昨日は、母の日。
母であるわたくしカリスマお母さん。
娘たちとフェラーリお父さんから、うれしいカードをもらいました^^
母の日って、感謝の気持ちを受け渡しできる、素敵な日(*^.^*)
・・・
そういえば、私が小さい子供だったころ、母の日に何をあげていたかなぁ。
「肩たたき券」とか、作った記憶もあるけれども、それを使ってもらって肩をたたいた記憶って??
うーむ。思い出せない。。。
・・・小さい頃の楽しい記憶って、残ってなかったりするんですよね。
・・・ついでに言うと、3人姉妹の真ん中の私は、写真もあんまりない・・・(-_-;)
だからって、楽しい出来事がなかったハズはない!
甘えたり、触れあったり、きっとたくさんあったハズなんだけど・・・。
それでいて、怒られた記憶とか、冷たくされた記憶とかは鮮明に(笑)。
・・・この記憶ってもんが怪しいんですよね。
+++++++++++++++++++
事実と記憶は異なる。
記憶は、それを思い出すたびにさらに想いの分だけ輪郭を太く強くして上書きされていくのです。
楽しい記憶はより楽しく、悲しい記憶はより悲しく。。。
想い出した数だけ、自分の想いに従って、より輪郭が鮮明に。
+++++++++++++++++++
記憶に残ってるハズがない小さな頃のこと、何故か覚えてることってないですか?
まわりから「こんなことあったよ~」「こんなだったのよ~」と聞かされたこと。
それが片隅の記憶に上書きされて、実感として残ってたりして。
・・・
真がハイハイを始めたころ、胸を打ちつけて「うーっ!うーっ!」と唸りながら進む様子がとても可笑しくて可愛くて・・・。
「真がえる」と命名して、ビデオにとったり写真に撮ったり・・。
その時の様子を話して聞かせてあげたら、真も珠も大喜び。
「お姉ちゃん、こうやって、ハイハイがカエルだったんだよねー」と珠が真似してそこらじゅう「うーっ!うーっ!」と這いつくばったりして。。
大変だった、オムツのお取り換え。
新生児のころは、ウンチがオムツからはみでて、背中の方まで・・・「きゃーっ、背中洗わなきゃ・・・洋服変えなきゃ・・・泣」
動き回れるようになると、お取り換えの途中でコロンと寝返られたり脱走されたり!
もう「きゃーっ、ウンチ待って~」て感じ。
これも、当時はほんっと!!大変だったけど、楽しい奮闘記として子供たちに話して聞かせてあげると・・・
早速、「ねぇねぇ、お取り換えごっこしよーっ!!」と、寝っ転がって、「早くお取り換えして~~♪」
「じゃあ、お取り換えしましょーね♪よしよし・・・」
「背中までウンチいっちゃった??」なんて確認があったり(笑)
足を持っておしりをふく真似をしようとすると・・・もちろん、はいはいで脱走を始めます(笑)。
「待て待て~」と取り押さえて、両足で両手をおさえて(笑)、お尻をふきふき(の真似)。
最後は両足を持って、「はい1・2、1・2…」と足の運動。。。
赤ちゃんの頃こんな風に両親は暖かく見守ってくれていた・・・と「真がえる」やら「お取り換え」から暖かい記憶として残ってくれると思ってます。
こんな感じで、色々な事実に新しい記憶として暖かい色を重ねてあげることってできるのです。
暖かい色を何度も何度も重ねてあげることで、実感として暖かい記憶として鮮明に残ると思うのです。
多分、同じ「お取り換え」でも、こんなに大変でしんどくって、もう子供なんていらない・・・って色をのせることもできると思います。
子供の記憶も、自分の記憶も。
一つの事実に、楽しかった想いと苦しかった想いがあったとする。
楽しかった方をクローズアップしていくと、「楽しい」>「苦しい」
どんどん輪郭を太く強くしていくと・・・
「苦しいこともあったけど、でもとても楽しい良い思い出♪」に。
もっともっと「楽しい」をクローズアップしていくと・・・苦しい思いは楽しい想いに乗っ取られます(笑)
さらに、記憶の上書き!
ひとつの事実に苦しい想いしかなかったとする。
(とはいっても、もしかして自分で「苦しい」を既に何度も何度も上書きして、「すっごく苦しい」になっているのかも・・)
それを、自分の思い通りの楽しい想いをのせてしまう!
何度も何度も。
・・・そうすると、苦しい想いから、解放されていきます。
一つの事実に対して、想いは千差万別。記憶も千差万別。
例えば、母の日。
プレゼントに「カーネーション一本」もらったとする。
自分一人だって、その時の状況、もらった時の感情、それによって、うれしかったり、がっかりしたり、いろんな想いが湧いてくると思う。
事実は一つだけど、その事実に対する想いはいろいろ。そして残る記憶もいろいろ。
なら、楽しい良い記憶、良い思い出として、残しませんか?
だって、どうせ自分しかわからない、自分の頭の中のことだもの。
苦しい・辛い想いに「苦しい・辛い」を上書きすることなく、その想いから解放されて、楽しい幸せな記憶に塗り替えましょ♪
「苦しく辛いことを頑張った偉い私!」に関しては、どうぞ「苦しく辛い」を上書きしてくださいね♪
だって、「苦しく辛い」を上書きすればするほど「それを克服して頑張った偉い私!!」なんだもの^^
記憶が事実とは限らない。
記憶は、事実に自分の感情をのせたもの。
記憶の上書きの簡単なものを一つ紹介。
苦しい思いを書き出して・・・「ま、いっか!おかげで・・・」と続けてみる。
発想の転換、簡単にできますよ(^_-)-☆

