本日最終日
みなさんこんばんは。
早いもので、とうとう最後の日がやって参りました。
サンフランシスコの方が現実で日本が非現実となった今、
帰国したらどのように感じるのでしょうか。
楽しみです。
挑戦というものについて最終日は書いてみたいと思います。
あなたは何に挑戦した事があるだろうか。
そして、なぜ人は挑戦をするのだろうか。
つらい?面白い?
自分を感じるため。私は挑戦する理由はこれだと思っている。
自己を実感するため。
自分を知ろうとする、或は自分というものを作りあげようとする人間は素敵だと思う。せっかく生きているのだから、なんの挑戦もなく、なんの壁にも当たらず人生を終えてしまうのはなんとももったいない気がするのは私だけだろうか。あなたは今、何をしたいだろうか。どんな勝負を今までの人生でしてきただろうか。
今回、海外留学というのは私の中では挑戦だった。いつも、戦いを避けてきた私にとってアメリカに来てからの苦痛は、今までの人生の中でもTOP3に入るものだと思う。こちらに来て感じる、自分が想像していた自分の像との食い違い。自己の表現が出来ない苦痛。逃げるは簡単。受け止めるは苦痛。そんな痛みをこちらで私は感じた。
まず、自分で思い描いた自分が嘘なのかという事。私は日本にいた時は、人と話す事が好きだし、人と話す事が私にとっての生きがいだと思って疑いもしかなった。しかし、アメリカでは状況が変わった。私は英語がほとんど話せないし、聞き取れもしない。外人を見るのがいつしか恐怖に変わった。最初のうちはどんどん話かけようと意気込んでいたのだが、途中伝わらないもどかしさが、私の中で人を拒絶するものへと発展する。これは、私の中で大きな出来事だと思う。人間大好きだと思っていたのだが、かいま見える人嫌い。私の人間としての弱さ。挑戦というのは、時として人の弱さを露呈する。これが、多くの人が挑戦をさける理由ではないだろうか。自分を知るというのはなんだか皆避けたがる。自分を知ることは恐いのだ。心のどこかでもっと自分は出来る人間。どこかに、秘めたる力を隠している。私はよくそう考えていた。そして、どこかに言い訳をつけて逃げてきた。しかし、戦いを挑むとその逃げ道が封鎖されてしまう。自分の弱さが露になってしまう。これは苦痛だろう。そう。強い人間というのは、この自分の弱さを凝視できる人間なのではないかと私は思う。そして、自分を知っている人間は自分は何が出来、そして何がしたいかというのがよく分かっている。結論、一つの事に打ち込んで面白い人生を送れると思うのだ。本日で私は日本へ帰ってしまうのだが、この私の持っている弱さをしっかりと見つめながら、今後の人生を送って行きたいと思う。決して、人間が得意ではない。私の中の本能が、思い込みの人好きを越えた瞬間だった。しかし、いつまでもこれを弱みとして持っているのではなく、いつか克服し強みにしていきたいものだ。この弱みを発見できる手段の一つに挑戦があるのではないか。
次に、自己の表現が出来ない苦痛。前段落で少し書かせてもらったのだが、これはここ数年の記憶で一番の苦いものとなった。出かける前は、なんとかなると思っていた部分があるのだろう。もちろん、ある程度の苦痛は予想できた。私は英語を得意としていなかったので、大変なものとなるなと割と考えていたつもりだった。しかし、アメリカでの経験は私の予想をはるかに上回る。無人島で一億円を持っているかのようなもどかしさ。頭の中で構想はあるのに、筆が進まないような感じ。これらは繰り返されると時として恐怖を引き起こす。伝わらない。恐い。エレベーターを使うとき、何度、誰も入ってくるなと願った事か。言語が通じず、そして相手を理解出来ないというのはどんなに嫌なものか肌で感じた。
最後に、逃げるのは簡単だと言うこと。逃げる事は一種の快楽のようなものだと私は思う。別に快楽がよいとか悪いという訳ではない。ただ、逃げる事は簡単だという事を強く私は感じた。別の言い方をすれば、逃げないのは非常にパワーを要するという事だ。大きな津波があなたを襲う。この津波にあなたは立ち向かうだろうか。津波の大きさを見誤ると飲まれてしまうかもしれない。しかし、今回の留学というエネルギッシュな津波を私は少し受け止めたような気がするのだ。今は受け止めている最中なので辛いのだが、この後にどう感じるのかという楽しみを残して私の津波は去っていこうとしている。
No challenge no life.