震災当時はまだ学生で、関東に住んでいたため大変な事になっていると頭では理解していたが実感としては乏しい想像力、緩い人生を歩んで来たことから心の中では対岸の火事であった。
今は阪神間に住んでいることもあり、やはりこの前後は特別な感情になる。
住んでいる近くが今の姿とは全く異なる状態であったのがインターネットでも見ることができる。
一瞬にして全てが変化してしまう。
大事な人が前触れも無く、加害者もいない中犠牲になる。乏しい想像力でもとてもキツイ。

昨年も震災、災害が多く発生した。
治安はいいが安心して住む事にリスクは少なからずある。それは日本でなくても危険はある。
過去は戦争、飢饉、疫病が人類の敵だったとの事。昔も災害はあったと思うがその後の飢饉の方が深刻だったのだろうか。
今の人類の敵はなんだろう?
人間が成長していくには日々の努力の積み重ねが必要である。
ことわざにも表れているように継続は力なのである。
これは最近子供が学校で日々勉強をして色々覚えてくるのを見るとよく良く理解出来る。
人間は日々勉強して知識を蓄積して身につけて成長していくので、一足飛びに何かを身に付けることはできないのである。天才を除けば。

人という存在が生まれて自立する迄、相当な時間がかかるように肉体的も精神的も非常に脆く、また非常に不安定な存在である。
しかし一旦自立し、目的を見つけた場合には目的を達成するまで諦めずチームワークを経て知恵を出していくことができる唯一の生き物でもあり、それが人類を発展させてきた。

しかしIT様はそんな人々の日々の学びを根底から少しずつ覆してくれている。

人間がチョコチョコ時間をかけて学んできたことはグーグル先生が一瞬で教えてくれるので知識を詰め込む事に意義を感じなくなっている。

もちろんグーグル先生が教えてくれたことを整理して自分が使える情報に修正する必要はあるが、これからは検索能力の向上と情報峻別能力が物を言う時代ではないだろうか。これは学んでいくことではあるが、これまでとは異なる頭の良さが必要となりそうである。






仕事のストレス、家庭の疲れ、人間関係での疲弊、繊細な心を持っていることで精神に日々大きな負担をかけているのではないだろうか。


心も身体も同じで一時的なダメージは治っていくように感じるが、継続的にダメージを受け続けていると少しづつどこかに蓄積されていくようだ。

これは突然花粉症を発症するようなもので、自分のキャパシティを越える負荷になると拒否反応がでるのである。私はアレルギーで突然くしゃみ鼻水が止まらなくなるので困る。

怖いのは精神的ダメージで、全然問題無く生活していたのに何かをきっかけに突然ウツ状態に突入してしまうのである。
もちろん予兆はあったのかもしれないがそれが分かるほどの余裕があればストレスを事前に回避できたはずである。

自分の場合は、打合せで無理難題をふっかけられ、その足で新幹線移動しまた会議、夜は宴会でしこたま呑んでしまい、翌日以降二日酔いのダメージと一緒にストレスの圧力に押し潰されそうな状態で休日も憂鬱度がハンパない状況であった。

