さて、筆者は40代である。

 

若者からすれば相当なおっさんだが、残念ながら本人にそんな自覚はない。

 

「世の中の男子は皆厨二病」だと思っているのだが、そんなメルヘンおじさんが人生で最もラッキーだったと思えることがある。

 

それは、妻との出会いだ。

 

妻とは21歳の時に出会っているので、すでに人生の半分を妻と過ごしている。

 

妻との出会いは、当時やっと出回りはじめた、ドコモのiモードの公式サイトだ。

 

若い世代には考えられないことだろうが、公式サイトで個人情報が普通に手に入れられた。

 

メル友(←死語か?)を探すのに、ドコモの公式サイトの中にそれ専用のサイトが作られていた。

 

時代だよね。

 

今だったら危険極まりないけど、個人の電話番号が、普通に掲示板に晒されていた。

 

そんなサイトで出会ったのが妻。

 

すぐに意気投合して会うことになったのだが、会って5分で「絶対にこの人と結婚する。」と確信した。

 

理由なんてない。ただそう思っただけ。

 

予定通りに結婚して、子供は結局出来なかったけど、妻とは人生を共に歩んでいる。

 

結婚というものが一体どんなものなのか、ここからは持論。

 

「結婚とは、赤の他人と文化を築いていくものである」が僕の答え。

 

親は当然血が繋がっている。

 

子供がいれば当然、それも血が繋がっている。

 

親も子供も、当然愛すべき対象なのは間違いない。

 

親を憎んでいる人もいるかもしれないが、気にする対象であることに間違いはない。

 

子供もそうだ。

 

相性が良くない子供だって、やはり気にする対象なのである。

 

では、結婚相手はどうか?

 

結婚相手は、どこまで行っても他人のままだ。

 

全てを放棄出来る、赤の他人。

 

育った環境も違う、歩んできた工程も違う赤の他人なのだ。

 

そんな赤の他人と生活を共にする。

 

これって凄い奇跡なんだと思う。

 

奇跡ゆえに、複雑な事象が発生するのは当然。

 

だからルールが必要になる。

 

幼い頃、友達の家に遊びに行って夕飯の時間が18時だったことに驚いた。

 

我が家は20時だった。

 

それだけでもルールが違う。

 

そのルールに、良いも悪いもない。

 

共にストレスがかからないように、工夫して生活ペースを考えていく。

 

子供が出来ればそれなりに対策して、ルールを決めていく。

 

夫婦間の距離だって、いつまでも同じままでいられるわけがない。

 

その都度、修正が必要になる。

 

これって文化を作っているのと同じだと思う。

 

文化とは「ある集団が持つ固有の様式こと」。

 

つまり〇〇家の固有の様式を、パートナーと作っていくことなのだ。

 

愛はいつか冷める。

 

愛しているは熱を徐々に失うが、文化は熱を失うことはない。

 

常に目の前に必要とされる文化を積み上げていく工程を楽しむのが結婚なのだ。

 

それが楽しいか楽しくないかで結婚生活の良し悪しが決まるのだと思う。

 

愛とは切り離して、作り上げていく楽しみを共有する必要があるのが結婚なんだと思う。

 

持論ですけど。

 

ちなみに妻とは20年以上一緒にいるけど、喧嘩は1度しかしたことがない。

 

たった1度だけ。

 

これを聞くと皆驚くけど、逆に自分が認めたパートナーと喧嘩するメリットって何かある?

 

喧嘩が起こるのはさ、相手が自分の考えてる行動とは違う行動を取った時が多くない?

 

そんなの相手の人格否定なんだと思う。

 

「人は自分の思い通りにならないもの。」って考えていれば、大抵のことは許せる。

 

相手の人格を尊重しないから、喧嘩が起きるものだと考えている。

 

そもそも、色々な人が、自分が予想した行動とは違う行動をするから、世の中面白いんだよ。

 

自分が予想した通りに全てが動いたら、さぞかし退屈な世の中になってしまう。

 

それこそ地獄だ。

 

金子みすゞが言ってるでしょ。

 

「みんなちがって、みんないい」

 

そう思っていれば…。

 

いや、諦めていれば、世の中ストレス少なく生きることが出来る。

 

過剰に期待しないことだ。

 

結婚も同じこと。

 

文化は一朝一夕では築くことは出来ない。

 

だから過剰な期待はしないで、ゆっくりじっくり作り上げて行くといい。

 

それが許容出来る相手こそが、結婚相手に相応しい相手なのだと思う。

 

さて、あなたのパートナーとどうか!?