所詮人工物だって地球のものなのです。
そう考えると、地球はとてつもない大きな思考をもつ生命と言うことが出来ます。
所詮私達も地球の上で、地球に生かされているものたちなのです。
そこで、アセンションは、実は私達人間のことではなく、地球のアセンションなのだということ。
ついでに、地球に生かされている私達もその恩恵にあずかれるということなのです。
地球がアセンションする時その衝撃はきっと人間にはきついものだと思います。
みなさんは、耐えねばなりません。その覚悟が必要だと言うことです。
生き続けられないこともあるでしょう。でも、生きても、死んでも魂はこの地球上にあるということを
幸せと感じ、また、転生することを信じて今を生きることが肝心だと思います。
多くの人々がお釈迦様の教えを受け人の幸福について真摯に考え、人々に伝え、今日に至りました。
その間に、多くの考え方の違いによって、多くの宗派が出来ました。キリスト様の教えも全く同じです。
それぞれ目的は同じ人々の幸福のためであったのに、いつしかそれぞれの宗派の勢力争いや、それにまつわ
る金銭などの俗世間のしがらみなどで、大変窮屈な、そして歪曲されたものになってしまいました。
そうした心の隙に人々の幸福をえさにして「魔物の勢力」が入り込んで、じわじわと人間社会の奥深く
入り込み、今のこの文明の底流に余すところ無く浸透してしまいました。
個人がそれぞれ幸せであれば、他人などはどうでも良いと言う社会が出来上がってしまい、
そうした人間達であふれかえってしまったこの世「地球」はこの天体の中で持ちこたえられるのかも
定かではありません。それでも、人々の幸せの為に祈ることが「宗教」であり、
私達が心のよりどころとして必要とするところなのです。
ここまでは「仏教」「キリスト教」の教えです。
次に
地球のアセンションについて
このままでは、地球は人間の悪いエネルギーによって死の星になってしまいます。
メキシコ湾に堆積している原油や、宇宙からの放射線や、鉱石としてあるウランなどは地球のものなので
問題は無いのですが、人工の物はなかなか地球は受け入れられません。どうしょうもないと
諦めなければならない・・・普通ならそう考えても不思議ではありません。
でも、人間も地球上のものだとしたら、所詮人工物だって地球のものなのです。
そう考えると、地球はとてつもない大きな思考をもつ生命と言うことが出来ます。
所詮私達も地球の上で、地球に生かされているものたちなのです。
そこで、アセンションは、実は私達人間のことではなく、地球のアセンションなのだということ。
ついでに、地球に生かされている私達もその恩恵にあずかれるということなのです。
地球がアセンションする時その衝撃はきっと人間にはきついものだと思います。
みなさんは、耐えねばなりません。その覚悟が必要だと言うことです。
生き続けられないこともあるでしょう。でも、生きても、死んでも魂はこの地球上にあるということを
幸せと感じ、また、転生することを信じて今を生きることが肝心だと思います。
