タラちんが亡くなってから落ち込む日々
明るい音楽を聴いてみたりして、ツラい気持ちを紛らわそうとはしていたけど・・
やはり、そう簡単にはいかなかった・・
布団の中まで一緒にいたぐらい、本当にずっと一緒にいたから
明るい曲すらも、タラちんとのお別れの曲として記憶に遺ってしまいそうだ
年末に区切りをつけて、新年を新たな気持ちでと思っていたけど
なかなか、そうは上手くいかないもんだ
名残惜しさは、タラちんの毛をマスコットキーホルダー?に詰めて自家製仏壇に飾ったり・・
何とも女々しい男だ(笑)
・・・・・
・・・・
と、ここまでは年始に書いていたが
タラちんへの名残惜しい気持ちを言葉にすることさえ罪な気がして
書くという作業が止まってしまっていた
↑
この日に書いていた
・・・・・
・・・・
さて
少し前のブログで、わだすは気づいた
永遠という不可能を求めていたのは自分で
タラちんは頑張って、半年の時間をくれていたということに気づいた
タラちんの最期を見届けた後
不思議な感覚だった
なんだろう
現実から目を逸らしたかっただけなのかもしれないけど
人生が幻のように
全ての経験が幻のように
現実ではない空間に存在しているように
タラちんの最期は
わだすにとっても何かしらの最期を感じた
確かにタラちんは、わだすの人生そのものであり
人生の一部であるのは間違いないことだ
心に鏡を持って、反転してタラちんの人生から物事を見てみる
タラちんにとって、ピコさんも、わだすも、タラちんの一部であった
タラちんから見たわだすは、一緒にいたいと思った者であり
触れていたくて、追いかけたい者であった
タラちんの人生が、自分の人生に見せたいと思う者
自分自身の人生は、自分から見える者、景色によって送り方は変わる
自分自身の選択によるものだ
そして、タラちんは、半年前の不調から奇跡的に回復し、苦しくてもその後を頑張って生き
その間も自ら求める者へと歩み寄り
我が欲を達成させながら生きた
わだすは、タラちんが亡くなったことで、もっと長く生きて欲しかったと不可能を求めたが
タラちんは『奇跡的に』回復し、半年間もわだす達に時間をくれていたことに気づいた
これは
自分もそうなんじゃないか
わだす達にも、有限な時間がある
残りの人生の時間には限りがある
間違いなく限りはある
残りの人生を
求め
追いかけ
本当に求めることを選択し
無駄なく一生懸命に生きていかなければならない
惰性、妥協、実感ない時間を過ごすのは
一度だけの人生の時間を無駄にする
それが、タラちんからの学びだ
もう、そんなに時間はない
大切なこと
自分が大切だと思うこと
求め
生き抜くんだ
『あの時』自分が見つけた、本当に大切だと思うことを、やり切るんだ
世間に流されるな
プライドや世間体
見られたいという『相手に委ねる』欲は捨て
『自らが』見つけた本物の我が道を
精一杯
生きるんだ
そして、最後のチャレンジに向けて
心を湧き立たせ
全ての負の欲に立ち向かうんだ
タラちんの49日
旅『立』ち
偶然にも
2月4日の今日は
立春
わだすも
本日
自分自身の負の欲に立ち向かい
人生の冬とお別れをする決心をした
タラちん・・
タラちん・・
あなたを忘れることはないよ
あっちの世界でも楽しんで
まだ先だけど
必ず
みんなそっちに行くから待っててね
またみんなで楽しくやろう
今まで
ありがとう
わだすも、立春とともに
古木の枯れた枝を切り落とし
春の光を追いかけ
空を目指す新芽のごとく
新たな自分となり
芽を出して生きたい
そんなことを考えた今日の立春
タラちんの49日ことだった
さぁ、まだ寒いけど
光の世界を目指して修行だ
満月は少し過ぎたけど
まだまだ月はまるい
頑張れわだす
まだまだ頑張るぞー
月に祈り
そして
誓い
みんなの幸せを・・
願う


















