_エジプトの新大統領選出決選投票が終わり、6月21日に選挙管理委員会が正式な結果発表を行うこととなっている。
すでに非公式集計では、イフワーン(ムスリム同胞団)が推すムハンマド・ムルシー氏の当選が確実なようだ。
軍最高評議会としては、もう一人の候補者であった元首相のシャフィーク氏の当選が願っていたことは明らか。
もちろんシャフィーク陣営の集計では、自陣の過半数得票を強調している。
問題は、どちらが当選しても、それぞれの陣営は、その選挙結果を操作されたものと発表するだろう。それほど、まだエジプトの
選挙の公正さは確実なものでないということ。
エジプトの最高裁は、軍最高評議会の意向を受け(証拠はないが)、ムルシー氏の当選に対する事前対策としてエジプト国会の
下院(人民議会)に対して解散命令を出した。最高裁によれば、「現在の議会制度が違憲である」との主張だ。これは下院で大勢
(半数近く)を占める自由公正党(イフワーン系)を牽制したもので、軍がエジプト国内の急進的なイスラム化を阻止しようと
した動きだ。
人民議会解散の理屈は「選挙区制度に問題がある」という論理だ。つまり無所属候補は小選挙区のみの立候補しかできないのに、
政党所属者は比例区と小選挙区ともに立候補できることは不平等だということ。分からない理屈でもないが、新大統領選の投票が
終了した直後に、このような措置をとること自体が、軍が議会での既得権益をイフワーンに渡さないとい姿勢を明確にしたといえる。

今回の新大統領選挙は、ムルシー氏、シャフィーク氏のどちらが勝利しても、あっさりと政権移譲とならないような雲行きだ。
国民の一部には、ムルシー氏が大統領になれば、国民生活の細部にまでイスラム化が浸透し、自由が制限されるのではないか、
との懸念がある。一方でシャフィーク氏はムバラク政権下の元首相であり、軍の傀儡となることは目に見えており、健全な経済の
発展は望めないだろうとの国民の諦めムードがただよう。
今回の選挙は、昨年来の政権交代劇の主役からかけ離れている。

私の個人的な感想だが、エジプト社会は、ある意味成熟している部分がある。もちろん政治的体制や民主主義、人権等の側面
では問題が多いが、最後は長屋の物知り老人が、生き方を教えてくれるという文化がある。
エジプトに吹いたアラブの春の嵐の主役は、イフワーンでも軍でもない。若いリベラル派だ。しかし、これが大きな問題である。
リベラル派が悪いのではなく、彼らは、アメリカ型のリベラル派を念頭に置いているのである。現代のアメリカのリベラルは、こう
考えている。「自由は大切だ。しかし一定の制限は必要である。そうしないと社会を維持できない」。だからアメリカの大統領選挙は
大統領個人の生活態度や避妊や同性愛への価値観等を大事な線引きとするのだ。
しかしエジプトの社会は、そうではない。上記のような問題は、エジプト社会が長い歴史の中で、ある程度の回答を持っているのだ。
それは、ムルシー氏やシャフィーク氏に回答はないのである。もちろんイフワーンの支持を母体とするムルシー氏個人の回答はある
だろうが、それは予想がつくことだ。彼は、エジプトの女性は、イスラム社会の中で、イスラムの法にのっとり生活すべきであると考えて
いるに違いない。シャフィーク氏にしても、エジプト女性の地位向上や同性愛への理解等が政治論点になること等、考えてもいない。
つまり、ムバラクを打倒した主役たちの、本当に求めているような社会とエジプト社会が持っている独特の問題の解決方法とは、
あまりにかけ離れているのである。