「フォークシンガー・松山千春に魅せられて ~LIVE FOR TODAY 今日を生きる~」 -2ページ目

「フォークシンガー・松山千春に魅せられて ~LIVE FOR TODAY 今日を生きる~」

ご訪問頂きありがとうございます。松山千春さん、玉置浩二さん、など私の好きな歌手の方々の事や日々の出来事など中心に不定期に書いています。

いつもブログをご覧下さりありがとうございます。



祖母が去る1月14日、午後22時40分に永眠致しました。

91歳でした。

お通夜、葬儀ともに家族、親戚だけの近しい人間だけで家族葬という形で無事に終える事ができました。



前回の記事で書きましたが、奇跡を信じて祈る毎日でしたが、とうとう奇跡は起きませんでした。

亡くなる前日、当日と、容態も少し落ち着いていて、主治医の先生からも『今は小康状態です。ここから少しでも持ち直してくれたら』とお話をされていました。

亡くなった日も、昼間、そして夜と仕事の合間に病院へ行きました。

夜に行った際には、眠ったままの祖母へ『また明日も来るから、元気になってお家へ帰ろうな』と声をかけて帰りました。


そして、22時過ぎに携帯に着信が。

嫌な予感がして出ると、案の定、病院からの電話で、急に脈が下がって危険な状態です、と。

慌てて病院へ向かい、病室へ急いで駆け込むと、酸素マスクをした状態の祖母、そして傍らに当直の先生と電話をくれた看護師の方がいて『先ほど、心配が停止した状態となりました。脈もない状態です』と。

私は精一杯、声をかけ続けました。遅れて両親も到着し、声をかけましたが、反応はありません。

父親が私に『もうええか、よぉ頑張ったから』と言い私も『そうじゃな。ええよ』と。

『先生、もう楽にしてやって下さい』と父親が先生に告げ、祖母を確認して『22時40分、ご臨終です』と。


とても安らかで、そしてキレイな顔をしてました。

今にも目が開いて、起きてくるような気さえしました。

できる事なら、もう一度目を開いて欲しかった。

もう一度、私の名前を呼んで欲しかった。

もう一度、いろんなお話をしたかった。

ですが、それも叶わない願いとなってしまいました。




6年ほど前に、難病である「重症筋無力症」を患ってからは、常に病との戦いでした。

その後「肺腺ガン」にもなりました。

それでも、その度に病を克服して、難病と向き合いながら生きてきました。

そんな祖母には「今まで、よく頑張ったね。本当にありがとう」と言う言葉しかありません。


3年前に亡くなった祖父以上に私に十分過ぎるほどの愛情を与えてくれました。

私はその半分も祖母に対して何もしてあげる事ができなかったと思います。

祖父の時と同様、悲しみと悔いばかりが残る形となりましたが、それでも前を向いて、これから歩んでいかないと、祖母も心配で成仏できないと思いますので。



あちらの世界へ行って、じいちゃんと再会してまた色々口喧嘩しながら仲良く一緒にいてな。

亡くなった親戚のおじちゃんやおばちゃんたちとお喋りしたり、また昔のようにみんなと色々な所へ旅行に出掛けてな。

俺がいつか、そっちへ行った時には一番にじいちゃんとばあちゃんを探して会いに行くから。

そして、今度生まれ変わる事ができたなら、またじいちゃんとばあちゃんの孫として生まれ変わるから。

病気になってから今まで本当にしんどかったし、辛かったと思うけど、一生懸命頑張ったね。

どうか、安心してゆっくり休んで下さい。

今まで生きてきた俺の人生、ばあちゃんの孫で本当に良かった。ただただ感謝しかないよ。

本当にありがとう。



私自身の気持ちの整理ができるまで、ブログは休止致します。

長文、最後まで読んで頂きありがとうございましたm(__)m