入院した病院の医師から、この後の処置手術等の方法はありませんと言われた。
余命云々の話も聞き、母には伝えなかったが、本人は、おおよその見当が付いている様子だった。
退院して自宅療養をするか、医療施設に入所するかの選択をせまられ、本人の意向で医療施設への入所を決めた。
入所後すぐに80歳の誕生日を迎えた母。200名程いる入所者の中で11月のお誕生日は母だけだった。
盛大に誕生日会を開いてもらい、満面の笑みで花束を受け取り、ケーキのローソクを吹き消す
母は昔、声楽を専攻していたので独唱をする事になった。
そんなある日、自宅2階の古いアルバムを全部持って来て欲しいと頼まれる
モノクロの写真たちは糊で貼られ、何冊ものアルバムの中から、ベリッ、ベリッと黙々と写真を剥がす母。
糊が上手く剥がれない物は、震える手でハサミを使って丁寧に切り取っていた。
『なんなん?』と尋ねると、お父さんと交際を始める前に、ずっと好きだった人がいて、父との交際直後にその人から交際を申し込まれた話を聞いた。
『ならばあと先でも、実は他に好きな人がいて』と話せば良かったのでは?と私は言ったが、それは出来なかったと母は言った。
その方から数日後に呼びされ郷に帰る事にしましたと言われたそうだ。
一心不乱に剥がしていた写真は、サークル活動で、大勢で出掛けた時のその方が写っている写真だった。
母が亡くなる数日前から、我が家のインターホンが真夜中、早朝に鳴る事があり、外を見ても誰もいない。
自分の死期が近づいた事の知らせか?あの写真たちをバレないように引き取って欲しい願いか?
母が亡くなってすぐに、霊感のある知人にみて頂いた。
最期の言葉は『ほなね
』
関西弁でまたね!の意味だ。
あまりにも気楽な言葉。
母はちょっと買い物にでも行く感覚でウキウキと旅立ったそうだ。
でもひとつだけお願いがあると、それはクリーム色の花や物を棺に入れて欲しいと言う話だった。
目印にしたいとおっしゃっていて、お父様との想い出の色でしょうか?と言われた。
通夜、葬儀とバタバタのスケジュールの中、クリーム色の物を探したが見つからず、花屋に行く時間もない。
葬儀の時に、母の親友が棺の中に入れてあげたいとクリーム色のレースのハンカチとクリーム色のキラキラ光る貝殻を持って来られた。
その偶然にとても驚き、棺の中に収める事が出来た。
あとでハッとした
‼︎クリーム色はその彼との想い出の色ではないかと
ならば、ウキウキした気持ちで旅立っていったのもよくわかる
(笑)
これは母と私のガールズトーク
父には永遠に内緒のお話
である