私がミックのサイトを開設したのは、2001年2月でした。

その前年に、とある雑誌に、ミックを題材にした、ひどい文章が掲載された事がきっかけです。


それは、筆者の想像と願望を書き連ねただけのものなのですが、読者に事実だと誤解させるに十分な書き方をされていました。

私はすぐに、編集部に抗議の手紙を出しましたが、無視されました(もっとも、その雑誌自体が、次の号で廃刊になってしまったのですが)。


当時の日本では、グラムロックが再評価され、ミックにも注目する人が少なくありませんでした。

その人達は、ミックに関する情報を求め、雑誌の記事にも積極的に目を通します。

ところが、その記事が嘘だらけでも、誰も分からないのです。筆者も知らないで書いていて、編集部にも分かる人がいないのでそのまま掲載してしまっていても、です。

そんな事態を何とかしたい、それが、私がサイトを作ろうと思った理由でした。


時は流れインターネットの時代になり、今はミックについても、非常に詳しい公式サイトができています。

私の役目も終わったという気持ちになっていましたが、やはり日本語で彼の活動を紹介する場がある方がいいと思い、もう一度作り直す事にしました。

少しずつの更新になりますが、宜しくお願い致します。







タイトルには文字数制限があるため、正式タイトルは本文中に記載する。


正式なタイトルは、『Have A Good Time But.・・・Get Out Alive』。

Ellen FoleyやMeat Loaf(81年にRonsonがアルバムに参加している)などと同じ、Cleveland Entertainmentに所属していたバンドの、セカンドアルバム。

The Slimmer TwinsとRonsonの共同プロデュース。

Ronsonは他にも、アレンジと、『Rock Ola』でのピアノ、『Old Man Bar』でのマンドリンでクレジットされている。

また、このアルバムには、Ian HunterとTommy Mandel(長年Hunterと行動を共にしていたキーボードプレイヤー)も参加。さらにはEllen Foleyもコーラスで参加している。




Let Me Introduce Mick Ronson


80年に発売になった、Ian Hunterのライブアルバムを、94年にCD再発したもの。

『One Of The Boys』、『The Golden Age Of Rock’N’Roll』、『When The Daylight Comes』、『(メドレー)Once Bitten Twice Shy/Bastard/Cleveland Rocks』の4曲が、ボーナストラックとして加えられている。


(参考)

BastardまでがDisc1、

Walking With The Mountain以降とボーナストラックがDisc2。




Let Me Introduce Mick Ronson




Ian Hunter Bandの、79年11月LAでのライブと、80年1月NYでのライブに、スタジオライブ4曲(新曲)を加えた、2枚組ライブアルバム。

Ronsonはゲストという形で、ギタリストとして全面的に参加している。

アルバムはHunter、Ronson共同プロデュース。

また、スタジオライブのうちの1曲(『Man O'War』を、Hunter、Ronsonで共作している。


(参考)

F.B.I~All The Way From MemphisがSide1、

I Wish I Was Your Mother~Cleveland RocksがSide2、

Standin’ In My Light~Slaughter On Tenth AvenueがSide3、

スタジオライブの4曲がSide4。



Let Me Introduce Mick Ronson



Hunter Ronson Bandが本格的に活動を始め、大々的なツアーに加えレコーディングも行った為、他の仕事はできなかったが、唯一Andi Sexgangだけは、強行スケジュールでイタリアに渡り、『Arco Valley』のレコーディングに参加している。


Hunterとは連名で『YUI Orta』を発表。

これまでは、どちらかのソロアルバムにもう一方がゲスト参加という形をとってきており(それぞれ別のレコード会社と契約していた為か?)、Hunter&Ronson名義での制作は初めてだった。

この年の初頭は、元One The JugglerのRokko LeeことSham Morrisを米国に呼び、自宅で録音したり、Mick Ronson Bandと称して、何回かのライブも行っている。
また、以前にロンドンで知り合ったオランダのバンド、The Fatal Flowersと再会、プロデュースを引き受ける。

後半は、「プロデュースの仕事ばかりでいいかげんうんざりした。ギターを弾きたい」と、久しぶりにIan Hunterに連絡を取り、Hunter Ronson Bandとしてツアーを行う。
またツアー中に知り合ったThe Tollのアルバムに1曲参加している。

スイスでフランス人2人組Marie Laure Et Luiをプロデュース。

その後米国に戻り、カントリー系シンガーDavid Lynn Jonesのレコーディングに参加。

さらに、Ronsonの居住地Woodstock出身のバンドThe Phantomsの『I Just Forgot』でギターを手伝う。

また、85年にプロデュースをしたUrgentに、Ian Hunterと共に曲を提供している。

英国にて、Kiss Thatのレコーディング。

Lisa Dominiqueのアルバムでは、何種類もの楽器を弾いてバックアップしたが、発売には至らず、一部の曲だけがカセットテープで発売される。

またイタリアのバンドModaに対しては、一部の曲のプロデュースとギターでクレジットされているが、実は全曲に参加しているという協力ぶり。

サウンドトラックに続き、Ian Hunterと共に、米国のバンドUrgentのプロデュースを行う。

その後また英国に渡り、いくつかの仕事をした後、Midge Ureのツアーメンバーに誘われる。

結局Ronsonはメンバーから離れたが、リハーサル時に録音した『Fade To Gray』が3曲入りシングルで発表された。

前年にレコーディングしたDalbelloのアルバムが発売になり、ドイツで大好評を博した為、RonsonもDalbelloと共にドイツでTV出演などをしている。

また、この頃、Ian Hunterはサウンドトラックの仕事を何度かしており、そのうちの2作品にRonsonも参加している。


この年の11月に、父のGeorgeが亡くなっている。その為Ronsonも、しばらく英国に滞在していた。