この1カ月、あっという間でした。
本震の時・・・
この日も、遅れて、
でも、今までよりは大分早めに、
出勤しました。
3月11日のブログに書いてるように、
人事異動の内示日だったので、
そのリストを見に行くために、
出勤したようなものです。
事務室に入って、
かばんを置いた瞬間・・・
聞いたことのない音が、
携帯から鳴ってて、
最初、何が起こっているか、
分からなかった。
誰かが、
「地震が来る!!!」と言ったと同時位に、
長い恐怖の時間がやってきました。
職場にいた人全員が、
逃げることもできず、
何かに掴って、揺れがおさまるまで、
動けずにいました。
揺れがおさまり、
施設管理を担当している人が、
建物の点検に飛び出して行き、
アルバイトさんや女性社員は、
玄関ホールでおろおろ、
身内に連絡を取り始めました。
当然、すぐに繋がる訳も無く・・・
メールなら繋がると分かっていたので、
妹にメール。
暫くして、返事が来て、
ともすけとともに無事確認。
父の携帯はiモード契約していないので、
メールが使えず、何度もかけるけど、
なかなか通じず・・・
母は携帯を持っていないので、
母の職場へかけるも、やはり通じず・・・。
停電になったので、
非常電源が点くのかと思ったら、
全く点く気配が無く・・・
携帯ラジオや、交代で携帯のワンセグで、
情報収集しました。
私は手が震えて、「なぅ」もうまく打てず、
少し、パニックになっていたと思います。
(後で、この時の「なぅ」、
ブログ更新設定、しておくんだったと後悔・・・)
数分の後・・・
誰かが「津波が来た!!!」と言って、
ワンセグの画面を見せてくれました。
見慣れた市場の屋根が水没し、
魚を入れる籠や車が、
おもちゃのように流されていく所でした。
・・・・・
倒れそうになりました;;
一体何が起こっているんだろう・・・
家は・・・父は・・・母は・・・
多分、半べそだったと思います。
あんまり衝撃的すぎて、
その時の気持ち・・・覚えてないかも・・・。
その場にしゃがみ込んで、
誰かに「大丈夫だよ」って言われてた気がします。
その後、妹と電話が繋がり、
「やばい・・・」って話しした気がする。
夕方5時近くになって、
父と電話が繋がり、泣きそうになりました。
父は、たまたま高台にいて、
難を逃れたとのこと。
家はどうだろう?と聞いたら、
町並みは残っているけど・・・
床上浸水はしてるだろう。
お母さんは大丈夫だろうか・・・
母さんは、ばぁちゃんちの3階に行ってれば、
無事だろう・・・
思わず出かかった
「でも、そうじゃなかったら?」・・・
怖くて聞けなかった。
とにかく、父が生きてるってことだけ、
わかったので、少し安心。
(でも、その後、全く連絡が無くなり、居場所不明になり、
かえって心配の種にwww)
停電だし、幸い建物に問題は無いので、
待機していてもしょうがないということになり、
職場は解散に・・・。
停電のため、信号機も動かないため、
いつもの2倍くらいの時間かかって、
家に着くと・・・
ドアを開けた瞬間、
また、泣きたくなりました。
食器棚、電子レンジが倒れ、
食器がいくつか割れて散乱していました。
衣装ケースが何個か落ち、
洋服掛けてたケースも全部、倒れていました。
途方に暮れてしまいそうになりましたが、
携帯のワンセグで情報収集しながら、
なぜか、「寝どこだけは確保するか」と、
衣装ケース類を片づけていました。
なんとか、居場所を作ったものの・・・。
暖房もつかないし、水も出ないし、
こんな真っ暗な中、どうしたらいいんだろう・・・。
気が付いたら、着替えて、完全防備して、
懐中電灯と貴重品、薬を持って、
車に乗り、いつも行くスーパーへ向かっていました。
街灯の明かりが無いと、
こんなにも真っ暗なんだ・・・と、
冷静な自分がどこかにいました。
スーパーの駐車場に行ったら、
入り口で並んでる人の列がありました。
今だと、理解出来ますが、
その時は、何をしているのか、
分かりませんでした。
暗闇の中・・・
車中泊するしかないのか・・・
覚悟を決めようと思いましたが、
不運なことに、
ガソリンの残量が、
満足のいく量ではありませんでした。
でも・・・この位あれば、
実家までは行ける・・・・・。
10~20分位、ぼーっと考えて・・・
そうだ、叔父さんの家に行こう!