ふと思い出しました。
母の日に書いた作文だったかな。
お題は「わたしのお母さん」
書き出しが・・・
わたしのお母さんは、やさしいけど本当はとてもこわいです。
・・・これを母に見せたらね・・・
「こわいけど本当は優しいでしょっっ
」
と怒られました。
私は心の中で、「ほらっやっぱりこわいじゃない・・・」と思ったものです(笑)。
さっき、寝かしつけがてら、真に
「お母さんって、やさしいけどこわい?こわいけどやさしい?」
と聞いてみました。
「んん??えーっとね、どっちも♪」だそうで。おいおい(笑)。
作文で思い出しました。
「わたしは、豚肉が大好きです。特にあぶらがだいすきです。」
お題はなんだったかなぁ。
体重なんか気にしている頃に、小学生の頃書いたこの作文を見つけ、ぶっとんだものです。
今真珠たち、「ぷにゅぷにゅ」なんて言って先を争って豚の脂身を食べています。
ふふふ。わたしのお腹を「ぷにゅぷにゅ」なんて言って、触って、笑っている娘たちよ!
君たちもこうなるのだよ^^
時代は繰り返される・・・
でも!繰り返さないこともできるのです。
私ったら、小さい時の記憶、どんどん植え付けちゃうもんね^^
「こわいけど、とーっても優しいお母さん
」になっちゃうもんね♪
楽しくて優しくて幸せな色、どんどん重ねて素敵な記憶を残しましょう!
子供にも。自分にも♪
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・・・あ。
自分がお母さんであることにかまけて、自分のお母さんに感謝を渡してない!!
きゃー
不義理な娘を許してね。
遅ればせながら・・・いつもありがとうね^^
今度、楽しく幸せだった母の日の想い出、聞かせてね
母であるわたくしカリスマお母さん。
娘たちとフェラーリお父さんから、うれしいカードをもらいました^^
母の日って、感謝の気持ちを受け渡しできる、素敵な日(*^.^*)
・・・
そういえば、私が小さい子供だったころ、母の日に何をあげていたかなぁ。
「肩たたき券」とか、作った記憶もあるけれども、それを使ってもらって肩をたたいた記憶って??
うーむ。思い出せない。。。
・・・小さい頃の楽しい記憶って、残ってなかったりするんですよね。
・・・ついでに言うと、3人姉妹の真ん中の私は、写真もあんまりない・・・(-_-;)
だからって、楽しい出来事がなかったハズはない!
甘えたり、触れあったり、きっとたくさんあったハズなんだけど・・・。
それでいて、怒られた記憶とか、冷たくされた記憶とかは鮮明に(笑)。
・・・この記憶ってもんが怪しいんですよね。
+++++++++++++++++++
事実と記憶は異なる。
記憶は、それを思い出すたびにさらに想いの分だけ輪郭を太く強くして上書きされていくのです。
楽しい記憶はより楽しく、悲しい記憶はより悲しく。。。
想い出した数だけ、自分の想いに従って、より輪郭が鮮明に。
+++++++++++++++++++
記憶に残ってるハズがない小さな頃のこと、何故か覚えてることってないですか?
まわりから「こんなことあったよ~」「こんなだったのよ~」と聞かされたこと。
それが片隅の記憶に上書きされて、実感として残ってたりして。
・・・
真がハイハイを始めたころ、胸を打ちつけて「うーっ!うーっ!」と唸りながら進む様子がとても可笑しくて可愛くて・・・。
「真がえる」と命名して、ビデオにとったり写真に撮ったり・・。
その時の様子を話して聞かせてあげたら、真も珠も大喜び。
「お姉ちゃん、こうやって、ハイハイがカエルだったんだよねー」と珠が真似してそこらじゅう「うーっ!うーっ!」と這いつくばったりして。。
大変だった、オムツのお取り換え。
新生児のころは、ウンチがオムツからはみでて、背中の方まで・・・「きゃーっ、背中洗わなきゃ・・・洋服変えなきゃ・・・泣」
動き回れるようになると、お取り換えの途中でコロンと寝返られたり脱走されたり!
もう「きゃーっ、ウンチ待って~」て感じ。
これも、当時はほんっと!!大変だったけど、楽しい奮闘記として子供たちに話して聞かせてあげると・・・
早速、「ねぇねぇ、お取り換えごっこしよーっ!!」と、寝っ転がって、「早くお取り換えして~~♪」
「じゃあ、お取り換えしましょーね♪よしよし・・・」
「背中までウンチいっちゃった??」なんて確認があったり(笑)
足を持っておしりをふく真似をしようとすると・・・もちろん、はいはいで脱走を始めます(笑)。
「待て待て~」と取り押さえて、両足で両手をおさえて(笑)、お尻をふきふき(の真似)。
最後は両足を持って、「はい1・2、1・2…」と足の運動。。。
赤ちゃんの頃こんな風に両親は暖かく見守ってくれていた・・・と「真がえる」やら「お取り換え」から暖かい記憶として残ってくれると思ってます。
こんな感じで、色々な事実に新しい記憶として暖かい色を重ねてあげることってできるのです。
暖かい色を何度も何度も重ねてあげることで、実感として暖かい記憶として鮮明に残ると思うのです。
多分、同じ「お取り換え」でも、こんなに大変でしんどくって、もう子供なんていらない・・・って色をのせることもできると思います。
子供の記憶も、自分の記憶も。
一つの事実に、楽しかった想いと苦しかった想いがあったとする。
楽しかった方をクローズアップしていくと、「楽しい」>「苦しい」
どんどん輪郭を太く強くしていくと・・・
「苦しいこともあったけど、でもとても楽しい良い思い出♪」に。
もっともっと「楽しい」をクローズアップしていくと・・・苦しい思いは楽しい想いに乗っ取られます(笑)
さらに、記憶の上書き!
ひとつの事実に苦しい想いしかなかったとする。
(とはいっても、もしかして自分で「苦しい」を既に何度も何度も上書きして、「すっごく苦しい」になっているのかも・・)
それを、自分の思い通りの楽しい想いをのせてしまう!
何度も何度も。
・・・そうすると、苦しい想いから、解放されていきます。
一つの事実に対して、想いは千差万別。記憶も千差万別。
例えば、母の日。
プレゼントに「カーネーション一本」もらったとする。
自分一人だって、その時の状況、もらった時の感情、それによって、うれしかったり、がっかりしたり、いろんな想いが湧いてくると思う。
事実は一つだけど、その事実に対する想いはいろいろ。そして残る記憶もいろいろ。
なら、楽しい良い記憶、良い思い出として、残しませんか?
だって、どうせ自分しかわからない、自分の頭の中のことだもの。
苦しい・辛い想いに「苦しい・辛い」を上書きすることなく、その想いから解放されて、楽しい幸せな記憶に塗り替えましょ♪
「苦しく辛いことを頑張った偉い私!」に関しては、どうぞ「苦しく辛い」を上書きしてくださいね♪
だって、「苦しく辛い」を上書きすればするほど「それを克服して頑張った偉い私!!」なんだもの^^
記憶が事実とは限らない。
記憶は、事実に自分の感情をのせたもの。
記憶の上書きの簡単なものを一つ紹介。
苦しい思いを書き出して・・・「ま、いっか!おかげで・・・」と続けてみる。
発想の転換、簡単にできますよ(^_-)-☆

