#miscarriage
#流産
#稽留流産
⚠️センシティブな内容が存分に含まれておりますので、苦手な方は飛ばして下さいね🙏
あなた(性別が分からないから貴方と書けばいいのか貴女と書けばいいのか分からないのが哀しいけれど)とお別れしなければならないと分かるまでの3週間
ママはとても幸せでした🍀
お姉ちゃんが、産まれる前のお空の上での話をしてくれた時、どのママがいいかなーとお空の上から眺めて、あのママがいいなーと思ってピューっとお腹に入ったと話してくれたことがありました。
あなたもお空の上から私のことを、その人生でとても重要な“ママ”に選んでくれたのですね、ありがとう😊
あなたは産まれることが出来ないことを知った上でも、ママのところへ来てくれたのかな。
あなたがいると分かって、ママは鉄分のサプリを摂るようになりました。
それまで立ちくらみがひどかったのに、無くなりました。あなたのためにと飲んだサプリ、本当はあなたがママのために、飲ませてくれたのですね。
あなたの名前を付けたがったお姉ちゃん。
本来なら名付けはパパの役目で、お姉ちゃんにその役目が回ってくる事は有りませんでした。
でも、あなたの名前はお姉ちゃんが付けました。男の子でも女の子でもいい名前を付けてね、と頼んで【雪】と付けてくれました。
名付けのチャンスを与えたあなたは、お姉ちゃん想いなんだね。
あなたとの別れは、手術以外でも沢山ありました。
マタニティマークを外した時。
妊婦のためのアプリを削除した時。
妊娠出産の雑誌を捨てた時。
新調したマタニティショーツをしまった時。
1つ1つが、とても悲かったけれど
悲しい気持ちとは、もうさよならです。
だってあなたは、ママを悲しませるために来たわけではないから。
ママを喜ばせるために来てくれたから。
あなたとまた会いたいけれど
あなたが辛い思いをするのは嫌だから
次はもっと若くて、健康な卵子を持った、健康な人を選ぶんだよ。
絶対優しい人を選ぶんだよ。
来てくれてありがとう。
本当に
本当に
会いたかったよ。
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以下自分のための記録と、同じ経験をした方への情報になればと。
長いのです。
2023.2.6(mon)
がん検診を受ける為病院へ。その際3日ほどレディースデイが遅れていたので念のため検査をして貰うと妊娠反応陽性🤰
医師♂「おめでとうございます、陽性です。」
私「え?え?!うそ!やった!!」
研修医♀「おめでとうございます😄」
でも、おめでとうという割にテンションが低く、私と一切目を合わせない医師♂の反応が気になりました。まぁ、男性の医師なんてこんなもの?と思いながらも、心がザワついたことを覚えています。
職場へ向かう途中にある薬局で、葉酸のサプリを購入しました。
翌日から、つわりが全く無いことに、不安を感じました。1人目の時は【つわり 死】と毎日検索する程超初期から悪阻が酷く、悪阻で妊娠に気付いたくらいで(夫が)、5kg痩せて医師から入院を勧められた程だったのに、全く無いなんてことがあるだろうか。
兎に角不安がつのり、願掛けの意味を込めて、2023.2.10(Fri)母子手帳を貰いに行きました。
普通は心拍が確認出来てから貰いに行くものだと知ってはいましたが、心のザワつきを抑える事が出来ず不安を払拭するために受け取りました。
2023.2.21(Tue)
近所の産婦人科に予約を取り来院。この日初めて胎嚢が確認出来、ホッとしました。1週間後に心拍を確認するから来院するようにと言われ、何故【1週間後】なんだろう、とまた心がザワつきました。1人目の時は2週間後に来るようにと言われたし、ちょうど読んでいたコウノドリという漫画でも、産科医達は【2週間後】に来るようにと言っているのに。
この日から、茶おりが出続けました。
私は知らなかったけれど、これは流産の印でした。2、3日くらいで治れば問題無いそうですが、それ以上続く場合は、良くないようです。
2023.2.26(Sun)
そろそろもう危ないと言われた祖父に会いに、千葉外房の老人ホームへ行きました。
娘に真新しいピカピカのランドセルを背負わせて
「4月から一年生だよ🌸」と報告すると共に
