大切な友人とメールのやりとりをしていたところ、私の送ったメールに対して彼女に「この文章の主語ってあなたよね?」と何度か訊かれました。

 

私が思っていること、感じていること書いていたので、その質問の意図がすぐに理解できず、それまでに彼女に送ったメールをいくつか読み直してみました。

 

「きっと、こうした方がいいんだと思います。」

 

「Aさんは〇〇〇したいだろうから、□□していた方がいいような気がします。」

 

確かに。

 

主語があいまいだし、誰の考えや思いなのかわかりにくい。。。


 

昔は意見や考えをはっきり言い、「我が強すぎる」と咎められるくらいだったのに、このメールの私の言葉は、まるで誰かの考えを代弁しているかのよう。

 

その友人とは長い付き合いなので、何年かの間に幸せな時期、辛い時期と、お互い様々な経験をしてきたことを知っています。

 

「自分の人生をどう生きるかを自分が決めている、という実感を持てるようになったのは大きな変化であり、自信となっているよ。」

 

彼女のこの言葉により、

 

自覚できていなかったけれど、いつからか自分の人生を主体的に生きていなかったのかもしれないことや、

 

物事を主体的に選択し、自分の人生の舵をとっていく先にしか、自分の幸せはないのだと、気付かされ腑に落ちました。

 

自分の自信のなさを他人に、たとえば好きな人に愛されることなどで穴埋めしてもらおうとしがちだけれど、穴埋めなどされないのです。

 

そういうことで得られる自信があったとしても、それは一時的に満たされた感覚に近く、もし穴埋めしてくれていたように感じていた人がいなくなったら、愛を注いでくれなくなったら、もろくも崩れ去ってしまいかねません。

 

自分の人生を主体的に生きていく。

 

決して仰々しく考える必要はなく、今日食べるもの、行きたいところ、手にする本などを、自分の好きという感覚、心と体の声にまず忠実にチョイスしていくことから始めていけばいいのでしょう。

 

家族や子供がいると、「自分の好き」だけで選ぶなんて無理よ、という意見も当然あると思います。

 

しかし、誰かのためにやっていること対し、自分もそうすることで満足し、幸せを感じていなければ、自分のためにやっていると感じられていなければ、後々「その人のために自分はこうしてあげたのに」と、相手を責めることになるかもしれません。

 

つまり、相手に合わせたことで、その相手がどんな反応をしても、たとえ自分のもとを去っていったとしても、「自分よりも相手を優先してあんなにしてあげたのに」、とならないように、

 

人に期待せずに、まずは主体的にひとつひとつを選択し、積み上げていく。

 

このことに気づいてからまだひと月ほどなので、発する言葉から今日のランチを何にするかなど、小さな選択をひとつずつ、私の心身に心地良いのはどれか、幸せなのか、問う毎日です。

 

この小さな積み重ねがきっと少しずつ自信へと繋がっていき、

「私にとっての幸せな人生」をクリエイトしていけるのではないかと、春の訪れに小さな喜びを感じながら、考えるのです。

*Attached photo I took a couple years ago but still my favorite one.