昨日10日付けで仕事を辞めました。
専門学校を四年行ってから初めて就いた会社が今の施設でした。
その当初はヘルパー2級も持っておらず。
専門学校で全般的な介護の勉強をしたのと。
ダブルスクーリングで行っていた社会福祉士関係の知識しかなかったです。
オープンしてから3ヶ月のまだ新しい施設で。
私は学校を卒業する前から就職活動してましたが。
なかなか決まらず。
そのとき。
いつも母親が通っている美容室の店長に。
店の常連さんで新しく施設を建てる人がいるから紹介するよ、と言われ。
全く知識の無いまま、面接し、合格しました。
今でも思いますよ。
介護未経験、資格未修得の人間をよく雇ったなぁ、と。
いまだに未経験でも採用するというのは変わりませんけれどもね。
その当初の職員の人は皆厳しく。
仕事を教えてもらおうとしたら。
「仕事は見て覚えるものだ」
と怒られ。
教えられたとおりにやっても、違う職員にそうじゃない、といわれ。
挙句の果てには、休みたいと言わないと休めないよ、という。
シフトさえ出来ていなかった状況で。
100人で満床なのですがその当初はまだ60人ぐらいしか入所者がおられず。
それでも楽しくやっていましたねぇ。
レクリエーションをやったり。
楽しく歌を歌ったり。
なにか作品を一緒に作ったりもしました。
入所者が100人になってくると段々大変になってきて。
日々業務に追われていましたね。
もう毎日が必死でした。
そんな時に認知症フロアの2階に移動になり。
認知症が理解できないと悩みに悩んで。
介護をやって生きがいを見つけた私は。
入所者に「ありがとう」と言っていただけるその言葉が活力だったのです。
その言葉で人の役に立っている、生きている意味がある、と思ったのです。
それなのに。
汚れたオムツを替えようとして顔を叩かれたり。眼鏡を飛ばされたり。
その眼鏡を踏まれて曲がってしまったり。
人のためにやっているはずなのに、なんでこんなに辛いんだろう、と。
そして、入所者に顔を覚えてもらえない。
毎日笑顔で挨拶するのに、怪訝な顔をされたり。
それが一番辛かったなぁ。
その時期が一番落ち込んでいましたねぇ。
そして3階に移動。
2年前とは大違い。
職員同士が全く協力しない。
3階は入所者も多く仕事量も多いのに。
業務役割分担ががっちりしてしまって。
自分の仕事が早く終わったから手伝おうと思ったら。
「いいです。自分の仕事はおわったのですか?」と言われ。
他の仕事をしていると「そんなことしなくてもいいです。自分の仕事をしてください」といわれ。
その当時のリーダーは何を提案しても「無理」といって改善してくれず。
結構戦いましたけれどね。
介護は協力しないとできないものなのに、と。
そのリーダーも辞めてしまい。
看護師長も辞めてしまい。
看護師長は私が辞めると何度懇願してもやめさせてくれなかった人ですから。
その人が先に辞めてしまいましたからね。
パートさんも入ってきて。
私が休憩時間を削ってやっていたシーツ交換とか。
入浴介助に入ってくれるから夜勤明けの手伝いができて、夜勤明けがサービス残業が少なくなる、という。
改善されたところは沢山あります。
けれども。
元々マイナスの部分が0になっただけで。
よくはなっていないのですよ。
毎日食事介助と排泄介助の日々。
コミュニケーションは全く取れず。
私のしたかった介護は一体なんだったんだろう、と悩み。
ただただ仕事をこなす日々。
楽しくなかったですねぇ。
それでも3階は入所者が顔を覚えてくれたり。
「ありがとう」と言ってくれたり。
それが救いでしたね。
介護でその見返りを求めるのはダメですかね。
私はその言葉がないと生きていけません。
それもコミュニケーションツールの一つですから。
上司も変わり。
よくなっていくのかな、と思ったら。
結局はなにも変わらず。
何度事務所にお願いに言っても。
事務長に現状の改善を要求しても。
話は聞いてくれるけれども、何も変わらなかったなぁ。
この先、この施設どうなるんだろう、と思っていたら。
8月の初盆をくれない、という話。
1月に亡くなった祖母の初盆をしたいから。
5日間休みを欲しいと言ったのに。
「人が辞めるから3日しか無理です」
と言われて。
