先生からの中間報告が来た事を
LINEで連絡したので、エレベーターから出てきた時点で夫は怒り顔。
中間報告の内容は、ずっと筆談かLINE
だって
隣のご家族が
子供産まれたばかりで
幸せいっぱい
だったから。
ピーちゃん出生時の事を思い出した。
どうやらよそで出産したけど、まだ正産期に入ってなくてこの大学病院に搬送されたらしい。でも赤ちゃんは特に問題なかったようで。
私も1人目、2人目切迫早産だったから
無事産まれて良かったって気持ち、分かる。
小児病棟とNICUは同じ階で、その親族はだいたいエレベーター前のソファーの待合所に集まる。
かなり広いエレベーター前に
ソファーは向い合った2つしかない。
常に幸せと喜びの会話&各所への出産報告の電話の内容が聞こえる。(病棟フロアで、電話OKな場所)
そして声がデカい。
キツかった。
心、無にしてました。
多分、私と夫、
顔ずっとこんな感じ→
(しかも、私は兄のお迎えで一旦抜けたけど夫はその家族とベッタリ一緒だった。)
そして幸せ家族と親族が帰り
誰もいなくなってから、夫婦で移植の話をしていました。
リバーシブル説を信用しないわけじゃないけどもう、ちょっと厳しいのかな…と諦めモード。
例えば、どちらがドナーになるかの話。
夫は、
「お兄ちゃんの精神面を考えると、ドナーは俺の方が良いと思う」って言ってくれた。
でも私は、自分がドナーに絶対なるって思ってた。
こうなった自分の責任と、娘への申し訳なさと、
「もし、仮にパパが死んだら
今の生活は維持出来ない。働いてもパパ程稼げないし、お兄ちゃんの生活スタイルも変わる。大学まで行かせてあげたい。本人の好きな進路が選べる環境にしてあげたい。」
(ドナーが死ぬ事あるって一切聞いた事無いけど。でも手術のリスクはある。全身麻酔のリスクも。)
「パパの代わりは物理的、経済的にいないけど、ママの代わりは物理的には、いるよ。ばあばズに面倒をかける事になるけど。」
夫
「いや、生命保険かけてるから、大丈夫だよ…」
って苦笑してたけど
私の【自分がドナーになる】意思が固いと見え、それ以上は何も言ってこなかった。
長い長い待ち時間
私達が座ってこんな話をしてる中、先生がたは、ずーーっと立ちっぱなしで、手術をしてくれていた。
子供が肝硬変になるまで放置してた自分の愚かさ。こんな状況になり、今、何も出来ないでいる。
世の中には
贖罪のため、自ら命をたつ人がいるけど、
それに近い気持ちで、私は自分がドナーになりたかった。