わかってたことだけど・・・
あらためて
言葉で 耳から入ってきたのっ
『人はね、亡くなったら
愛以外のもは 手放すの 』
『 だから、恨みも つらみも
亡くなったら 持ってない 』
愛だけの世界
手放せない人だけが、
その世界へ行けないだけ。
今の私には、
あぁ これ 母からのメッセージだって、
重なったの
あぁ 母は、
もう愛だけだから、
無念も 責める気持ちも
既に 手放していて、
ないんだなぁ~って
最後の数か月
母 本当は、寂しかったし・・・
もっと助けて欲しかったし・・・
辛かったんだなぁ~って。
してあげてなかったことが
自責の念になって
後悔と共に
何度も 押し寄せてきてた
そんな私に 偶然(必然)
飛び込んできた言葉。
「もう、悔やまなくていいんだよ」
っていう メッセージだっ
ただ、もう あとは
残された みんなの
幸せだけを祈ってるんだって。
わかってたはずだけど、
やってくる気持ちを
ただ ただ 感じてた。
亡くなった人の思いに
思いを馳せるのは、
相手を思いやっていることなのかなぁ・・・
自分の懺悔の
許しが欲しいからなのかなぁ・・・
相手を思いやるのは、
生きてるうちに出来なかったのなら、
これからを思う気持ちに
転化しようっ
出来ることに転化しようっ
母には、あっちでの冥福を祈ろう
母に 出来なかった分のものは、
こっちで 出来る人に その分を
心を尽くそう
私に出来る 最善は、
そういうことなんだものねっ
私も、愛以外を 手放そうっ
「ごめんね」は もう何度も言ったもの。
反省も もう何度もしたもの。
後悔は先に立たずだもの。
最後の手紙は、もっと
心を尽くして 書けばよかった・・・
とか
最後の電話は、もっと
ずっと 大事に話せばよかった・・・
とか
もっと早くに 行ってあげればよかった
とか
もっと いっぱい電話をして
話を よく聞き出してあげればよかった
とか
・・・・・ 言い出したら
エンドレス・・・・・
そこから 学んだことは、
『 ちっちゃなことにも
愛を込めて 心を尽くして
大事にしよう 』
できるだけでいいから・・・
ちょこっとの 手間を惜しまないように
心がけよう・・・
かなっ・・・
聖人君主じゃないから、
出来ない自分も 認めてあげよっと。
(●´ω`●)ゞ
でも あと ひと手間を
がんばれ~っ って
これからの自分に エールを送ろうっと
この世の中のこと
『 あっちに行けちゃった人は、
もう 既に、 この世での わだかまりは
手放している・・・
争い合っていた人ですら
お互い 許しあっている。』
だって愛だけなんだもの
なのに、
この世に 残った者たちが
当の本人達の 無念を思い
勝手に それを 蒸し返し続けてる。
争い続けていたりする・・・。
それって 誰が作り出してるの
それは、本当に
亡くなった人の願いなんだろか
少なくとも あちらの世界に
成仏できた人の願いではないのね。
自分の中の問題だっ・・・
私達に出来ることは、
実は、自分達で 作り出している
「無念であったろう亡き人の想いの想像」を
代理で 晴らすことじゃない 。
今生きるもの同士で
愛ある世界を願うだけ 。
(あれっ くちゃかったかなっ(●´ω`●)ゞ えへへっ)
ただ
自分にも
自分のまわりにも
愛をもって生きることだけ
かぁ~
と、素直に
認識をあらたにしたとこです
(単純ですから~ あはっ)
ちっとのことに 愛を込める一日を~
ありがとうございま~す
愛を込めて~
引き続き よいGWをお過ごしくださいね~
mico∞ (下に P.S.あります)
P.S. キリスト教徒だった母。
息が何度も止まりかけて
苦しそうだった時、
micoが子供の頃 教会学校で覚えた
主の祈りを うろ覚えで 耳元で言ったの。
天にまします我らの父よ~
・・・・
我らに罪を犯すもの我らが赦すごとく、
我らの罪をも 赦したまえ・・・
(正確には うろ覚えだったから
ちょっと間違えて言っちゃったのだけどね(;´▽`A`` )
この一説を聞いた母の
心拍数があがって 落ち着いて
穏やかになったのを感じたの。
あの時も、
自分の懺悔も、母の懺悔も
すべて溶かしていくような 言葉だった気がしたなぁ~。
イエス様は 愛だけの存在なんですって
やっぱり 愛ですね~
Oh! No! 半日にして・・・持ち直してたはずなのに、
またも 自責の念やら、悲しみやら、 嘘だったんじゃないか・・・とか
まだ 出てくるのね~
仕方ないよね・・・
そういう ものかぁ・・・
揺り戻し
揉み返し
抗わないでおこう・・・
あるを認めよう・・・
わかってるのに・・・なっ
どうにもならないことも あるのね~
寄せては返す 波なのね。
いつかは、凪になるさ~(沖縄風)
ε- (´ー`*)ゞ たは~っ
あるがままねっ