ふと思い出しました。
母の日に書いた作文だったかな。
お題は「わたしのお母さん」
書き出しが・・・
わたしのお母さんは、やさしいけど本当はとてもこわいです。
・・・これを母に見せたらね・・・
「こわいけど本当は優しいでしょっっ

と怒られました。
私は心の中で、「ほらっやっぱりこわいじゃない・・・」と思ったものです(笑)。
さっき、寝かしつけがてら、真に
「お母さんって、やさしいけどこわい?こわいけどやさしい?」
と聞いてみました。
「んん??えーっとね、どっちも♪」だそうで。おいおい(笑)。
作文で思い出しました。
「わたしは、豚肉が大好きです。特にあぶらがだいすきです。」
お題はなんだったかなぁ。
体重なんか気にしている頃に、小学生の頃書いたこの作文を見つけ、ぶっとんだものです。
今真珠たち、「ぷにゅぷにゅ」なんて言って先を争って豚の脂身を食べています。
ふふふ。わたしのお腹を「ぷにゅぷにゅ」なんて言って、触って、笑っている娘たちよ!
君たちもこうなるのだよ^^
時代は繰り返される・・・
でも!繰り返さないこともできるのです。
私ったら、小さい時の記憶、どんどん植え付けちゃうもんね^^
「こわいけど、とーっても優しいお母さん

楽しくて優しくて幸せな色、どんどん重ねて素敵な記憶を残しましょう!
子供にも。自分にも♪
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・・・あ。
自分がお母さんであることにかまけて、自分のお母さんに感謝を渡してない!!
きゃー

遅ればせながら・・・いつもありがとうね^^
今度、楽しく幸せだった母の日の想い出、聞かせてね