叔父の家に行き・・・
ご飯を勧められましたが、
その日は、食べる気になれませんでした。
深夜になり、
寝れなくても、布団に入ってと言われ、
余震の恐怖に怯え、
ラジオを聞きながら、
しくしく、泣いていました。
翌朝・・・
役場に行けば、
公衆電話が繋がるから行ってみて、と言われ、
かけてみるも、
自分の家、ばぁちゃんちどころか、
市役所も繋がらなかったのです。
電話ボックスを出た所に、
災害本部みたいなのがあって、
消防団の人が集まり、
テレビを見ていました。
情報収集・・・と思って、
暫く見ていましたが、
あまりの惨状に、いたたまれなくなり、
駐車場の自分の車に戻って、
ぽろぽろ、ぽろぽろ、泣いていました。
街は全滅しちゃったんだろうか・・・・・
停電でテレビが見れなかったので、
嫌な想像ばかりしていました。
12日の午後・・・
先立つものがないと、という訳で、
開いてるという銀行へ行き、
みんなで、お金を下ろしてくることに・・・
近くの銀行は、現金が無くなったのか、
閉鎖されていたので、
ちょっと遠くの銀行まで行きました。
車も人も、物凄い長蛇の列で、
多分、多くの人が、
限度額いっぱいまで、
下ろしていたように見えました。
従弟の車の中で、
いくつか流れる津波映像を見て、
また泣きそうになる所を、何とかこらえ、
戻って、また、ラジオを聞いて過ごしました。
確か・・・
2日目の午後7時位に、電気が復旧しました。
各地の津波の映像を、
ゆっくり見られるようになり、
また、辛くなってきました・・・。
2日目の夜も、
ろくに寝てなかったと思います。
3日目・・・
何か情報収集できないかと、
職場に行きましたが、
職場も混乱していて、
何故か、電話が通じない状態に・・・。
(この後、暫くの間、携帯が圏外に?)
職場のPC見たら、沿岸部の支所は、
ほとんどネットが壊れてるのがわかり、
かえって、げんなり・・・。
私は、残業が出来ない身分なので、
2時間ほどいて、帰りました。
叔父の家に行く前に、
ぐちゃぐちゃな自宅へ行き、
妹と電話で話しました。
家の中がぐちゃぐちゃで、
電気もガスも水道も止まってしまったため、
避難所に逃げていた妹。
さすがに、彼女も眠れないでいたみたいで、
「おねぇちゃん・・・覚悟しておいた方がいいのかなぁ」と、
らしくないことを言っていた。
その頃には、妹の旦那さんが、
(東京出張してて、帰れなくなってたけど、
なんとか戻って来れることになった)
「帰ったら、一緒に行きましょう!」と、
心強いことを言っていたので、
まずは、現地に行ってから考えよう、と、
一応、姉貴らしいことを言って、
その場は電話を切りました。
その数分後・・・
叔母から電話があり、
従兄のお嫁さん経由で、いろいろ情報収集してくれて、
母が無事だと、連絡があったとのこと。
妹に連絡して、
叔父宅へ直行。
泣いて喜びました。
同じ日の夜。
ばぁちゃんとこの従妹から電話があり、
皆無事だよ!と、嬉しい知らせが!!!
