あおが認知症になった。
もう16歳やから、人間にしたら80歳。
16年前、私は34歳。
精神を患って、子供と離れ、堺市で6畳1間のアパートに暮らしていた。
8月の終わりに、その頃知り合い、お世話になったコーチング(当時、コーチングという言葉は普及してませんでしたが)の岩脇先生が仔犬を自宅で繁殖させ、病気の人に無償で讓渡していた。
お父さんが龍太郎という名前の白いチワワで、お母さんはアリスという名前の黒いダックス。
クライアントとして、
初めて面談に行った先生の自宅兼サロンに、6匹か7匹か、、産まれたばかりの仔犬が産まれていました。
お母さん犬のおっぱいを奪い合うように群がる中で、兄弟たちに足で押されて、なかなかお母さんのおっぱいに辿り着けない、“ミルクティー“という仮の名前の中でも特に小さい子が、未熟児だった自分みたいで目を引いた。
「アニマルセラピー犬として、飼ってみいひんか?」
ちょっと、やすきよのヤッサンみたいな岩脇先生。
私は精神病院を入退院し、子供を手放し、病院以外の外出は、やっとこさここに来ていて、それ以外は外にも出れない
。
「自分の子供も育ててない、自分のこともできひんのに、犬なんて飼えません。」
先生「20時間は寝るから。散歩もしなくて大丈夫。1日に1時間だけ、ゲージから出して部屋の中走り回らせてやって。
ほんで、ひと握りのドッグフードを1日1回や。
その後に、うんちするから拾ってやって。それだけや。
それだけしたってくれへんか?」
今でも、先生の声をそのまま覚えている。
私は、懇願するような先生に負けて「うん」と首を縦に振ってしまった。
もちろん、動物はすごく好きやったし。
猫やらウサギやらフェレットやらチンチラやらを飼ったりしてきた。
戯れ塊の中で一番、どんくさそうで、皆からワンツー遅れてついて回る、その仔犬にした。
まだ片手に乗る大きさ。
肩から掛けるタイプのスポーツバックに入れて、電車で帰った。
家に帰ってから、カバンから出して抱っこしたとき、
自分に子供が産まれて抱っこした時と、全く同じ愛おしさが、お腹の上の方から胸にぐわっと湧いてきた。
凄いなと思った。
家に着いて5分で私は
アニマルセラピーの意味と、その凄さを思い知らされた。
仔犬の名前は
当時離れて住んでいた娘と息子の名前「あみ」と「おみ」の頭文字をとって、「あお」とつけた。
あおを迎えてから1ヶ月経った、次の面談のときにした、今思えばTAのエゴグラムのテストが、初めて実施した時のグラフの形のWから、
ゆるやかなNになっていて、先生もとても驚いていた。
「抱きしめて、抱きしめて、育てます」
先生と約束した。
そこから、沢山引越して
あみもおみも、一緒に暮らすようになって、
一昨年の11月に特に大きな病気もせず、
気が付いたら、あおがとっくに私の歳も追い越して、たぶん、もうそんなに長くはないのだろうと思う。
毎日、喜怒哀楽がなくなっているし、ご飯もお水も自力では食べない。
ただ、私を探し、目で追い、ヨタヨタと追いかけてきては足元でパタンと倒れるように寝る。
鼻ずまりがすごくて、可哀想やけど
人間とは勝手なもので、きっと何か治る病気で、どうにか元気になる方法があるに違いないと、
顔は仔犬の時と変わらない顔でも、もう16歳という歳も忘れて、外的な要因を見つけようとする。
色々、症状を入れて、動画を探してみると
今のあおの状態と同じような、
既に虹の橋を渡った愛犬の最期の何日か前の動画を「他の人の参考になれば」とアップしている方がいて、
それを見たときには、とてもじゃないけど耐えられず、
涙が溢れ、止まらなくなった。
「あお、ほんまにもうすぐ、お別れなんやな」
突然に呼吸が乱れ出すあおを何度も抱き起こしては、その度に泣いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
5月12日に書きました。
「抱きしめて、抱きしめて育てます。」
そう先生と約束しました。
私を癒すために生まれてきてくれた、あお。
だけど、勝手な私は“病み“から脱却し、社会復帰し、特にこの仕事についてからは一緒に居る時間は少なくなり、
宝塚で、皆で一緒に住む頃には
すっかり人を攻撃をするようになったあお
それでも最後は、東京ディメンションにも一緒に行って、
皆に撫でてもらい抱っこしてもらえました。
そして、あお
本日の3:46 永眠。
あおの心臓が止まるまで、手のひらでしっかり鼓動を捉え、記憶しました。
あまり長くは苦しまず、
今も眠っているように穏やかなきれいな顔をしています。
今にも、まぶたやお腹辺りが動き出しそうなぐらい。
本当に可愛い犬でした。
犬なのに犬ではないような
神秘的な犬でした。
フレンチや、のどぐろ、クエなどなど
普通のワンコより、色々なものを食べたと思います。
虹の橋を渡ったら、きょうだいたちや、お父さん、お母さんに沢山褒めてもらってや。
「いっぱい人を癒し、貢献し役に立って来たよ」って。
あお、また会おな。
あおをたくさん愛してくれ、
お世話になった皆さん、
本当にありがとうございました。
あおに出逢えて、幸せでした。