本当にショックで。
職場の帰り道、ヨドバシカメラでサバイバルナイフがないか、と探しましたからね。
それほど落ち込みましたから。
自分の腕を切りながら初盆の大切さをアピールしたら通じるかな、とおもったのですが。
実行には移らず。
このことを家族に話したら。
家族が怒り。
すぐに退職願を書け、というので書いて。
次の日主任に突きつけました。
結局4日だけもらえて。
5日目は鹿児島から新幹線で大阪に帰ってきてすぐに夜勤でしたからね。
あれはハードだったなぁ。
11年間頑張ってきたのに。
こんな扱いを受けるんだ、と。
情けなくなりましたよ。
もう心が折れてしまったので。
一度引き止められましたが。
「一時の感情で辞めるのはかわいそうだ」と一番上の上司に言われましたが。
私が切れるほどのことをされて、いまさら、という話です。
もう折れたものは治らないのですよ。
そんな仕打ちをしたのだから。
人間関係は良い感じでしたし。
職員は良い人ばかりでした。
入所者も優しい人ばかりで。
私がいつもしんどそうな顔をして働いているので。
いつも心配してもらえました。
それが幸せでした。
今回は自分の年齢もありますが。
腰痛がますます酷くなっているので。
もう夜勤は無理かな、と思いまして。
対外的には腰痛で辞める、ということになっています。
辞めるのなら寿退社がしたかったなぁ。
この11年半はいい勉強になりました。
あっという間でしたわ。
楽しかったし。
嬉しかったし。
悲しかったり。
沢山の思い出があります。
その思い出を大事にしまいながら。
つぎに進んで行こうと思います。
しばらくはゆっくり休みますけれどね。
有給消化で12月の初めまでは有給で過ごせるので。
消化してしまってからすぐに次の仕事を探そうかな、と。
11月には田舎に帰って味噌作りの手伝いをしたりしないといけないので。
10月末にはケアマネージャーの試験があるので。
これからばりばり練習しないといけませんね。
ゆっくり出来そうであっという間に過ぎそうな気がします。
さて。
新しい道を進んで行きます。
ありがとうございます。
頑張ります。
専門学校を四年行ってから初めて就いた会社が今の施設でした。
その当初はヘルパー2級も持っておらず。
専門学校で全般的な介護の勉強をしたのと。
ダブルスクーリングで行っていた社会福祉士関係の知識しかなかったです。
オープンしてから3ヶ月のまだ新しい施設で。
私は学校を卒業する前から就職活動してましたが。
なかなか決まらず。
そのとき。
いつも母親が通っている美容室の店長に。
店の常連さんで新しく施設を建てる人がいるから紹介するよ、と言われ。
全く知識の無いまま、面接し、合格しました。
今でも思いますよ。
介護未経験、資格未修得の人間をよく雇ったなぁ、と。
いまだに未経験でも採用するというのは変わりませんけれどもね。
その当初の職員の人は皆厳しく。
仕事を教えてもらおうとしたら。
「仕事は見て覚えるものだ」
と怒られ。
教えられたとおりにやっても、違う職員にそうじゃない、といわれ。
挙句の果てには、休みたいと言わないと休めないよ、という。
シフトさえ出来ていなかった状況で。
100人で満床なのですがその当初はまだ60人ぐらいしか入所者がおられず。
それでも楽しくやっていましたねぇ。
レクリエーションをやったり。
楽しく歌を歌ったり。
なにか作品を一緒に作ったりもしました。
入所者が100人になってくると段々大変になってきて。
日々業務に追われていましたね。
もう毎日が必死でした。
そんな時に認知症フロアの2階に移動になり。
認知症が理解できないと悩みに悩んで。
介護をやって生きがいを見つけた私は。
入所者に「ありがとう」と言っていただけるその言葉が活力だったのです。
その言葉で人の役に立っている、生きている意味がある、と思ったのです。
それなのに。
汚れたオムツを替えようとして顔を叩かれたり。眼鏡を飛ばされたり。
その眼鏡を踏まれて曲がってしまったり。
人のためにやっているはずなのに、なんでこんなに辛いんだろう、と。
そして、入所者に顔を覚えてもらえない。
毎日笑顔で挨拶するのに、怪訝な顔をされたり。
それが一番辛かったなぁ。
