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今日は区役所に行ってきました。
理由は税金問題よ
あまりにも住民税と保険料の金額の高さにビックリして、
『はぁ゙〜ーー!?』ってなったのよ
何かの間違えじゃないと本気で思ったわ。
こんなこと理解しちゃいけないことかもしれないけど、
何となくカスハラする人の気持ちが分かったような気がした。
世の中に絶望しているんじゃないかなって。
たとえば、区役所に行って担当の課の人間と話したんだけど、
正直イライラして仕方なかったわ。
『あ゙ぁ゙〜ーー!!』って叫びたくなった。
挙げ句意味の分からない説明だし、
結局寄り添ってもくれないわけよ。
クソ高い税金をうま〜く搾取して、
こんな高額無理です!ってなっても一回の支払いを少し安くして、
でも決まっている額だからとか言って、
安くした分、払う期間を延ばして最終的には全額搾取するという。
「それって何の意味も無くないですか?」って伝えておいた。
「余裕がないのに、それでも遠回しに払え!
さもないと督促状送りつけ、それでもダメなら無理矢理回収する」ということなのだから
人間に寄り添ってもいないし、まるで取り立てのようだと思って、
ブチギレそうになっちゃった
結論、区役所に行ったけど無意味であり、
怒りだけを与えられたなと思いました。
マジでやりきれないわ。
区役所を後にして、
リフレッシュしようとスタバ行ったんだけど周囲のうるささにイライラして、
急いでイヤホンして音楽を聴き、周囲の音をシャットダウン。
そしてその後コンビニで、住民税+保険料+電気+ガス代を支払い、
お財布に入っていたはずの数万が一瞬にして消え、
本当にバカらしく感じたわ。
帰りにスーパーへ行くと、
ジイさんバアさんがたくさんのお惣菜をカゴに入れ、
もちろん広告で安くなっている商品は、
当たり前のようにジイさんバアさんのカゴのなか。
結構良いもの食べているのね〜
そう思った瞬間、
物凄〜く腹が立ったんだけど。
ジジイババアには、生活の中にあらゆる特典があって、
私たちには特典が何も無いような気がします。
色々苦しく感じたのか、道端で倒れそうになってしまった。
そんなとき、涼しい強風が私の熱を飛ばしてくれました。
…なんだか、あまりにも不公平じゃない?
そう思った瞬間、
この国のあらゆるものへの不平等さや歪みを改めて感じました。
同時に、自分がなんのために生きているのか分からなくなってしまったような気もしたり。
スーパーの広告の品「お買い得品」なんて、
夜に疲れて帰ってくる私はほとんど見たことなかったし、
高い食材をカゴに入れるだなんて9割型無いわね。
でもそれらをジジイババアは出来るんだ〜と思いカチンときたんだけど。
カスハラ問題について、以前小池百合子さんが会見していた映像を観たことあるけど、
百合子はカスハラとは無縁だと思うのね。
なぜなら無縁な世界にいるから。
大した事してないのに。
というより、むしろ百合子はカスハラをコントロールできる立場にいる人だしね。
超不愉快だわ。
岸田にしても政治にしても。
誰も苦痛を味合わないし、税金を好きなように使っているわけじゃん?
そう考えれば世の中に怒りが溢れるのは当然よきっと。
私だってなんだかんだ世の中に耐えているだけであって、
プツンと切れたとき、私だってカスハラになる可能性があるかもしれない。
勝手な私の感じたことで、
住民税と保険の高額さを、社会への不満と政治やらをカスハラに結び付けた記事だけど、
完全に間違っていない気はするんだよ。
なぜなら怒りは悲しみになるし、
責任感は憎悪へ変わるし、
一つひとつを細かく繋げていくと、安倍晋三射殺事件の加害者にさえも辿り着くような気がしたり。
「もしかしたら、私がなったかもしれないアナタ」ってのは、
今の理不尽すぎる社会には溢れているんじゃないかな。
誰も助けてくれない、
国も助けてくれない、
全ては自分でなんとかしろ。
まるでサバイバルゲームであり、
残酷に言ってしまえば、この息苦しさを思うと、
"ただの今この瞬間呼吸すること" さえ、お金がかかるような気持ちになる。
それに人間なんて強い生き物じゃないから。
そういえば、「人間て何?」とよく思っています。
それはおそらく、私が殺人者への興味を持っているから。
マイナスな言葉に聞こえてしまうかもしれないけど、
私自身が傷つく人を見たり、
傷つく体験をして感じることがたくさんあったのね。
そこから殺人を犯してしまった人の気持ちに興味を持つようになったのです。
そこに至るまでの経緯が知りたいって思うのです。
色々あると思うの。
怨恨であったり、本当に喧嘩をしているうちにうっかり殺してしまったりとか。
みんなうまく社会に飼い慣らされてて、
私は「人を傷つけたりしたくないです!」とか本気で思って生きているけど、
でも「本当にそうなのかな?」と思ったりして。
だってよく考えてみてよ。
プロレスとかボクシングとかって、かなり野蛮な話だと思うけど、
人が人を殴るのを見て楽しんでるわけじゃん?
でも、それらはスポーツというかたちで昇華されているから、
みんな安心して見れているわけであって、
そうじゃなくて、道端でボコボコにされているところを見たら、
多分ビックリして逃げちゃうと思うわけよ。
でも、「あんなの人間じゃない」という言葉を聞くたびに、
「じゃあ人間て何?」って思っちゃうね。
つまりそこを掘り下げていくことによって、
自分が見えてくるんじゃないかなって思うのです。
今というか、過去の自分もそうだと思うけど、
常に自分探しをしながら私は生きていると思っていて、
「もしかしたら私がなったかもしれないアナタ」みたいな。
「私は何者なのか」というのが、
私にとって永遠のテーマみたいな、そんな気がするんだよね。
それにしても息苦しい。