昨日、盛岡駅と地元駅を結ぶ、長距離バスで、
実家に行ってきました。
出発から、前途多難でした;;
乗る予定だった電車が、運休になっていて、
駅で待っている間、大きい地震がきてげんなり。
乗った電車は、通常4両編成が何故か2両編成。
おかげで、物凄いすし詰め状態に・・・。
途中の駅で、具合の悪くなった女性がいて、
救急車で運ばれるという事態に・・・。
妹から、「行くなってことじゃない???」なんていう
メールが来て、心が折れそうになりましたが、
電車が盛岡駅に着くと同時に、走ってバス乗り場まで行き、
なんとか、バスに乗ることが出来ました。
バスも混んでて、通常、1台のみの運行なのですが、
増便されて、私は2台目に乗ることが出来ました。
私の前の席に乗っていたご夫婦は、
話の様子から、同じ地区の出身の方のようで、
被害の酷い海に近い家だそうです。
「もう、住めない状況になっている」と言っていて、
切なくなりました。
バス移動する時は、私はそっこーで、寝に入るのですが、
今回は寝る気になれず・・・
2時間半近くかかって、
やっと、地元の駅前に到着しました。
駅前までは綺麗なので、
「案外大丈夫???」と錯覚してしまいますが、
駅から繁華街の道路に入ると、
瓦礫が道路沿いに積まれていて、がっくりきます。
往路に通った道は、油の臭いのする所があったり、
火事でも起こったのか、焦げ臭いにおいの所があったり、
酷い有様です。
行きつけのスナックを見ていくつもりだったのに、
見そびれちゃった。
馴染みの居酒屋さんは、片づけが進んでないのか、
シャッターが下りていました。
途中、警察と消防の人が数人、集まってて、
どうやら建物の中に、車が突っ込んでいるらしい。
なんだか嫌な感じがして、早々に立ち去りました。
いつも渡る橋が通れないので、海側の大きな橋を通って、
地元の地区まで行ったのですが、
瓦礫の山をぬって、道を探すのに、一苦労でした。
市役所辺りまで来ると、倒壊した家屋が道を塞いでいたり、
船が横倒しになっていたり、と、目を覆いたくなります。
橋を渡って、避難所になっている小学校に着き、
入口付近にいた方に尋ねたところ、
すぐ、両親を呼んでくれました。
母に会った瞬間、
涙がぽろぽろ、ぽろぽろ、流れてきて、泣いてしまいました。
「よぐ来たぁねぇ」
母は笑顔でした。
「なに、泣いてんの?」
父も笑顔でした。
地区で避難している人達(小学校)は、結構、元気そうでした。
体育館ではなく、視聴覚教室(じゅうたんの敷いてある教室)に、
場所を移しているので、暖はとれているようです。
物資も、かなり行き届いているようでした。
電気は(小学校まで?)昨日から、
水は一昨日辺りから出るようになったようです。
家の片付けに行くというので、
父と一緒に家へ向かいました。
父は、地震の時、浄土ヶ浜にいたのですが、
(去年の夏、ともすけと遊びに行った景勝地)
高台の方にいたので、難は逃れたものの、
避難所に辿り着くまで、通常では考えられないルートを
遠回りして、強行突破?して、戻ってきたとのこと。
その頃は、まだ、水が残っていて、
膝近くまで、水があったとのことでした。
お正月以来の帰宅が、こんな形になるとは思わなかった・・・。
瓦礫・・・と言うようなものは、家の周りには無かったけれど、
使えなくなった家財道具や、泥が山のように積まれて、
どこのうちのものか分からない車も、停まっていました。
実家の浸水の状況は、
地面から90~100センチ?位でしょうか・・・。
玄関の硝子戸以外、
窓ガラスが割れていなかったのが、救いです。
玄関の硝子戸は、うちの車が波で押し流されて、
当たって壊れたのだそう。
水が引いてすぐ、レッカーで、移動してもらったんだとか。
まぁ、よそ様のお宅を破壊しなかった分、
まだ、ましか・・・と苦笑いw
この車・・・
2週間くらい前に、中古車への買い替え手続きをしていて、
新しい車の納車が2週間後の予定だったらしく、
車が無くなっても、損害としてはほぼゼロ、だったのでした!
不幸中の幸い、とはこのことですね!
