王子朝鮮人学校事件 

王子朝鮮人学校事件(おうじちょうせんじんがっこうじけん)とは、
1951年(昭和26年)3月7日に東京都北区で発生した事件である。


◇事件の発端 

1951年2月23日、蒲田警察署は占領目的阻害行為処罰令違反容疑で、東京都立朝鮮人中高等学校(今の東京朝鮮中高級学校)の生徒1人を検挙した。

捜査の結果、当時のGHQが禁止していた「新朝鮮」「前進」「朝鮮女性」等のいわゆる反占領軍的な印刷物を作成していたことが判明し、2月28日に同校を家宅捜査し、証拠物件を押収した。

しかし、翌日3月1日は三・一独立運動記念日であったため、朝鮮人たちは「不当弾圧」と激昂し、所轄の王子警察署に300人、隣の板橋警察署に400人、赤羽警察署に40人が押しかけて抗議した。
そして3月7日に「真相発表大会」と称する集会を学校内で開催、抗議デモを行うことになった。


◇事件の概要 

1951年3月7日当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。 

集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。

しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。 

応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた 

警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。
群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った


◇その後の顛末 

警察は、事件の関係者12名を公務執行妨害罪、傷害罪、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕し、うち6名が検察により起訴された。
最終的には最高裁まで争われたが、5名が有罪となり確定した
(残りの1名は保釈中に逃亡した。)


参考文献

●警視庁史〈〔第4〕〉昭和史編
警視庁史編さん委員会

●日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実 李 瑜煥 洋々社





◆枚方事件 

枚方事件(ひらかたじけん)とは、
1952年6月24日から6月25日にかけて、大阪府枚方市で発生した公安事件。


◇事件の発端 

第二次世界大戦後、陸軍工廠枚方製造所は閉鎖され、その大半が連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の賠償物件となった。

大蔵省近畿財務局が管理していたが、荒れるにまかせ、タヌキが出没する有様であった。 1952年4月28日にGHQによる占領が終わり、
小松製作所に9億4285万円で払い下げられた

小松製作所は既にアメリカ軍より大量の砲弾を受注しており、正式な払い下げに先だって工廠の使用許可を得て、砲弾の生産を開始した。 
そのため、日本共産党や北朝鮮系の在日朝鮮人が反対運動を起こしていた


◇事件の概要 

1952年6月24日未明、実行犯が陸軍工廠枚方製造所に侵入、
第四搾出工場にあった水圧ポンプに時限爆弾を取り付けて爆破させた。 

この日の午後8時頃より、ひらかたパーク裏の鷹塚山(通称「一本松の丘」)で
「朝鮮戦争勃発二周年記念前夜祭」が開催され、約100人が集まった

前夜祭終了後、小松製作所の関係者と目された人物の自宅を襲撃することになり、
竹槍や棍棒を作るために付近の山に入り竹や木を伐採した。 

6月25日午前2時頃に被害者の自宅に到着、玄関に火炎瓶を投げ込み家屋の一部を焼いた
そして車庫にも火炎瓶を投げ入れて車庫や乗用車の一部を焼いた後、逃走した。 

枚方市警察は被害者の通報を聞いて、直ちに警察官12人を現場に急行させた。
警察は周辺の山林を捜索し12人を検挙、最終的には98人を検挙した。


◇その後の顛末 

大阪地方検察庁は、事件の関係者65人を放火未遂、公務執行妨害罪、爆発物取締罰則違反で起訴した。裁判の結果、6人については無罪としたが、それ以外については全員有罪となり確定した


◇被害者について 

自宅を襲撃された人物は、大阪市都島区に本社を置く運送会社の社長で、枚方工廠払い下げの受け皿となるべき会社を設立しようとしていたが、設立準備中の会社は払い下げの対象外であったため断念せざるをえなかった。 

ところが、この人物の姓が「小松」であったため、払い下げが内定した小松製作所の関係者と目され、この事件の標的にされてしまった。 

小松製作所は、吉田茂の実兄である竹内明太郎が創業したもので、
「小松」の名称は発祥の地である石川県小松市に由来する


http://ja.wikipedia.org/wiki/枚方事件


参考文献

●吹田・枚方事件について (1954年) (検察研究特別資料〈第13号〉) [-]
横幕 胤行
法務研修所
1954

●小松製作所五十年の歩み―略史 (1971年) [-]
小松製作所
小松製作所 エディト
1971

●大阪府警察史〈第3巻〉 (1973年) [-]
大阪府警察本部
1973


●日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実 (1980年) [-]
李 瑜煥
洋々社
1980-03