こんにちは。


最近バタバタだったので

やっとブログをあげられて

感謝カンゲキ雨嵐なわたしです照れ照れ



(急に嵐)

(小学生のとき、ニノが好きだったな)


ニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリ


学ぶほどに罪悪感が増えるなら



環境問題について知るごとに

罪悪感が増える、ということ

あるでしょうか。

(話変わりました)


わたしはたくさん、ありました笑


温暖化がどうだとか

気候変動がどうだとか

そういう話を学んでゆくたびに

「快適に生活することへの罪悪感」が増えて

苦しくなっていったんです。



お風呂のお湯を沸かすことに対して

「いいのかな、、」って思ったり。


暖房を付けるということを

何となくためらったり。


そんなとき、とある人からいわれた言葉が

印象に残っています。


罪悪感よりも

「ありがとう」と

感じられる人で在ろう


たとえばお風呂にお湯を沸かすのでも

「温かいお風呂に浸からせてくれてありがとう」

とか


暖房を付けることなら

「寒いなかでも暖を取らせてくれてありがとう」

とか。


心地よく生活することへの罪悪感ではなく

「ありがたいなぁ」という方へ

意識を向けることが大事だよね

と、その方はおっしゃっていたんです。


なぜなら

「ありがたいなぁ」が大きくなると

「大事に使おう」という気持ちに

勝手になってゆくからです。





たとえば、ポケットティッシュって

「大事に使おう」って、そこまで

思わないと思うんです。


テキトーに使ってしまったり

カバンの中で丸まってたりする。


だけどそれが、ポケットティッシュではなく

「鼻セレブ」だったら

「大事に使おう」ってなると思います。


なぜなら鼻セレブには

「価値がある」と私たちは無意識に

思っているからです。


「ふわふわでありがたいなぁ」とか

「この質感、ポケットティッシュじゃ

味わえないよなぁ」とか


そんな気持ちが少なからずあるから、

「大事に使おう」ってなるわけです。


それと同じで


私たちが温かいお風呂に浸かりたいと思って

お湯を沸かすこととかは


本来、「ありがたいなぁ」と思える

価値があることなはずで


その価値を思い出すから、

「大事に使おう」って自然と思えるわけです。





環境のことを知るたびに罪悪感がでてくるなら


当たり前じゃない」と

自覚しながら


「ありがとう

大事に味わいます」


という気持ちでいること。



罪悪感を持つよりもこっちのほうが

大事なのかもしれないと思ったのでした。



これから先も

地球とわたしと大事なひとと

しあわせに笑って過ごせたら。

ではまた♪


こもれび ゆら