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Amebaを開くことすらなくなって久しいですが、少しまとめを残しておこうと思い久々にブログ書きます。
自身の性に関する悩みのはけ口として始めたこのブログですが、その要であった「性自認」の問題に自身の中で区切りがつきました。
どういうことかというと、自分の性別を女性と認識することに抵抗がなくなりました。
(「女性という性別に違和感がなくなった」と書きましたが語弊があるので変更。)
このブログを始めた当初はそんなこと予想もできなかったので、自分でも驚きました。
何故このようになったかというと、きっかけは2つ。
まず一つが、「”社会的男性”を経験できたこと」。
ちょっと抽象的ですが、何をしたかというと、自分一人でスーツ屋さんに行ってメンズスーツを購入してきたんです。
自分にしてはかなり大胆な行動だったなーと今でも思います。笑
もう一つが「母にカミングアウトしたこと」。
スーツは大学の卒業式用に購入したので必然的に話さねばならない状況に。
結局、卒業式はレディーススーツで出席したのですが、そちらを選んでよかったと今は思います。
この2つの詳細はまた別に書けたら書こうかなと思います。
今、性別に違和感がなくなった過程を思い返すと、発達心理学でいう「課題を達成した」という表現が当てはまると感じています。
昔から何か違和感を感じつつも課題として認識できなかった「性に関する違和感」を、高校の終わり~大学の初めに課題として認識し、大学時代に色々と悩み試行錯誤し視点を養い、これら2つのきっかけを経たことで大きな「性に関する違和感」という課題を達成した、という感じです。
通常、性に関する発達課題は思春期に乗り越えるものですが、私の場合その時期は反動形成で周囲に同化していたため、表面上は乗り越えていましたが根底ではずっと引きずっていたのです。
つまり、他の人が中学生で乗り越える課題を大学4年間(高3の受験期と大学の就活期も含む)かけてやっとこさ乗り越えたということ。
…なんと効率の悪い人生を歩んでいることか!
効率のいい人生がいい人生とは言えませんが、それでもなんかやるせないですよー。
通常かけなくていいところに気力労力を注いでるんですから。
(得たものも多いけどそれとこれとは話が別。)
しかし、「課題を達成した」「自分の性別を女性と認識することに抵抗がなくなった」とはいうものの、社会の言う「女性」に同化できるようになったわけではありません。
もちろん、それに伴って受け入れられるようになった女性としての部分(例えば、女子トイレに違和感なく入れる、生理用品を購入できる、女性的な体のラインが平気になるなど)はありますが、女性ジェンダーに抵抗がなくなったわけではありませんし。
「身体の性に対する違和感がなくなった」という方が適切でしょうね。
「性自認問題」から解放されても、「女性」からは解放されない。ゲンナリです。
それでも、これまでできなかったことをしてみたいなーという思いもありますけどね。
あと、一応書いておきますが、発達課題どうこうの話は自分の経験を振り返った時の感想です。
性に違和感を持った人の中で、私は「こういうパターン」でした。
……「こういうパターン」が多分、一番、無責任な「まだ知らないだけ」「そのうちわかるようになるよ」の根拠になってしまうと思うと哀しいです。
社会が性別に関して分け隔てなくなればいいだけのことなんですけどね。
生きるため・楽しむための様々な選択において、性別によって制限されることのない社会になってほしいです。
とりあえず、今日はこんなもんで。