政府を信じられない先進国の国民たち――リチャード・カッツ
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/cae1dcead13cd5a2a47acfbb26c97ca6/page/1/
信頼の危機が、日本の政治をますます困難な状況に追い込んでいる。民主主義が機能するには、国民が基本的なところで政府に信頼を寄せていなければならない。しかし日本の国民は、政府指導者が述べた単なる事実ですら、額面どおりに受け取らなくなっている。
たとえば、野田佳彦首相は昨年12月16日、原子炉が冷温停止状態に達したとして、福島第一原発事故の収束を宣言した。ところが日本経済新聞の世論調査によると、首相を信じていると答えたのは回答者の12%にすぎなかった。このように信頼が欠如しているからこそ、日本では政府が安全性を保証しているにもかかわらず、原発が次々と稼働停止されているのだ。これら原発がいつ再稼働されるのか、またはそもそも再稼働されるのかどうか、現時点ではわからない。
信頼の欠如は、消費税引き上げをめぐる議論でも垣間見える。増税分はすべて社会保障の財源として使う、と政治家が約束しても、有権者たちは、どうせごまかしによって無駄な公共事業に回されるのが落ちだ、と疑いの目を向ける。最近、野田首相が、論争の的となっている八ッ場ダムの建設継続を決定したが、それによってまた信頼欠如が増幅することになった。
迅速に対応しないと日本もギリシャをはじめとする欧州の債務国と同じ運命をたどることになる、という警鐘が鳴らされても、日本の有権者はこれに耳を貸そうとしない。国民からすれば、政府は債務問題については「オオカミが来るぞ」とありもしないことを言い募り、原発の問題に関しては逆に「安全だ」と言って国民を丸め込もうとしているように思える。
政府が日本の債務状況を欧州のそれと比較するのを国民が信用しないのは、実は正しい。日本は、経常黒字を維持しているかぎり、債務の財源を手当てできる。外国から巨額の資金を借りねばならない欧州の国々とは異なり、資本逃避への脆弱性をさらすことにはならない。
日本より深刻な米国の政府不信
昨年12月に朝日新聞が実施した世論調査では、有権者の80%が政治制度に不満を抱いていると回答した。原子力発電を継続すべきかどうかも含めて、国の政策に関する国民投票の実施に賛成したのは70%に上り、首相を直接選挙で決めることを支持した割合も70%に達した。「国民の意見が政治的な決定に十分に反映されている」と思っている回答者は皆無、「ある程度反映されている」との回答も12%にすぎなかった。
自民党は、野田政権を倒し、総選挙に持ち込むため、国会審議の拒否をちらつかせ、予算財源の約半分を賄うのに必要な赤字国債の承認を拒否しようとしている。だが、この戦術は、自民党の支持率向上につながっていない。
朝日新聞の世論調査によると、回答者の80%(自民党の支持者では62%)が、「自民党の戦術を支持しない」と回答した。それでも自民党は、自らの戦術がもたらす行き詰まり状態は、より大きな打撃を政権党である民主党に与える、と信じ込んでいる。こういった駆け引きそのものが、民主主義はよい結果をもたらす、という信頼をむしばんでいるのである。
信頼の欠如に悩まされているのは政党だけではない。多くの組織が同様の問題を抱えている。組織の信頼度に関して、昨年9月に公益財団法人新聞通信調査会が実施した世論調査によると、「政党を信頼している」と回答したのはわずか12%、78%は「信頼しない」と回答した。国会については、「信頼する」が20%、「信頼しない」が66%。政府機関については、「信頼する」はわずか25%、「信頼しない」が57%。裁判所については61%、検察については47%が「信頼する」と回答した。メディアへの信頼度は67%と高く、病院への信頼(75%)に次いで2番目に高かった。
こうした問題に直面しているのは、日本だけではない。米国では信頼の欠如がもっと深刻だ。20世紀中頃には、米国人の70%が、政府はほぼつねに正しいことをする、と信じていたが、その比率は現在15%にまで低下している。昨年のギャラップ世論調査では、議会を「大いに」または「かなり」信頼しているのはわずか12%、大企業は19%、新聞は28%、公立学校は34%と、軒並みかなり低い結果となった。
もう一つの問題は、「パニックを避ける」という理由から、多くの場合、当局が真実を隠蔽または過小視するということだ。例を挙げるなら、1990年代に金融危機が起こったとき、当時の大蔵省はその深刻さを国民に伝えなかった。経済産業省は、福島第一原発でのメルトダウンの可能性を暴露したスポークスマンを即座に交代させた。
だが、このような理由で真実を知らされないと、人々はかえって疑心暗鬼に陥る。ある友人が肝臓に異常があって入院した際、医者ががんではないと言って安心させようとしたため、その友人はとても不安になったという。医者が真実を語っているのかどうか、わからなかったからだ。今その友人は元気だが、日本の政治・経済は今も元気がない。
Richard Katz
The Oriental Economist Report 編集長。ニューヨーク・タイムズ、フィナンシャル・タイムズ等にも寄稿する知日派ジャーナリスト。経済学修士(ニューヨーク大学)。当コラムへのご意見は英語でrbkatz@orientaleconomist.comまで。
(週刊東洋経済2012年2月18日号)