ダメになった車の廃車手数料?は1,000円って言ってたw
新しく来る車が無傷なら、そのまま乗れるし^^
良かったなぁ。
間もなく母も来て、少しづつ、
泥水に浸かった家財を片づけているので、
私も、泥出しなど、少しだけですが自分にできること、
邪魔にならない程度に手伝ってきました。
私達姉妹の保育所~高校までの卒業証書と、
妹の小さい頃のアルバムなど、発掘し、
なんだか、また、涙が出てきました。
作業しながら、母に、
地震の時、どうしていたのかを聞きました。
母は、お魚の加工場で働いていた時に、地震にあい、
加工場の設備を点検していたところ、
「津波が来る!!早く逃げろ!!!」と言われて、
慌てて車で家まで帰り、
着替えをして、貴重品をリュックに詰めて、
高台に避難したところ、津波が押し寄せてきたそうです。
車を運転している時に、津波に襲われていたら・・・
なんだか、倒れそうになりました。。。
泥だらけのお家に、こんなんで、また住めるの?と聞いたら、
「住むよー 住めるようにすんのさー」って・・・
まぁ・・・今は、家財道具の片付けで精一杯だから、
その後のことは、また、皆で考えれば良いか・・・。
1階に置いていたSMAPのライブDVDとか、
もう、ダメになっちゃったかなぁと思ったら、
母が、ちゃんととっておいてくれました。
去年のライブのうちわも、ともすけのおもちゃとともに・・・w
夕方の炊き出しが始まること、
私の帰る時間が迫っていることから、
午後4時過ぎに、家を後にしました。
「こっちのことは大丈夫だから、自分の方、しっかりしないさい」と、
軽くお説教されて、別れてきました。
帰りは、別の道を通って、駅に向かいました。
炊き出しで皆、避難所に行ってしまったからか、
人がほとんどいなくて、廃墟のようでした。
帰りのバスに乗り込み、盛岡駅へ着くと、
すぐ、妹に連絡をしました。
仙台は、いまだ、水道とガスが開通しないため、
お風呂に入ったり洗濯ができず、
妹達は、仙台よりライフラインの状態が良い盛岡まで、
高速バスを使ってやってきたのです。
ホテルのロビーで、妹たちに会い、
現地の状況を話しました。
数枚撮った写真を見て、
妹も「具合が悪くなる」と言いました。
やはり、妹も、
「ここに、また、住むのか???」と言いましたが、
それは、これから、ゆっくり、皆で考えよう、と話しました。
ともすけに、お土産を渡しました。
前に、無くしたと思った、機関車のおもちゃが、
なんと、見つかったのです。
機関車を貰ったともすけは、にこにこ、遊び始めたけれど、
心なしか、少し元気が無い・・・。
余震の度に「ゆれた~」と言って、
しがみついてくるそう。
幼心に、よっぽど怖かったんだろうと思うと、
切なくなります。
遅い時間なので、長居せず、
今夜はゆっくり、休むことにして帰りました。
他にも沢山、書きたいことあるのだけれど、
とりあえず、ここまで・・・。
長い長い、1日でした・・・・・。
追記:
迷ったのですが、撮ってきた写真をアップします。
左側の白い建物は、市役所です。
右側の堤防を乗り越えて、津波が襲ってきました。
堤防わきの地面がえぐれているのは、津波のせいですね・・・。
もっと、大きい船が横たわっている通りもありました。
衝撃的すぎて、正視できませんでした・・・。
実家に行ってきました。
出発から、前途多難でした;;
乗る予定だった電車が、運休になっていて、
駅で待っている間、大きい地震がきてげんなり。
乗った電車は、通常4両編成が何故か2両編成。
おかげで、物凄いすし詰め状態に・・・。
途中の駅で、具合の悪くなった女性がいて、
救急車で運ばれるという事態に・・・。
妹から、「行くなってことじゃない???」なんていう
メールが来て、心が折れそうになりましたが、
電車が盛岡駅に着くと同時に、走ってバス乗り場まで行き、
なんとか、バスに乗ることが出来ました。
バスも混んでて、通常、1台のみの運行なのですが、
増便されて、私は2台目に乗ることが出来ました。
私の前の席に乗っていたご夫婦は、
話の様子から、同じ地区の出身の方のようで、
被害の酷い海に近い家だそうです。
「もう、住めない状況になっている」と言っていて、
切なくなりました。
バス移動する時は、私はそっこーで、寝に入るのですが、
今回は寝る気になれず・・・
2時間半近くかかって、
やっと、地元の駅前に到着しました。
駅前までは綺麗なので、
「案外大丈夫???」と錯覚してしまいますが、
駅から繁華街の道路に入ると、
瓦礫が道路沿いに積まれていて、がっくりきます。
往路に通った道は、油の臭いのする所があったり、
火事でも起こったのか、焦げ臭いにおいの所があったり、
酷い有様です。
行きつけのスナックを見ていくつもりだったのに、
見そびれちゃった。
馴染みの居酒屋さんは、片づけが進んでないのか、
シャッターが下りていました。
途中、警察と消防の人が数人、集まってて、
どうやら建物の中に、車が突っ込んでいるらしい。
なんだか嫌な感じがして、早々に立ち去りました。
いつも渡る橋が通れないので、海側の大きな橋を通って、
地元の地区まで行ったのですが、
瓦礫の山をぬって、道を探すのに、一苦労でした。
市役所辺りまで来ると、倒壊した家屋が道を塞いでいたり、
船が横倒しになっていたり、と、目を覆いたくなります。