その時期が一番落ち込んでいましたねぇ。
そして3階に移動。
2年前とは大違い。
職員同士が全く協力しない。
3階は入所者も多く仕事量も多いのに。
業務役割分担ががっちりしてしまって。
自分の仕事が早く終わったから手伝おうと思ったら。
「いいです。自分の仕事はおわったのですか?」と言われ。
他の仕事をしていると「そんなことしなくてもいいです。自分の仕事をしてください」といわれ。
その当時のリーダーは何を提案しても「無理」といって改善してくれず。
結構戦いましたけれどね。
介護は協力しないとできないものなのに、と。
そのリーダーも辞めてしまい。
看護師長も辞めてしまい。
看護師長は私が辞めると何度懇願してもやめさせてくれなかった人ですから。
その人が先に辞めてしまいましたからね。
パートさんも入ってきて。
私が休憩時間を削ってやっていたシーツ交換とか。
入浴介助に入ってくれるから夜勤明けの手伝いができて、夜勤明けがサービス残業が少なくなる、という。
改善されたところは沢山あります。
けれども。
元々マイナスの部分が0になっただけで。
よくはなっていないのですよ。
毎日食事介助と排泄介助の日々。
コミュニケーションは全く取れず。
私のしたかった介護は一体なんだったんだろう、と悩み。
ただただ仕事をこなす日々。
楽しくなかったですねぇ。
それでも3階は入所者が顔を覚えてくれたり。
「ありがとう」と言ってくれたり。
それが救いでしたね。
介護でその見返りを求めるのはダメですかね。
私はその言葉がないと生きていけません。
それもコミュニケーションツールの一つですから。
上司も変わり。
よくなっていくのかな、と思ったら。
結局はなにも変わらず。
何度事務所にお願いに言っても。
事務長に現状の改善を要求しても。
話は聞いてくれるけれども、何も変わらなかったなぁ。
この先、この施設どうなるんだろう、と思っていたら。
8月の初盆をくれない、という話。
1月に亡くなった祖母の初盆をしたいから。
5日間休みを欲しいと言ったのに。
「人が辞めるから3日しか無理です」
と言われて。
本当にショックで。
職場の帰り道、ヨドバシカメラでサバイバルナイフがないか、と探しましたからね。
それほど落ち込みましたから。
自分の腕を切りながら初盆の大切さをアピールしたら通じるかな、とおもったのですが。
実行には移らず。
このことを家族に話したら。
家族が怒り。
すぐに退職願を書け、というので書いて。
次の日主任に突きつけました。
結局4日だけもらえて。
5日目は鹿児島から新幹線で大阪に帰ってきてすぐに夜勤でしたからね。
あれはハードだったなぁ。
11年間頑張ってきたのに。
こんな扱いを受けるんだ、と。
情けなくなりましたよ。
もう心が折れてしまったので。
一度引き止められましたが。
「一時の感情で辞めるのはかわいそうだ」と一番上の上司に言われましたが。
私が切れるほどのことをされて、いまさら、という話です。
もう折れたものは治らないのですよ。
そんな仕打ちをしたのだから。
人間関係は良い感じでしたし。
職員は良い人ばかりでした。
入所者も優しい人ばかりで。
私がいつもしんどそうな顔をして働いているので。
いつも心配してもらえました。
それが幸せでした。
今回は自分の年齢もありますが。
腰痛がますます酷くなっているので。
もう夜勤は無理かな、と思いまして。
対外的には腰痛で辞める、ということになっています。
辞めるのなら寿退社がしたかったなぁ。
この11年半はいい勉強になりました。
あっという間でしたわ。
楽しかったし。
嬉しかったし。
悲しかったり。
沢山の思い出があります。
その思い出を大事にしまいながら。
つぎに進んで行こうと思います。
しばらくはゆっくり休みますけれどね。
有給消化で12月の初めまでは有給で過ごせるので。
消化してしまってからすぐに次の仕事を探そうかな、と。
11月には田舎に帰って味噌作りの手伝いをしたりしないといけないので。
10月末にはケアマネージャーの試験があるので。
これからばりばり練習しないといけませんね。
ゆっくり出来そうであっという間に過ぎそうな気がします。
さて。
新しい道を進んで行きます。
ありがとうございます。
頑張ります。