そもそもその半年前に関西に異動して慣れない職場と環境の中で右往左往して日々をこなしていたのだが、知らないうちにダメージが蓄積されていたのであろう。

前向きな言葉で継続は力なりとあるが、逆の意味でも悪いものが継続する蓄積され、後々大きなエネルギーとして影響を及ぼすのである。

この蓄積されているものを測る方法があるといいのだがドラえもんの世界だろうかね。
少子化と言われて久しい。
確実に子供は減少している反面、生まれた人は長生きになってきている。
正直お年寄りが100歳まで生きていられたらそれを支える若年層はたまったものじゃない。
そのために子供にはこれから更に社会を安定させて、お年寄りだけでなく自分達が穏やかに過ごせるように、知識と知恵をつけて貰わなければならない。
そこで昨今の小学生の勉強状況だが、社会の構図と同じように二極化されているようだ。
両親が大卒で、共働き、一人っ子の家庭は比較的経済的余裕があるためか将来良い大学に行かせるために中学受験を考え始める。
最近は特に中高一貫校の良さがクローズアップされており、老舗の難関校や伝統校だけでなく公立の中高一貫校も伸びてきている。
確かに中学生の多感な時期に私生活、学校生活、交友関係などで落ち着かないところに更に高校受験も背負わせるかと思うと親心ながらに憂鬱になる。
自分の中学生の時は転校も重なり、環境変化に伴うストレスで一時的にアトピーが強烈に悪化した覚えがある。(高校に入ってから若干改善された)
中高の6年間の中で受験という負荷を減らしてあげることで、交友関係、人格形成上有効に働く方向に進めてあげられれば親としては多少の苦労は(精神的、経済的など)苦にはならないのでは無いだろうか、、
現実の経済的問題について少し整理したい。
これまで1人の子供にかける教育費はもともと聖域と言われていたこともありお父さんの小遣いより強固に守られてきた。親が出来ること、子供に残せるものとしての1番役に立つ教育はこれまでもこれからも重要視される。
これからは日本的な詰め込み型の教育で育った人間ではなくグローバルに対応できるタイプが必要とされるが…
とにかく、少子化傾向が強まり結果的に、家庭に余裕ができるところは老後の貯蓄だけでなく子供の教育費も充実させることができることになる。
しかし実際にはローンか賃貸の家賃を負担しそれなりの消費をしているとそんなに余裕がないことがわかるが、なににも変えがたい子供への教育の沼にはまってしまうと、そこから抜け出すことは簡単ではない。
子供をDQNのいる環境に置きたいとは思わないのは当然であり、出来るだけ環境の良い場所て苦労少なくさせてあげたいが成長には苦労も必要なのである。 
ここ数年、寝る前に首や肩の柔軟運動をしないと翌日以降ひどい肩こりと頭痛に悩まされている。
初めは睡眠不足や疲れ、ストレスかと思っていたが原因はそれだけではなさそうである。
首はストレートネックで肩こり、頭痛
背筋は姿勢が悪いことで逆流性食道炎を患っている。

人間本来の姿勢から外れた状況が続くと健康上悪いことだらけのようだ。

最近ではスマホやパソコンの長時間使用で視線が常に手前か下に来るため、頭が前傾状態になることでストレートネックとなってしまうことが多いようだ。
ストレートという言葉から悪そうな感じはなく、逆に良さそうな感じだが、実は首の基本形状はS字の形となっており頭の重さをショックアブソーバーの様に軽減させているとのこと。
ストレートになっていると首自身だけでなく肩にも負担をかけることで肩こり、首の筋、筋肉痛、頭痛などの症状がでる。
ときどき電車などで、首が異様にまっすぐで亀の様に前方に出ている人がいる。一見健康そうだがいずれ肩こりなりの症状がでるのだろうなと気の毒に思ってしまう。

ストレートネックとは逆で背筋はまっすぐの方が良さそうである。
姿勢が悪いことで症状が出てきたのは、逆流性食道炎である。これは姿勢が悪いことで胃が圧迫され、その結果消化中の胃液が食道に上がって炎症を起こさせるもの。
胃の不快、胃痛などの症状がでることで胃がんではないか?とか心配してしまう。

いい姿勢を心がけていこうと思う。
サラリーマン業界の年中行事の忘年会、新年会シーズンが近づいてきた。
取引先とのイベントなので予定を確保するためにもかなり前からお互いの上司含め日程の調整を進める。
重要度に応じるのか、早い者勝ちなのか分からないが、いかに忙しくて予定が埋まっているかを強調するアホな奴が結構いる。
予定を埋めるために打合せや出張を入れる奴がそれだ。
ここ最近は、忙しさ自慢に加え出張時や経費を建て替えることでマイルやポイントを大量発生させて小銭ならぬ結構な金額を受領している不届き者が多い。確かにマイルが貯まると嬉しいので。
ところで例の年末年始行事だが、年賀状のようにこのタイミングでコンタクトを取ることでビジネスが円滑に進むのであればやはり必要なものなのであろう。

