安倍元総理が亡くなった。
僕にとってはまさに青春そのものだった。
小学生高学年の時、将来の夢は間違いなく政治家だった。小さい頃からニュースを見る家庭で育った僕は、自然と将来は政治家か大企業のトップとしてこの国を支えたい、そんな気持ちを抱いていた。2011年の大震災後、この国はもう終わってしまうんじゃないか、そんな閉塞感を打ち破り、未来に希望を与えてくれたのが、安倍さんだった。
製造業で働く父親、日本人として、誇りを持って生きたい。そんな希望を与えてくれたのが彼だった。彼は米国での演説で人類の希望を説いた。真の友人とは何か、こんなに誇らしいことはなかった。自分の心をみなぎる炎を感じた。
もうこんな大きな物語は必要ない時代なのかもしれない。大学生になり、社会の大きな変化を目の当たりにしながら、興味は落ちていった。資本主義の限界、構造化された社会の中で取り残されていく恐怖。社会に対して希望を感じなくなっていた。性的マイノリティに対する法案に反対する人たちの代表が安倍さんであることも衝撃だった。僕にとっての希望ではなくなっていた。
たしかに世界は大きく変わる。しかし変わらないものは何か、それは自分のコミュニティ、自分自身に誇りを持って自分らしく生きていくことではないか。安倍晋三は日本という国を誇りを持てる国にしようとした。間違いなく本気だった。彼の想いは多くの人に伝播していた。逝去に対して悔やむ国内外からの反応を見るにつけ、彼の残した功績に目を向けざるおえなかった。間違いなく偉大な政治家だった。
総理から誇りを持って生きろと強く背中を叩かれた気がする。20代、ここでどこまで成長できるか。自分を諦めず、社会を諦めず、いつか必ず扉は開ける。諦めるな、強く生きろ、項垂れるな。
僕はマーガレットミードの「小さな想いを持った人々が社会を変えることを諦めてはならない。なぜなら、実際に変えたのは彼らだったから」という言葉が好きだ。誇りを持って、自信を持って舟を漕ぎ出でよ。自信を失っていた自分に対する強烈なメッセージだ。
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この日記は、日々感じたことを言葉に出すための日記。恥ずかしいものばかりだから、どうか許してほしい。
