日常の出来事

日常の出来事

術後1年半で、乳がんからの骨転移が見つかりました。
再発リスクは低かったはずなのに。
今の暮らしが長く続く事を願うおひとりさまです。
フルタイムで働いてます。治療歴はメッセージボードに記載しました。

2015/9 乳がん検診で右胸にしこり発覚
2015/10 がん専門病院で非浸潤性乳管がんと診断
2015/11 右乳房部分切除手術
2015/12 病理結果で浸潤性乳管がんと診断stage ⅡA ルミナールA。ホルモン治療開始したが、副作用により3週間で中止
2016/1 放射線治療開始(線量高い短期16回
2016/2 薬を変更してホルモン治療再開(トレミフェン)
2017/6 様々な検査の結果、腰椎1箇所に骨転移してる事が確定。ステージⅣとなりました。
2017/7 ホルモン療法は、リュープリン注射+トレミフェン60gに増量に変更。
2017/9 歯科治療終えて4週間毎のランマーク注射開始。
2017/10 CTにて骨転移増悪。ホルモン療法効果なしと判定。閉経前に残るホルモン療法はヒスロンのみとなるため、治療中止。
2017/11 緩和療法として放射線治療5回(20グレイ)

現在までランマーク治療のみですが落ち着いています。
2021/5 腫瘍マーカーが爆治療開始。上がり。リュープリン注射+アナストロゾール

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今夜は眠れずにいます。


右脚が痺れてしまい、10日ほど前に処方された

タリージェ錠5mgが効いていないようです。


相変わらず、仕事はビッシリ。

先日、職場で仕事を一緒にするグループメンバーには、以前からがん治療している事をカミングアウトしました。

みんなで担当している仕事を、一部剥がしてもらうにあたり、その理由説明として。


年末から年始にかけて、様々な検査や、主治医が入れた他科の診察の結果、腰椎4番目のがんの増悪と肝転移が見つかりました。


今まで治療がうまくいってたのに、がんが再び動きだし、治療が効かなくなるタイミングが来るんだなと身をもって実感。


腰椎のがんが増悪して、神経を圧迫して右脚の痺れが起きています。

歩けるのですが、いつ歩きずらくなる時が来るのか考えると怖いです。


がんが動きだすきっかけは、昨年の5月頃の歯の痛みからだと思います。

定期的に近所の歯科でクリーニングして貰っていましたが、上の右奥歯の被せ物から膿が出ている事に歯科衛生士さんが気付きました。

被せ物を外して根管治療を始めましたが、膿がひかず。

夏頃に、がんセンターの歯科にバトンタッチして、抗生物質での治療開始。

CTの結果は、骨髄炎でした。

骨転移治療のランマークも中止になりました。

4週に1回投与してから4年11ヶ月でした。


そこから半年が経過。

11月くらいに右脚の足首辺りが痺れだしました。

主治医には伝え、いったん様子をみる選択に。

翌月も症状変わらずの為、前回の検査から半年以上経過していたのでPETCTを。

さらにMRIを受けて、腰椎4のがんの増悪がわかりました。


ランマーク中止も要因なんでしょうか。


さらに先週、ランマーク中止から半年経過したので、治らない奥歯2本をがんセンターで抜歯しました。

いったん、骨髄炎は治まったものの、抜いてみると周りの組織はかなり炎症していました。

いま、大きく穴が空いてます…

骨の上に、皮膚ができてくるのか心配です。

このまま顎骨壊死になりそうな気がしてます。

今も少しズキズキ疼きます。


肝転移は自覚症状はありません。

もともと、肝嚢胞があったので、それじゃないの?って少し疑ってます。


これから

新しい治療を始めるのですが、抜歯後の炎症が強くまだ始めらず、がんについては2週間無治療中です。


腫瘍マーカーは、相変わらず高いままです。





  


とりあえず脚の痺れだけ、どうにか治まって欲しいです。

ランマーク中止なので、放射線治療できないか週間に相談したいと思います。





今日は通院日でした。

雨の中、憂鬱…

14時過ぎに病院到着。

受付済ませて、採血に。

今日は、ほぼ待たずに採血して頂きました。


売店には、めぼしいお昼ごはんは見つからず、食堂に行きました。

こちらも、ほとんど売り切ればかり( ¯∀¯ )

しょうが焼き定食はあったのでいただきました。


ガラーンとした食堂で、テレビを観てるとLIVE中継していたのが、これ!

