─はじめに感じたのは風だった。
それは私-ソフィーナ-にとって初めて感じる爽やかな風。
私がもともと暮らしていた黒の世界-ダークネス・エンブレイス-では感じられない、爽やかな風。
次に飛び込んできたのは、光。
常に闇に覆われていた黒の世界では、そもそも感じることのないまぶしい光。
私にとっての『光』とは、暗い街の街灯と、魔法が起こす火の灯りと、まるで血のように赤い月が発するわずかな輝き。それだけだった。
青の世界-地球-は、こんなにも爽やかな風と、思わず目を閉じてしまうような光に包まれた世界。
"門(ハイロウ"をくぐった私は、この一瞬で、この世界に恋をしてしまったのだろう。
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「ソフィーナちゃん!大変なんだよ!」
青の世界-地球-の中でも、日本という国の気候は独特だ。特に今の季節、夏は、他の世界では考えられないほどに暑い。気温が高いだけではなく、湿度が高いのだ。その不快さといったら、魔法の釜に放り込まれたカエルの気持ちがわかるほどだ。あぁ、今までに私が放り込んできたカエルたちよ。お前達には申し訳ないことをした。そんな無意味な謝罪を考えてしまうくらい、とにかくこの世界、この国の夏は暑いのだ。
そんな私の不快指数を更に跳ね上げるけたたましい声と、悔しいことに涼しさを運んでくる爽やかな風。
「何よ美海、騒々しい。」
わざと不機嫌な感情を漂わせて返す。しかし風を運んできた少女は、そんなことは気にせずに続ける。
「夏休みの宿題が、終わってないんだよ!」
今日は8月31日である。青の世界の常識で言えば、学生達の夏季休暇の最終日であり、もちろんそれはここ『青蘭学園』も例外ではない。
「終わってないのはね…数学と、英語と、世界史の黒・青・赤・白…。あとはエクシード理論と…」
「何よそれ、ほとんどじゃない。」
あきれた顔で美海の言葉を遮る。驚いたことにこの少女は、このひと月の間、とにかく遊びほうけていたようだ。
「そんなことないよ!ちゃんとやったんだよ?…自由研究だけ。」
「一応聞いてあげるわ。何を研究したのかしら。」
「よくぞ聞いてくれました!なんと私の自由研究は…題して『黒の世界からきたソフィーナちゃんのすべて』!いやあ、ソフィーナちゃんて意外と」
「即刻破棄しなさいその研究は!」
この夏休みの間、やけに美海がつきまとってくると思ったら、そういうことだったのかと納得する。
「だって大好きな友達のことなんだよ?研究したくなるじゃない!」
…あぁ、本当に悔しい。なぜ自分は、この美海の笑顔を見ると黙ってしまうのだろう。そもそも無礼ではないか。私は黒の世界-ダークネス・エンブレイス-の女王の命を受けた『理深き黒魔女』である。そんな私に対して『友達』などと…。あまりの怒りに、私の頬が赤く染まるのを感じる。そう、これは怒りゆえである。
「だ、だ、誰が友達よ!」
「ソフィーナちゃん…顔赤いよー?」
また更に怒りで体温が上昇し、頬が赤く染まったのを感じる。繰り返すが、これは怒りゆえなのだ。決して、そう決して、照れているわけではない。
「コホン。」
取り繕うための咳払いをひとつ。これは、この世界に来てから身についたものだ。この少女のせいで取り乱した自分を取り繕う悪癖だ。
「宿題が終わってないのはわかったわ。それなら大変ね。こんなところで油を売っている場合ではないんじゃない?」
嫌味を口にしてみたものの、次に彼女が言う言葉はきっと…
「えへへ…私一人だと終わりそうもないから…ソフィーナちゃん、手伝ってくれないかな?」
ほら、予想どおりだ。この子はいつもこう。出会ったあの日も、今日も、私を風に巻き込んでいく。
「嫌よ。私は休暇の最終日を優雅に楽しんでいるの。それに宿題は自分でやらないと、身にならないでしょう?」
私は悪あがきの正論を振りかざす。だが本当はわかっているのだ。自分は、この風には逆らえないということを。
「でも私は…夏休み最後の日を、ソフィーナちゃんと一緒に過ごしたいなぁ、なんて。」
ずるい。本当にずるい。
また私の周りに風が吹く。彼女が起こした、爽やかな風が吹く。
「し、仕方ないわね!今回だけは特別に、この『理深き黒魔女』が力を貸してあげるわ。感謝しなさい。」
次に飛び込んでくるのは、光。眩しく輝く美海の笑顔。
「やったー!ソフィーナちゃん、大好きだよ!」
これはもう、認めるしかないのだろう。
私は、この世界に…。
この子に、恋をしているのだと。
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Written by ればにら