先ほど11時2分サイレンが鳴り響き黙祷をしました。
子供達は父親の実家に行っているのでベティーと一緒に。なぜか背筋を伸ばして黙祷をする猫でした。

「青い空は  青いままで  子供らに伝えたい  燃える八月の朝  影まで燃え尽きた  父の、母の、兄弟達の  命の重みを  肩に背負って  胸に抱いて」

これは戦争の歌。私が子供の頃学校で習って歌っていた歌は、今でも教えられていて、圭汰も習って歌っています。今でも歌うと涙が出ます。

私は被爆二世です。

父も母も当時2歳で被爆しているからです。

被爆二世については、第一子のみ検診や調査が行われています。私は第二子なので何もありません。

父も母も赤ちゃんだったので、「戦後」の話しかできませんが、私は子供の頃から両祖母に戦時中の話を聞いて育ちました。


私の母校は爆心地から近く、被爆校です。
小学校では被爆して焼け跡がまだ残る校舎を使っていました。
運動場には角材で入り口を塞いだ防空壕がいくつか残っていました。

中学校は亡くなった人を集めて、校庭に山のように積んで燃やした学校でした。
当時生徒だった先生は、廊下を端から端まで飛ばされてガラスの破片がたくさん刺さったと話しておられました。

長崎の小学校では教育習慣に戦争の語りべがあります。

去年、圭汰の学校に聞きに行ってきました。
聞きに来ている親は5人程でした。
子供達も話など聞いておらず、そわそわざわざわよそ見ばかり。

そんな中、涙が止まらない私は語りべの方と何度も目が合って、本当に今でも妹さんを助けられなかったことを悔やんでおり、生きていることすら正しいかわからないとおっしゃっていてとても辛かったです。
泣いているのは私と校長先生だけでした。

毎年のことで、、みなさん慣れているのかと思いました。

語りべの方も随分お年で、これから先語り継がれることがだんだん無くなってきます。身内に戦争の経験者がいるということさえ、まもなく無くなるでしょう。

人間を含め生き物は、怒りの感情、恐怖の感情、欲があれば必ず戦います。生きるためです。

今でも、戦争をしている国は絶えずなくなりません。

私達は、平和が正しいことは理解しています。
しかし、戦争を経験している人がいなくなった頃、また繰り返すのではないかと不安になります。

語り継がれていくうちに、恐怖感は薄れ、他人事のような気持ちになっていくことと思います。

今、思うことは、せめて、自分の子供達、いつか生まれてくるであろう自分の孫達には、戦争を経験して欲しくないということです。どんな戦争でも。

そこで今、私にできること。

なんだろう。



毎日笑っていること・・・くらいかな。