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オーストラリア結婚記28

もうすぐクリスマス。イベントがある時期は辛い。イベントは楽しくて幸せな時間だから。娘の嬉しそうな顔が見られるから良い時間ではある。幸せかと聞かれれば答えられない。


2025年ももうすぐ終わります。息子のいない1年が終わり、息子のいない1年が始まる。毎日色々な事がありますが、毎日夜夫と娘が眠った後は静かに息子の事を考えます。今日は息子が小学校1年生の時に友達になった子の母の投稿をフェイスブックで見ました。その女性とは気も合い仲良くしてもらってました。とても素敵な話を投稿されてました。羨ましかった。私には一生感じられない感情。妬みはありません。ただ、ただ寂しさが増すのみ。私には与えてもらえなかった、与えられる価値がなかったのか。自分を卑下するしかありません。事故や事件で辛い思いをしている方々の話を見て、思うこと。心から幸せなクリスマスを迎えられる人はどのくらいいるのかなと。息子が亡くなるまで本当に普通に生きていたんだなとつくづく思います。夫の両親、友人の問題、夫事態の問題と沢山ありますが、考えるのに労力が要りすぎて、私に出来ることなど限りがありますからある程度を越えれば心は無になっています。日常生活は続けられています。在り来りの日常しかいらない。その在り来りが大事であることを心からわかるのは、それを無くした者だけです。勿論、皆口では言います。私もそうでした。普通が一番大事よねと。普通を無くしたあと、どう生きるか。何故生きるか。毎日自問自答です。深く考えずに生きたい。どこまで生きられるか。


生きる意味など考えても答えは結局自分の都合の良いようになります。意味などはないのでしょう。ただ、理由を持って生きることは出来るでしょう。来年も娘の笑顔を見るという理由を持って、私は生きていこうと思います。

オーストラリア結婚記27

大人になると毎日が早く感じられる。気がつくと1年が過ぎている。毎日一生懸命生きているのに、ハッと気が付き、、何をしていたんだろうと。息子がいなくなってから、その日1日を生き長らえることだけを考えて早3年。こんなに悲しくても生きられるんだなぁとつくづく思う。勿論、友人、家族の支えがあったから。夜になると、星空を見上げ息子に話しかける。気づいたのは、返事を待っている自分。返事が聞ければどんなに素敵か。他人から見れば私は立ち直っていると思われるのだろう。六年前、父親を突然亡くし落ち込んだ。辛かったけど、立ち直ったと私は言える。今でも寂しいし、悲しい。でも、親は自分より先に逝ってしまうのが条理。だから時間と共に立ち直った。子供は全く別。条理に反しているから。この間、私が逝くときに迎えに来てくれるのを楽しみにしてるって言ったとき、自分でも失笑した。なんだそれ、、と。本当に迎えに来てくれたことを誰にも伝えられないんじゃないかと。最近の自分は殻を被っていると感じる。感情を塗り替えて表している。友人が言ってくれた。貴方が幸せならば誰が何を言おうとそれが正解。でも幸せでなかったら、いつでも手を貸すわと。素敵な言葉。息子がいなくなり幸せと言う言葉には既にかけはなれているけれど、そこに近い所にいると私は感じる。だから、きっと間違っていないのだろう。

周りの息子の同年代の子達の話を聞いたり見たりして、羨ましい。子供の成長を話せるのが羨ましい。私にはもう1人の宝者がいる。この宝者が大人になり、自分の家族を持つまでは何とか生き長らえるつもり。その頃には、また違う感情を持てているだろうか。今周りでは、鬱陶しい問題が起きているけれど、どうでも良い。それに振り回されている夫。無関心でいた方が良いと言っても無理のようで(失笑)。私には対処できないので、ほおっておいているけど、きっともっと真剣に対処しなくてはいけないんだろうな。そして、また息子に話しかける。ねぇ、息子、、、お母さん、ちゃんと生きているかな。ねぇ、息子、、そして返事を待つ。いつか返事が返ってくるのではないかと期待して。

オーストラリア結婚記26

明日は息子の3回目の命日。今日は1つだけ言いたいことがある。この世には知らない、わからないという幸せがあると言うこと。

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