記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。
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信頼の危機が、日本の政治をますます困難な状況に追い込んでいる。民主主義が機能するには、国民が基本的なところで政府に信頼を寄せていなければならない。しかし日本の国民は、政府指導者が述べた単なる事実ですら、額面どおりに受け取らなくなっている。
たとえば、野田佳彦首相は昨年12月16日、原子炉が冷温停止状態に達したとして、福島第一原発事故の収束を宣言した。ところが日本経済新聞の世論調査によると、首相を信じていると答えたのは回答者の12%にすぎなかった。このように信頼が欠如しているからこそ、日本では政府が安全性を保証しているにもかかわらず、原発が次々と稼働停止されているのだ。これら原発がいつ再稼働されるのか、またはそもそも再稼働されるのかどうか、現時点ではわからない。
信頼の欠如は、消費税引き上げをめぐる議論でも垣間見える。増税分はすべて社会保障の財源として使う、と政治家が約束しても、有権者たちは、どうせごまかしによって無駄な公共事業に回されるのが落ちだ、と疑いの目を向ける。最近、野田首相が、論争の的となっている八ッ場ダムの建設継続を決定したが、それによってまた信頼欠如が増幅することになった。
迅速に対応しないと日本もギリシャをはじめとする欧州の債務国と同じ運命をたどることになる、という警鐘が鳴らされても、日本の有権者はこれに耳を貸そうとしない。国民からすれば、政府は債務問題については「オオカミが来るぞ」とありもしないことを言い募り、原発の問題に関しては逆に「安全だ」と言って国民を丸め込もうとしているように思える。
政府が日本の債務状況を欧州のそれと比較するのを国民が信用しないのは、実は正しい。日本は、経常黒字を維持しているかぎり、債務の財源を手当てできる。外国から巨額の資金を借りねばならない欧州の国々とは異なり、資本逃避への脆弱性をさらすことにはならない。
日本より深刻な米国の政府不信
昨年12月に朝日新聞が実施した世論調査では、有権者の80%が政治制度に不満を抱いていると回答した。原子力発電を継続すべきかどうかも含めて、国の政策に関する国民投票の実施に賛成したのは70%に上り、首相を直接選挙で決めることを支持した割合も70%に達した。「国民の意見が政治的な決定に十分に反映されている」と思っている回答者は皆無、「ある程度反映されている」との回答も12%にすぎなかった。
自民党は、野田政権を倒し、総選挙に持ち込むため、国会審議の拒否をちらつかせ、予算財源の約半分を賄うのに必要な赤字国債の承認を拒否しようとしている。だが、この戦術は、自民党の支持率向上につながっていない。
朝日新聞の世論調査によると、回答者の80%(自民党の支持者では62%)が、「自民党の戦術を支持しない」と回答した。それでも自民党は、自らの戦術がもたらす行き詰まり状態は、より大きな打撃を政権党である民主党に与える、と信じ込んでいる。こういった駆け引きそのものが、民主主義はよい結果をもたらす、という信頼をむしばんでいるのである。
信頼の欠如に悩まされているのは政党だけではない。多くの組織が同様の問題を抱えている。組織の信頼度に関して、昨年9月に公益財団法人新聞通信調査会が実施した世論調査によると、「政党を信頼している」と回答したのはわずか12%、78%は「信頼しない」と回答した。国会については、「信頼する」が20%、「信頼しない」が66%。政府機関については、「信頼する」はわずか25%、「信頼しない」が57%。裁判所については61%、検察については47%が「信頼する」と回答した。メディアへの信頼度は67%と高く、病院への信頼(75%)に次いで2番目に高かった。
こうした問題に直面しているのは、日本だけではない。米国では信頼の欠如がもっと深刻だ。20世紀中頃には、米国人の70%が、政府はほぼつねに正しいことをする、と信じていたが、その比率は現在15%にまで低下している。昨年のギャラップ世論調査では、議会を「大いに」または「かなり」信頼しているのはわずか12%、大企業は19%、新聞は28%、公立学校は34%と、軒並みかなり低い結果となった。
もう一つの問題は、「パニックを避ける」という理由から、多くの場合、当局が真実を隠蔽または過小視するということだ。例を挙げるなら、1990年代に金融危機が起こったとき、当時の大蔵省はその深刻さを国民に伝えなかった。経済産業省は、福島第一原発でのメルトダウンの可能性を暴露したスポークスマンを即座に交代させた。
だが、このような理由で真実を知らされないと、人々はかえって疑心暗鬼に陥る。ある友人が肝臓に異常があって入院した際、医者ががんではないと言って安心させようとしたため、その友人はとても不安になったという。医者が真実を語っているのかどうか、わからなかったからだ。今その友人は元気だが、日本の政治・経済は今も元気がない。
Richard Katz
The Oriental Economist Report 編集長。ニューヨーク・タイムズ、フィナンシャル・タイムズ等にも寄稿する知日派ジャーナリスト。経済学修士(ニューヨーク大学)。当コラムへのご意見は英語でrbkatz@orientaleconomist.comまで。
(週刊東洋経済2012年2月18日号)
記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。