避難場所も分かり、
なんだか、へなへな~と、
座り込んでしまいそうでした。
実際に両親と電話で話しをし、
会うまでは、不安でしたけど、
この日から、何とか少しは眠れるようになり、
食欲も、少しだけ、回復しました。
・・・・・
あれから、1か月・・・
人生が、すっかり、
変わってしまったような気がします・・・。
本震の時・・・
この日も、遅れて、
でも、今までよりは大分早めに、
出勤しました。
3月11日のブログに書いてるように、
人事異動の内示日だったので、
そのリストを見に行くために、
出勤したようなものです。
事務室に入って、
かばんを置いた瞬間・・・
聞いたことのない音が、
携帯から鳴ってて、
最初、何が起こっているか、
分からなかった。
誰かが、
「地震が来る!!!」と言ったと同時位に、
長い恐怖の時間がやってきました。
職場にいた人全員が、
逃げることもできず、
何かに掴って、揺れがおさまるまで、
動けずにいました。
揺れがおさまり、
施設管理を担当している人が、
建物の点検に飛び出して行き、
アルバイトさんや女性社員は、
玄関ホールでおろおろ、
身内に連絡を取り始めました。
当然、すぐに繋がる訳も無く・・・
メールなら繋がると分かっていたので、
妹にメール。
暫くして、返事が来て、
ともすけとともに無事確認。
父の携帯はiモード契約していないので、
メールが使えず、何度もかけるけど、
なかなか通じず・・・
母は携帯を持っていないので、
母の職場へかけるも、やはり通じず・・・。
停電になったので、
非常電源が点くのかと思ったら、
全く点く気配が無く・・・
携帯ラジオや、交代で携帯のワンセグで、
情報収集しました。
私は手が震えて、「なぅ」もうまく打てず、
少し、パニックになっていたと思います。
(後で、この時の「なぅ」、
ブログ更新設定、しておくんだったと後悔・・・)
数分の後・・・
誰かが「津波が来た!!!」と言って、
ワンセグの画面を見せてくれました。
見慣れた市場の屋根が水没し、
魚を入れる籠や車が、
おもちゃのように流されていく所でした。
・・・・・
倒れそうになりました;;
一体何が起こっているんだろう・・・
家は・・・父は・・・母は・・・
多分、半べそだったと思います。
あんまり衝撃的すぎて、
その時の気持ち・・・覚えてないかも・・・。
その場にしゃがみ込んで、
誰かに「大丈夫だよ」って言われてた気がします。
その後、妹と電話が繋がり、
「やばい・・・」って話しした気がする。
夕方5時近くになって、
父と電話が繋がり、泣きそうになりました。
父は、たまたま高台にいて、
難を逃れたとのこと。
家はどうだろう?と聞いたら、
町並みは残っているけど・・・
床上浸水はしてるだろう。
お母さんは大丈夫だろうか・・・
母さんは、ばぁちゃんちの3階に行ってれば、
無事だろう・・・
思わず出かかった
「でも、そうじゃなかったら?」・・・
怖くて聞けなかった。
とにかく、父が生きてるってことだけ、
わかったので、少し安心。
(でも、その後、全く連絡が無くなり、居場所不明になり、
かえって心配の種にwww)
停電だし、幸い建物に問題は無いので、
待機していてもしょうがないということになり、
職場は解散に・・・。
停電のため、信号機も動かないため、
いつもの2倍くらいの時間かかって、
家に着くと・・・
ドアを開けた瞬間、
また、泣きたくなりました。
食器棚、電子レンジが倒れ、
食器がいくつか割れて散乱していました。
衣装ケースが何個か落ち、
洋服掛けてたケースも全部、倒れていました。
途方に暮れてしまいそうになりましたが、
携帯のワンセグで情報収集しながら、
なぜか、「寝どこだけは確保するか」と、
衣装ケース類を片づけていました。
なんとか、居場所を作ったものの・・・。
暖房もつかないし、水も出ないし、
こんな真っ暗な中、どうしたらいいんだろう・・・。
気が付いたら、着替えて、完全防備して、
懐中電灯と貴重品、薬を持って、
車に乗り、いつも行くスーパーへ向かっていました。
街灯の明かりが無いと、
こんなにも真っ暗なんだ・・・と、
冷静な自分がどこかにいました。
スーパーの駐車場に行ったら、
入り口で並んでる人の列がありました。
今だと、理解出来ますが、
その時は、何をしているのか、
分かりませんでした。
暗闇の中・・・
車中泊するしかないのか・・・
覚悟を決めようと思いましたが、
不運なことに、
ガソリンの残量が、
満足のいく量ではありませんでした。
でも・・・この位あれば、
実家までは行ける・・・・・。
10~20分位、ぼーっと考えて・・・
そうだ、叔父さんの家に行こう!