もう、テレビに釘付けで観ました。

多分、手賀沼の辺りでしょう。

私が住む近所でも目撃情報がありました。

柏市がこんな注目されるなんて。

この鳥に大きなストレスなく捕獲されますように。

ミナミジサイチョウ 逃げ出し千葉 柏市周辺に 捕獲は難航



遅い昼ごはんを食べて、腫瘍内科の診察に。

いつもよりは、待合も少ないかな。

15:30の予約でしたが、早めに受付をして待ちました。

1時間半も待ち、待ってる患者さんは私ともう1人の患者さんだけ。

17時前にやっと呼び出し機が鳴り、診察室に。


体調変わりないかと聞かれて、最近首が痛いこと、右足の小指辺りが痛むような痺れるような感覚がある事を伝えました。

一時的かも知れないですが、変わった事の一つとして。

ちょっと咳が出たことは言い忘れ。


パルスオキシメーターで酸素を測り、聴診器当てて、リンパをチェックし、いつもより丁寧かも。

先生の雑談も、なんだかテンションが変な感じ…


先月から服用し始めたアナストロゾール。

やはり、ホットフラッシュがいちばん辛いかな。

関節痛はないような。

でも、それこそ右足指の痛みが副作用なのかも知れないと言われました。

ホットフラッシュは、身体が薬に慣れても、副作用が無くなる事はないそうです…

あぁ、残念!!ホントかな?


そこから、採血の結果。

実は腫瘍マーカーが、またまた上昇。

今回は、すごい…

主治医は、だからあんなに雑談して私を和ませようとしたのか?と考えました。



CEA     43.6H

CA15/3  126H

ST439     1.3 (5月)


もうびっくりです。

CEAとCA15/3は、またまた最高値。

CA15/3は先月の2倍近くある。

他の血液検査では、悪い数値は赤血球かな。

数値が高くて多血症かも?と思ったんですが。

でも、これはいつもそうだから関係ないみたい。

腫瘍マーカー以外は、気にする数値ではないんです。


いったいなんなんだ。

お薬飲み始めた反動‪で腫瘍マーカーが高くなる事があるから、そのせいかも知れないと。

私は今までそんな事なかったけどな…


やはり見えないがんがいるとしか思えない!

仕事のストレスのせいかな?

でも、こんなに乳がんの腫瘍マーカー上がるかな?


ショックと言うより、モヤモヤします。

明らかにダルいとかないし、日常生活も忙しく送れてるんだけどな。



来月も腫瘍マーカーの推移を見守る事に。

体調の変化があったら、すぐに電話するように念を押されました。


今月下旬には、乳腺外科の1年ぶりの診察があります。

その前に超音波検査もあります。

苦手な外科の主治医だけど、腫瘍マーカーの事を聞いてみようかなと思ってます。


診察に時間が掛かり、通院治療センターに行ったら、ランマークの予約不備で、看護師さんも、てんやわんや。

最近、主治医はランマーク予約入れ忘れが、よくあり、私が気付いて急遽入れてもらいました。


放射線治療科の診察もありましたが、時間が遅すぎて、別日になりました。

こちらは、良かった!