「お腹に赤ちゃんがいるよ。産まれるまで元気でいてね!」と言いました。
もう長く無い祖父を前にして、それが叶わないことは分かっていましたが、こんな形で叶わなくなるとは、その時は思ってもみませんでした。
2023.2.27(mon)
産婦人科へ。心拍が確認出来ないと言われました。一回では判断できないから、今週中にまた来るように。そこでも確認出来なかったら【稽留流産】になると言われました。
コウノドリで稽留流産の回を読んだばかりだったので、医師がこう言った時点で、流産がほぼ確定していることを知っていました。
その日は泣いて過ごすしかありませんでした。
夫は「まだ決まったわけじゃない。」と言いましたが、同時期に透明なゆりかごという漫画も読んでいましたし、この時点で流産がほぼ確定なこと、2回目の診断まで妊婦達はどうか間違いであってくれと願う事、そしてその願いは叶わないことを知っていました。
「ママのおなかにあかちゃんがいるってことは、あたしはもうおねえちゃんてこと🥰?」
と喜んで、赤ちゃんへプレゼントするブレスレットを作って、「あかちゃんのなまえ、あたしがかんがえる❣️」とワクワクしてとても楽しみにしていた娘に、本当に申し訳ない気持ちになりました。
でも、私のせいだとは思いませんでした。
これも漫画の知識ですが、初期の流産は染色体異常であって、妊婦の責任ではない事を知っていたので、その知識は私の精神の助けになりました。
もはや全国の成人式で、新成人全員にコウノドリの漫画を無料で配るべきだとさえ思っています。
2023.3.3(Fri)
夫と共に産婦人科へ。
別の医師(院長)が診察し、診断に変わりは無いと告げられました。それでも、誤診があってはならないので、1週間後もう一度来る様に言われ、そこでも心拍が確認出来なければ稽留流産が確定し手術の話をすると言われました。
その日手術のための採血をしてから帰宅しました。
夫はそこで初めて大きなショックを受けたようでしたが、私はもうそのショックは通り過ぎていました。
「1人居れば充分だと思ってたけど、全然そんなことなかった。」と言った夫の言葉が
それまで2人目不妊で悩み続けた私の心を、癒してくれる気がしました。
2人目不妊は相談する人がいない事が辛い。2人以上いる人には分かって貰えないし、未婚やシングルマザーの友人に相談するのは無神経だし、1人目の不妊で悩んでる人には、1人居るという事実があって、話せない。夫も娘が居ればそれでいい、と言っていたので、本当に孤独に悩まなければならなかったけれど、たった1人、夫が同じ気持ちで居てくれさえすれば、どんなに救われるか。
2023.3.10(Fri)
再度産婦人科へ。診断は変わらず稽留流産が確定。引っ越しを控えていることから、3日後手術が決定。
2023.3.13(mon)
流産手術。朝9時に入院。点滴や子宮口を広げるための処置。
手術は午後なので待ち時間が長く、携帯の充電機を持ってこなかったことを後悔。TVもあったので、充電が少なくなってからは、あまり知らない人達が出ているバラエティを眺める。
何故か2回も停電が起きて怖い。しかも結局その部屋で手術が行われて、停電の事を伝えなかったことを後から後悔。何も無かったから良かったけれど、言うべきだった。
2023.3.20(mon)
祖父他界。
2023.3.22(wed)
術後職場復帰。会う女性従業員達に体調を心配され(ちょっと手術をするため休む。としか伝えていなかった。)
「もうすっかり😊」と真実を伝えられない事に申し訳無さを感じる。
2023.3.27(mon)
a.m8:00〜祖父葬儀。前日から前乗りする予定が私の体調不良で移動出来ず、参列出来ないはめに。10:00からの火葬にだけでも参加したかったけれど、朝6時台に娘を連れて出発して乗換3回も、体調も万全では無いのに無謀すぎたので断念。
帰りに乗るはずだった親族の車は高速上でパンクし、車から降りて待つように言われ、寒い中30分も高速道路の路肩で立って待たなければならなかったようで
娘がいたら本当に大変だったし、きっと祖父が“来るんじゃない”と、私の体調を少しだけ悪くしたのかもしれないと思いました。
お空で約100歳差の祖父と雪が、楽しく遊んでいますように。
先に行って待っていた祖母も加わって、幸せに過ごしていますように。