前回の『新月前後メッセージ』で、


〉この「どんな」がわからないからこそ

〉楽しめるし、選ぶことができるし、

〉楽しみや喜びを生み出すことが

〉できたりする。

〉知りすぎていたらきっとつまらない。


と、書きました。


わたしにとっては、

「きっと」というか、

みえてしまっていたり

受け取ることが多く

つまらないと思うことが

多々あったからなのです。


つまらないだけではなく、

無力感や絶望感も

大きくのしかかっている時もありました。


ですが、それらは、

自分の状態やこころや体に注力すること

で解消されました。



わたしはよく

自分を知り、自分の内部に従うことを

勧めます。それは、

予感や予見や予想があったとしても、

そこに良い意味でも悪い意味でも

期待するより、

イマの自分に従うことは

なにより生きることが充実する

ということを知ったからです。



それはわたしに限ったことではなく、

全ての人にも言えることで、

皆少なからず

予想のもとに動いていたりする。


誰々はこうだからとか

コレはこうだからこうなるだろう

これはこうだからこう動かなきゃとか。


その逆算と期待にかけているエネルギー

は少しのように感じても

実はかなりのエネルギーを使っている。


そこからの悩みが

実は多くを占めていたりします。


それが悪いと言っているわけではなくて、

もちろん予想することや予感といったものは

予防になったり道を指し示したりもします。

バランスは大切なのだけれど。



自分に意識を向けていると、

外に対する悩みや望みとはまた違った

悩みや望みが

自分から湧いていることに気づきます。

その、どんなことで悩んでいて

どんなことを望んでいるのかを

知りながら動くことは、


予想からの悩みを実感するよりも遥かに

悩みというものを知ることの

喜びが生まれたりする。


悩みなのに嬉しいの?

という話なんだけれど、

自分に意識を向けている状態での

自分から生まれる悩みとは、

生きるという意味での

生産性があるからなんじゃないかな?

とわたしはおもう。


人は、生産性のあるものに

喜びをおぼえるとわたしは思っていて、

(他にも、繋がりのあるものや

理由なくあるものも含めて)


それは、元々細胞に組み込まれている、

人という文化を築いていこうとする力

なのだとおもうのです。



予想することや予感は

人に備わった大切な力です。

自分に意識を向けることに慣れてくると、

頭で考えつくる予想や頭でとらえる予感

(固まった期待)ではない、

自然な予想予感が発動するようになる。

上手く言えないですが、

わたしはソレが本音で笑える世界になると

おもっています。



話を戻すと、

予感だろうが、予想だろうが、

予見だろうが、過去だろうが、

イマの自分によって

変わるもの・変えるもの・変えれるもの

が大なり小なり必ずあります。



(例えば)きょうは沢山笑える日だ(など)

と決めることも大切。


イマどんな状態かな?

と知ることも受け止めることも大切。


どうしたいかな?

と耳を傾けることも大切。


そんなことを丁寧にしていたら

自然な予想と予感で

動けていたりする◎



誰を信じているのだろう?

ナニを信じているのだろう?


??

じぶんのことは信じているかい?


じぶんを信じるというのは、

じぶんの状態を

知ること・耳を傾けることから

はじまる足あと足あと




長々とお読み頂き、

ありがとうございましたチューリップピンク


よかったら、

『新月前後メッセージ』もどうぞ新月キラキラ












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