なんなら診察なくてもいいのに…と思ってる私。







先日、80歳の叔父が他界しました。

昨年6月は叔母だったから、1年経たずに訃報が続きます。


リプログの叔母2の夫にあたります。

昨年は、脳梗塞にもなり、痴呆もどんどん進み、叔母2の手には負えず、特養に入所していました。

コロナ禍で会いに行く事もままならなかったのですが、食事も出来なくなり、そろそろ危ないかも…という事で、叔母2に付き添い面会に行きました。


ガラス越しの向こうに職員さんに付き添われ車椅子の叔父。

視線は、しきりに職員さんを頼るように泳ぎ、私をチラリと見てもわからない様子。

叔母2がマイク越しに、叔父に話しかけると、うんうんと頷きます。

もう声も出ないようです。

50年以上も連れ添った妻の事は分かるようです。

涙ぐむ叔母2は、痩せちゃって別人だし、こんなになっちゃって人間じゃないみたいと毒舌を吐きます…

気持ちは十分わかります。

面会は5分と聞いてましたが、職員さんが長めに時間を取ってくださいました。


食べる事が難しいので、ヨーグルトとプリンを差し入れ。


来週に新型コロナウイルスワクチン接種があるので、私が2回接種分の予診票の記入を代筆してきました。


面会から6日後の早朝、叔父は息を引き取りました。

差し入れしたヨーグルトは1個食べてくれたと聞きました。

延命治療はしないと決めていたので、救急搬送もせず、苦しまずに亡くなったと聞き、良かったのかなと思います。


報せを受けて、叔母2と長男(従兄弟)と遺体対面と引き取り手続きに特養に向かいました。

先週会ったばかりなのに、亡くなったのが信じられませんでした。

眠っているかのような叔父。

腕を触ると細くなってしまっていて、人間は老いてこんなに小さくなってしまうんだなと。

商売をしていた叔父と叔母2の家には、子供の頃から、毎日のように顔を出していたので、昔を思い出してしまいます。


お酒が好きで、お酒に失敗した叔父。傍で見ていた長男(従兄弟)は、叔父とは長いこと疎遠になっていました。

色々と許せなかったようです。


この対面が、相当久しぶりです。

来てくれなかったらどうしようと考えてましたが、さすがに来てくれて安心しました。


葬儀もごくごく身内だけで簡易に済ませました。

親せきも新潟にいる老人ばかりなので、叔父の実妹が葬儀前に顔を見に来てくれたのみ。

コロナ禍だし、仕方ないですね…


亡くなってから葬儀まで5日間待ちました。

コロナ禍なので火葬も、コロナ感染で亡くなった方専用の時間枠があったりと、コロナ感染以外で亡くなっても待つ時間が多いようです。


叔父が火葬されている間、考えていたのは、今まで身内がこの火葬場で荼毘に付され私もここなんだろうな〜とふと思ったり。

葬儀とかしなくていいから、直葬でいいわ。とか。


叔父が高炉から出てきて人の死はあっけないなぁと、ほんの11日間前に最後に会ったのに、今はなんとなく人の姿に骨が並んでいる叔父を見つめていました。

涙は全然出てこなくて…

昨年、妹を亡くした叔母2もあんなに泣いていたのに、夫を目の前にしても実感がなかったようです。

長男(従兄弟)は終始冷静に見えました。


骨上げも1回しかできず、とても事務的な収骨でした。

コロナ禍だから仕方ないのかな…

昨年、野田市斎場の叔母の収骨の際は、とても丁寧に扱って収めてくれました。

自治体や職員さんにもよるのかな。


叔母の家に帰宅し、祭壇を整えて、ひとりになってしまった叔母2が、心配です。

老老介護で大変な時期もあったけれど、居なくなると寂しいようです。


長男(従兄弟)と叔母2は、親子で痴話喧嘩していて間に入る私は苦笑い。

子供の頃から親子の会話を傍で聞いていたので、変わらないなと思うものの、もう少し叔母2を、気にかけてくれたらと心配です。

自分の家庭もあるし、親の事まではお金も回らないのが現実なのかな。

色々とありがとう。頼むね。と私に言い、さっさと帰ってしまった長男(従兄弟)


私は既に両親が他界しているので、近くに住む私が叔母2のサポートをしてあげなければと実感しました。


金銭的には、難しい面もあるから、全面的にはできないけれど、腰の悪い叔母2に変わり、買い物サポートや生活しやすいように家の中を整えたり、今後の事を考えています。


毒舌だけど、佐藤健が大好きだったりかわいい一面もある79歳の叔母2。


これからも仲良くしていきたいなと思っています‪*ˊᵕˋ*