橋を渡って、避難所になっている小学校に着き、
入口付近にいた方に尋ねたところ、
すぐ、両親を呼んでくれました。
母に会った瞬間、
涙がぽろぽろ、ぽろぽろ、流れてきて、泣いてしまいました。
「よぐ来たぁねぇ」
母は笑顔でした。
「なに、泣いてんの?」
父も笑顔でした。
地区で避難している人達(小学校)は、結構、元気そうでした。
体育館ではなく、視聴覚教室(じゅうたんの敷いてある教室)に、
場所を移しているので、暖はとれているようです。
物資も、かなり行き届いているようでした。
電気は(小学校まで?)昨日から、
水は一昨日辺りから出るようになったようです。
家の片付けに行くというので、
父と一緒に家へ向かいました。
父は、地震の時、浄土ヶ浜にいたのですが、
(去年の夏、ともすけと遊びに行った景勝地)
高台の方にいたので、難は逃れたものの、
避難所に辿り着くまで、通常では考えられないルートを
遠回りして、強行突破?して、戻ってきたとのこと。
その頃は、まだ、水が残っていて、
膝近くまで、水があったとのことでした。
お正月以来の帰宅が、こんな形になるとは思わなかった・・・。
瓦礫・・・と言うようなものは、家の周りには無かったけれど、
使えなくなった家財道具や、泥が山のように積まれて、
どこのうちのものか分からない車も、停まっていました。
実家の浸水の状況は、
地面から90~100センチ?位でしょうか・・・。
玄関の硝子戸以外、
窓ガラスが割れていなかったのが、救いです。
玄関の硝子戸は、うちの車が波で押し流されて、
当たって壊れたのだそう。
水が引いてすぐ、レッカーで、移動してもらったんだとか。
まぁ、よそ様のお宅を破壊しなかった分、
まだ、ましか・・・と苦笑いw
この車・・・
2週間くらい前に、中古車への買い替え手続きをしていて、
新しい車の納車が2週間後の予定だったらしく、
車が無くなっても、損害としてはほぼゼロ、だったのでした!
不幸中の幸い、とはこのことですね!
ダメになった車の廃車手数料?は1,000円って言ってたw
新しく来る車が無傷なら、そのまま乗れるし^^
良かったなぁ。
間もなく母も来て、少しづつ、
泥水に浸かった家財を片づけているので、
私も、泥出しなど、少しだけですが自分にできること、
邪魔にならない程度に手伝ってきました。
私達姉妹の保育所~高校までの卒業証書と、
妹の小さい頃のアルバムなど、発掘し、
なんだか、また、涙が出てきました。
作業しながら、母に、
地震の時、どうしていたのかを聞きました。
母は、お魚の加工場で働いていた時に、地震にあい、
加工場の設備を点検していたところ、
「津波が来る!!早く逃げろ!!!」と言われて、
慌てて車で家まで帰り、
着替えをして、貴重品をリュックに詰めて、
高台に避難したところ、津波が押し寄せてきたそうです。
車を運転している時に、津波に襲われていたら・・・
なんだか、倒れそうになりました。。。
泥だらけのお家に、こんなんで、また住めるの?と聞いたら、
「住むよー 住めるようにすんのさー」って・・・
まぁ・・・今は、家財道具の片付けで精一杯だから、
その後のことは、また、皆で考えれば良いか・・・。
1階に置いていたSMAPのライブDVDとか、
もう、ダメになっちゃったかなぁと思ったら、
母が、ちゃんととっておいてくれました。
去年のライブのうちわも、ともすけのおもちゃとともに・・・w
夕方の炊き出しが始まること、
私の帰る時間が迫っていることから、
午後4時過ぎに、家を後にしました。
「こっちのことは大丈夫だから、自分の方、しっかりしないさい」と、
軽くお説教されて、別れてきました。
帰りは、別の道を通って、駅に向かいました。
炊き出しで皆、避難所に行ってしまったからか、
人がほとんどいなくて、廃墟のようでした。
帰りのバスに乗り込み、盛岡駅へ着くと、
すぐ、妹に連絡をしました。
仙台は、いまだ、水道とガスが開通しないため、
お風呂に入ったり洗濯ができず、
妹達は、仙台よりライフラインの状態が良い盛岡まで、
高速バスを使ってやってきたのです。
ホテルのロビーで、妹たちに会い、
現地の状況を話しました。
数枚撮った写真を見て、
妹も「具合が悪くなる」と言いました。
やはり、妹も、
「ここに、また、住むのか???」と言いましたが、
それは、これから、ゆっくり、皆で考えよう、と話しました。
ともすけに、お土産を渡しました。
前に、無くしたと思った、機関車のおもちゃが、
なんと、見つかったのです。
機関車を貰ったともすけは、にこにこ、遊び始めたけれど、
心なしか、少し元気が無い・・・。
余震の度に「ゆれた~」と言って、
しがみついてくるそう。
幼心に、よっぽど怖かったんだろうと思うと、
切なくなります。
遅い時間なので、長居せず、
今夜はゆっくり、休むことにして帰りました。
他にも沢山、書きたいことあるのだけれど、
とりあえず、ここまで・・・。
長い長い、1日でした・・・・・。
追記:
迷ったのですが、撮ってきた写真をアップします。
左側の白い建物は、市役所です。
右側の堤防を乗り越えて、津波が襲ってきました。
堤防わきの地面がえぐれているのは、津波のせいですね・・・。
もっと、大きい船が横たわっている通りもありました。
衝撃的すぎて、正視できませんでした・・・。