叔父の家に行き・・・
ご飯を勧められましたが、
その日は、食べる気になれませんでした。
深夜になり、
寝れなくても、布団に入ってと言われ、
余震の恐怖に怯え、
ラジオを聞きながら、
しくしく、泣いていました。
翌朝・・・
役場に行けば、
公衆電話が繋がるから行ってみて、と言われ、
かけてみるも、
自分の家、ばぁちゃんちどころか、
市役所も繋がらなかったのです。
電話ボックスを出た所に、
災害本部みたいなのがあって、
消防団の人が集まり、
テレビを見ていました。
情報収集・・・と思って、
暫く見ていましたが、
あまりの惨状に、いたたまれなくなり、
駐車場の自分の車に戻って、
ぽろぽろ、ぽろぽろ、泣いていました。
街は全滅しちゃったんだろうか・・・・・
停電でテレビが見れなかったので、
嫌な想像ばかりしていました。
12日の午後・・・
先立つものがないと、という訳で、
開いてるという銀行へ行き、
みんなで、お金を下ろしてくることに・・・
近くの銀行は、現金が無くなったのか、
閉鎖されていたので、
ちょっと遠くの銀行まで行きました。
車も人も、物凄い長蛇の列で、
多分、多くの人が、
限度額いっぱいまで、
下ろしていたように見えました。
従弟の車の中で、
いくつか流れる津波映像を見て、
また泣きそうになる所を、何とかこらえ、
戻って、また、ラジオを聞いて過ごしました。
確か・・・
2日目の午後7時位に、電気が復旧しました。
各地の津波の映像を、
ゆっくり見られるようになり、
また、辛くなってきました・・・。
2日目の夜も、
ろくに寝てなかったと思います。
3日目・・・
何か情報収集できないかと、
職場に行きましたが、
職場も混乱していて、
何故か、電話が通じない状態に・・・。
(この後、暫くの間、携帯が圏外に?)
職場のPC見たら、沿岸部の支所は、
ほとんどネットが壊れてるのがわかり、
かえって、げんなり・・・。
私は、残業が出来ない身分なので、
2時間ほどいて、帰りました。
叔父の家に行く前に、
ぐちゃぐちゃな自宅へ行き、
妹と電話で話しました。
家の中がぐちゃぐちゃで、
電気もガスも水道も止まってしまったため、
避難所に逃げていた妹。
さすがに、彼女も眠れないでいたみたいで、
「おねぇちゃん・・・覚悟しておいた方がいいのかなぁ」と、
らしくないことを言っていた。
その頃には、妹の旦那さんが、
(東京出張してて、帰れなくなってたけど、
なんとか戻って来れることになった)
「帰ったら、一緒に行きましょう!」と、
心強いことを言っていたので、
まずは、現地に行ってから考えよう、と、
一応、姉貴らしいことを言って、
その場は電話を切りました。
その数分後・・・
叔母から電話があり、
従兄のお嫁さん経由で、いろいろ情報収集してくれて、
母が無事だと、連絡があったとのこと。
妹に連絡して、
叔父宅へ直行。
泣いて喜びました。
同じ日の夜。
ばぁちゃんとこの従妹から電話があり、
皆無事だよ!と、嬉しい知らせが!!!
避難場所も分かり、
なんだか、へなへな~と、
座り込んでしまいそうでした。
実際に両親と電話で話しをし、
会うまでは、不安でしたけど、
この日から、何とか少しは眠れるようになり、
食欲も、少しだけ、回復しました。
・・・・・
あれから、1か月・・・
人生が、すっかり、
変わってしまったような気がします・・・。