【術後36日目】 6/14(金)


夫と2人で、初めて成育を訪問。

(汽車ポッポにビックリしたな


神様と呼ばれている先生と移植コーディネーターさんにお会いしました。


移植について、一通りご説明頂いた後、

身長と体重、家族構成を聞かれました。


先生が話の途中に移植外科 外来で来ていたお母さんと1歳のお子さんを連れてきてくれて、少しの間、お話を聞きました。


元気なお子さんと明るいお母さんで、凄く前向きになれた。


何か聞きたい事ある?と言って頂き、

私がした質問は、コレ


①手術後、合併症のGVHDが起きる可能性


②移植前、予防接種うけれるか


③退院後、外出・集団生活はできるか


④毎年、健康診断の心電図検査で不完全右脚ブロックで要経過観察になる。ドナーになれるか


⑤再移植、という人もいるのか


⑥将来、妊娠・出産は可能か


全ての質問に丁寧に答えて頂きました。



①手術後、合併症のGVHDが起きる可能性


→GVHD(移植片対宿主病)はドナーのリンパ球がレシピエントの正常臓器を異物と認識して攻撃する術後の合併症の一つ(ネットより)

拒絶反応の逆バージョンかな。


先生には、これは起こらないと思って良いって言われたような(肝心な事ウロ覚え)

ヒトには免疫機構のHLA番号があり、両親から半分ずつ受け継いでるらしい。(完全に一致はしない)


その為、生体肝移植は可能性低いって言われたような(あれじゃあ脳死からの移植はどうなるんだろ。。)

遺伝子検査はすごい時間かかるから、移植前はやってないはずだけど、ドナー検査の中でHLA検査を実はやってくれてんのかな。

(気になる人は移植外科の先生に直接お願いします。すんまへん



②生ワクチンは4週間前、不活化ワクチンは2週間前までOK。(多分、、私の記憶が正しければ)

接種前、感染症科の先生と打ち合わせした。娘は移植19日前に不活化ワクチン接種。



③肝移植ハンドブックにも詳しく書いてあるけど、先生も外出して良いよ〜って。

術後1ヶ月以降から、園児200人以上の幼稚園に毎日一緒に送迎行ってまふ(移植コーディネーターさんに相談した上で)


削除)肝移植ハンドブックの内容を記載していましたが削除しました(>人<;)2020.6.8



④ドナーは健康じゃないと、なれないよ。

先生の勧めでドナー検査前に大学病院で心臓の詳しい検査をした。(ドナー検査で心電図NGだったら時間もないし、お金も帰ってこないしね…)



⑤再移植の可能性を聞くなんて、信用してないみたいで、振り返るとめっちゃ失礼ーーー!!


でもこれが一番心配だったから、どうしても先生の口から聞きたかった。

先生は、それは考えないでおきましょうと静かにおっしゃいました。うん、やっぱ失礼だったわ。



⑤妊娠・出産できるか。


これが女の一生なわけではないんだけどさ。仕事や趣味に生きるのでも楽しければ良いんだし。でも親として気になる。




先生は




「当たり前じゃん!!そのためにするんだよ!」



「普通の生活をしながら、

小学生になって、中学生になって、高校生になって、大学生になって、社会人になって結婚して子供を産んで、


おばあちゃんになってから死ぬんだよ。」




この言葉がすっごく嬉しくて。号泣した。


健康な子でも何歳まで生きれるかなんて誰にも分からないけど、ピーちゃんも『おんなじ』って思って良いのかなって。




あと

「お母さんは悪くないから!1万人に1人出ちゃうんだよ!」と



言って頂きました。


先生に言ってもらえて、ポジティブになれました。本当に言って欲しい言葉をくれる先生ですね…




印象的で一生忘れないと思ったのは、先生が私のお腹を触って

「ここだよ、ここを切るんだよ。」って

結構ウッてなるくらい割と強めに押した事。(夫がドナーになる可能性は諸事情で低かった為、私ありきでした)


皆にやってる事だとは思うけど、先生は分かったのかもしれない。



猶予があまり無い状況で私の覚悟が足りてないって。




私さ


ドナーになる気まんまんなのに

自分が手術台にのるってイメージは全然わかなくて。



しかも


大学病院の沢田先生(実名でない)が、御膳立てしてくれたからトントン拍子でここまで来れて。沢田先生が別の先生とツーカーの仲だったら、違う病院で移植してたと思う。


それぐらい神様先生がどれだけ凄い先生か分かってなくて(朝日新聞デジタルの記事を読んだだけの知識)


だから例えるなら成育に来た日は、



自分が行く学校なのに

母親が全部決めた志望校に受験票だけ持って受験しにきた小学六年生、って感じ。



まったく、『自分』が入ってない。



気合いが入ってない。



だからかな。先生は



実際に切る場所を教えるのと同時に



気合いスイッチも押してくれました。



私が手術台にのるんだ。

移植に向けて、やれる事(運動とか)やらねばと。






子供達を産んだ日、移植した日、

先生に初めて会った日



90歳でボケても

これだけは忘れないと思う。