久々の書き込みです。
縁を頂きまして、川崎大師中書院での鶴友茶道研修会のお茶会を楽しみました。
3席共に良いお席で春の一日を堪能しました。

最近の心に残っている言葉は、同門2月号にある木下收氏による松平不昧公と松永耳庵翁に関しての記述です。
コピペではありますが耳庵の茶道観を示す言葉「茶道は概念でなく生活そのもの。理念ではなく実践である。そのいきついたところよりも道程が面白く、自分で作っていく芸術である」を引いています。
また、不昧公に関しては茶禅一味といった茶の湯に対する真っ直ぐな姿勢を見せる一方「茶をたてて 道具を求めて 蕎麦を食ふ 庭を作りて 月花を見ん その外望みなし 大笑 」と引用しています。
2年ほど前に松永記念館を訪れて求めた設立60周年記念特別展の記念誌「お茶をする、遊ぶ、生活する」を読み返すに、正に公と翁が重なり面白い感慨です。
耳庵翁の主張「茶道は概念でない、生活である。理念でなく実践である」 この言葉は2年ほど前から心に残っています。
数十年前に求めた正法眼蔵の入門解説書秋月龍みん著「正法眼蔵を読む」の解題 永平道元の人と思想について に道元の基本思想としての「本証妙修」の説がある。
続いて耳庵翁の言葉と重なると感動する内容をコピペであるが記します。
いわゆる「威儀即仏法、作法是れ宗旨」という彼の生活禅の主張がそこにある。彼は坐だけにとどまらず、行 住 坐 臥の四威儀に、日常の挙措進退の作法に「本証の妙修」を実現成就しようというのである。彼はこうして「作法」や「威儀」に「本証妙修」という「宗旨」を、「仏法」の大事を見るのである。馬祖のいう「平常心これ道」である。
おかげ様でまったりした一日でした。