ものすごくご無沙汰しています。
もう、ブログ見てる方もいないと思いますが、不妊治療について、自分の健忘録を兼ねて、書きたいと思います。
といっても、多分治療について書くのはこれが最後になりそうです…。
暗い記事になります。申し訳ありません。


2015年、36歳の時の凍結胚盤胞が1つ残っていて、移植しましたが、結果化学流産に終わりました。もうすぐ2歳になる娘に弟か妹を作ってあげたかったのですが、ダメでした。私自身は一人っ子で寂しかった思い出があるので、子供は2人欲しかったのです。欲張りですが…
今日診察を終えたばかりでまだ涙が止まらず、今駅のトイレでブログ書いてます…暗いですが、、、この気持ちを忘れたくないのと、自分の気持ちを整理したいので、書き留めてます。

夢クリは、BT4の診察が無くなって、全員BT4からBT7朝まで、ルティナス投与になってました。妊娠した時はBT4でまずまずの数値、BT6からフライングして若干反応があったのですが、今回真っ白だったので、ダメだったんだろうなぁと予測していました。

私の場合、採卵3回、移植4回で、3回目の移植のみ成功という結果でした。

ひとつ発見があって、3年前はAMHは10を超えてましたが、3年ぶりに測ると4に減ってました。以前、ショーキチから、「AMH高い人は卵は取れても質が伴わないことが多い」と言われたことがあります。だから、多嚢胞の方は、人より長くかかってしまうかもしれませんが、時間が経つと高すぎるAMHが下がって、良い卵が取れる確率も増えるのかもしれません。それに、取れた卵の中には質の良いものもあるはずです。あくまで私見ですが…

AMHが下がった今採卵したらもしかしたらうまくいくかも、という気持ちもあります。
でも、私は多分もう治療はしないつもりです。

授かった娘を、家族で大切に育てていきたいと思います。そして授かったことに対する感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。


皆さまのところに可愛い子供が舞い降りますように。
心から祈っています。

ありがとうございました。