飲み会の上級バージョンであるが飲み会の好きではない自分としては面倒なシーズンが来たのストレスフルになるだけ。
忘年会や飲み会の関係ない業界に移りたい。
小さな頃から社交的な性格ではなかったと思うが、親が転勤族であったことから転校先でうまく馴染んでいくためには表向きだけでも付き合いが良さそうで愛想がいい「ふり」が必要であった。
転校が多かった自分なりの集団の中での処世術を長年実践してきた。
学生生活てあればこの付き合いも長くて3年か4年でリセットされるので大きな負担にならず気にならずに乗り切ってきた。

しかし社会人になって利害関係しかない小さなコミュニティの中では関係がほぼ永続的に続いていくこともあり、自分ではない「ふり」をすることが次第に辛くなって、自分の応対方法に疑問を持つようになってきた。

本当の自分ではないふりをすることは、自分一人になった時の空虚感や疲労感に大きく影響する。
飲み会は顕著で、酔いも手伝ってがいつも以上に、相手に同調したりヨイショしたりしてしまう。
飲み会後はぐったり疲れるし、自分の行為が正しいのか?
そしてそもそもこの飲み会は意味があったのか?自分としてプラスであったのかというところまで考えてしまい余計に疲れるという負のスパイラルに陥ってしまうのである。

そんなに遠慮する相手でもないのに、いい人、物分かりがいい、味方であることを必要以上にアピールしてしまうという第三者から見たら気持ち悪い応対をしているのかもしれない。

素の自分で応対すればいいとアドバイスもあるのだろうが、そもそも素の自分は何も考えていない自堕落な人間なので、さらけ出すのは今の会社での役職、収入を持つ脅かしてしまう。
今の生活があるのでそんなリスクは負えなくて、また今日も人付き合いで疲弊していくのである。

アドラー先生は素晴らしいし考え方は理解できる。
子供への接し方や自分自身の普段の生活の取り組みに参考になる事もある。
考え方、発想の転換をして難しく考えたり悩んでいることを簡単に前向きに捉える。
自分の生活に取り入れて活用すべきヒントがたくさんありそうである。

しかし当該書籍の書名のように強気の言い分を表現しているものは違和感を感じる。

「何何しなさい」とかの書名に近い。
そもそもそういう風に強く生きられないから悩んでいるのに、考え方ひとつで力強くなれない。

嫌われないように嫌われないように頑張って気を使ってやってきたのである。

嫌われてもいいということでは無い思うがなりたい自分となれる自分には大きな溝が存在している。 
1人でも感情の強い部分は周囲の人間の心に大きく影響する。
特に言葉を発さないが負のエネルギーが渦巻いている場合には他人の心の奥底に悪いものが染み付いてしまう事がある。
 

怒りに感情が覆われていたり、言葉の暴力なとで人を支配しようとする人間の場合はその負の部分を周囲に撒き散らしてしまう。撒き散らされた負のエネルギーは影響を受けやすい被害者の弱く柔らかい部分に浸透して人をより悪い状況に陥らせてしまう。

 
負のオーラが出ている人間は自分が周囲に害を及ぼしているとは思っていない。単純にわがままに自分の感情を発散しているだけで、どこにどの様な原因があるか分からないが愛情、友情
人情が不足していることがほとんどである。
 
最近では自律神経の不調や鬱等を心の風邪と言うような柔らかい表現となっているが、やはり心の弱さを、露呈することについては抵抗があるからなかなか悩みを打ち明けられず人知れず重荷に感じ精神を更に悪化させてしまう。

今の様な世の中では、負のエネルギーを持つものが今後増えてしまい、その犠牲になる人間も増えてしまう。なんとか負のスパイラルをなくしたいものである。
 
 
6月の大阪北部地震は通勤時間帯で交通機関が麻痺したため、通勤難民が非常に多かった。
7月の西日本を襲った豪雨は想定以上の被害で未だに爪痕を残している。
立て続けに災害が発生しているため交通機関の判断が明らかに早くなってきた。
おかけで取引先も休業の判断が出てきたので
ある程度気兼ねなく休めました。
こういう方向になるのはいいことだろうな。
仕事より自分、家族の安全が第一である。
仕事のひずみが来なければいい。