本日のcoffee breakの巻。恋愛観編。 | mimi、39、一児の母。大腸癌、 ステージ4、末期と診断されました。

mimi、39、一児の母。大腸癌、 ステージ4、末期と診断されました。

大腸癌、肝臓、子宮転移。リンパ、胸、肺、すい臓に腫瘍、及び影あり。余命宣告、1ヶ月。持って1年。
そんな数を持っている私です。
統計や傾向に挑戦中です。まだまだ死ぬ気はありません。

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本日からクリスチャンにおける結婚生活の在り方、恋愛の在り方、を紹介していきたいと思います。おねがい


神様からのメッセージはクリスチャンの方もそうでない方にもきっと新鮮な視点を授けてくださると信じています。キラキラお願いキラキラ


愛を理解出来ていない方、愛に不安な方、

共に模索していきましょう。

無償の愛、自己犠牲の愛を深く知りたい方。

共に知恵を授けて下さいと祈りましょう。


愛、尊敬、慈しみ、寛大、誠実⋯我々クリスチャンの結婚生活を支える『基盤』は思いやりです。


お互いが上記の感情を忘れそうになると我々は(思いやりを持って)忠告し合います。


また、こころが荒れている時、はどちらかが席を外して自身で感情を節制し、平和を歓迎する準備をします。

お互いのこころが平和なとき、我々は争いを起こしません。


では、本日もこころ穏やかに神様からのメッセージを解読していきましょう。

下記、マークジェスキ牧師、著者、『いつまでも幸せに』、の祈りの手引書を紹介していきます。

はじめに

おとぎ話はよく「こうして二人は、いつまでも幸せに暮らしました」という言葉で終わります。もちろん現実の世界の結婚は、こんなに単純な終わり方をしません。それではなぜ、シンデレラや白雪姫などのお話の最後のセリフは強い印象を残すのでしょうか。こうした物語は、ディズニーが長編アニメ化する何世紀も前から語られてきたのです。

こうした物語が長い間語られてきたのは、人々の大きな共感を呼んでいるからだと思います。私たちは、主人公の幸福で謙虚なに魅力を感じます。主人公が誰かにいじめられると、苦しい思いを一緒に味わいます。苦しい境遇の中で一生懸命もがいている主人公を見ると応援したくなります。そして最後に真実の愛を勝ち取ると、私たちも幸せな気分になるのです。

誰かと交際を始めたばかりの時に、辛い別れを想像する人はいません。長い泥沼の離婚劇を想像しながら結婚する人もいません。誰もが、「いつまでも幸せに暮らす」ことを夢見ています。

しかし、私たちは罪深い、壊れた世界に住んでいます。その中では色々なことが起こります。神はそんな中でも私たちを愛し、私たちが苦しむ時、共に悲しんでくださいます。みことばの中で、神は傷ついた心に慰めを与え、難しい決断を下す時によい導きを与え、結婚を考えている人たちに美しいお手本を与えてくださっています。

結婚、という冒険の旅に出発する準備はできましたか。さあ、これから一緒に出かけましょう。
独身の時
独身生活を愛しましょう

結婚についての話しの初めに、独身の良さを強調するのはおかしいと思われるかもしれません。しかしここで私が言いたいのは、一人の人間としての自分を好きだと思い、受け入れられなければ、幸せな結婚生活を送ることはできない、ということです。

聖パウロは次のように書きました。「さて、あなたがたの手紙に書いてあったことについてですが、男が女に触れないのは良いことです」(コリント人への手紙7章1節)。「私の願うところは、すべての人が私のよう[つまり独身]であることです。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります」(コリント人への手紙 第一 7章7節)。さて、これは一体どういう意味でしょうか。

まず初めに、これは神があなたを一人の人間として創造されたということを意味しています。神はあなた個人を神の家族に養子として迎え入れてくださり、あなたの全人格と個別の関係を築いてくださいました。

次に、独身の自分が悲惨な状態であっても、結婚さえすれば幸せになれると思い込むのは危険なことです。悲惨さは人に伝染します。あなたが独身の時に不安定で困った状態なら、結婚相手のエネルギーを絶えず消耗させる原因になってしまうのです。

悲惨さと同様、喜びも伝染します。満足感も同じです。自分が自分であることを喜びましょう。あなたは神によって形造られ、こよなく愛され、キリストによって救われ、永遠に生き続ける存在です。私たちは安定感と心の平安がある人と結婚した方がはるかに楽しい人生を送ることができます。

独身の時
自立を大切にしましょう

結婚とは真剣なパートナーシップです。一度結婚すれば、何をするにしても自分のパートナーと足並みを揃えなくてはなりません。例えば、お金は自分だけのものにはなりません。自分の休暇も一人だけのものでなく、二人のものになります。二人の時間、二人の住居、二人の車、二人のテレビ、二人のキッチンなど、多くのものを相手と共有することになるのです。

是非、結婚する前に「自由をあきらめる準備はできているだろうか」と自分の心に聞いてみてください。

生涯独身を貫いた聖パウロは、独身生活には良い点がたくさんある、と言いました。「あなたがたが思い煩わないことを私は望んでいます。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります」(コリント人への手紙 第一 7章32節)。

パウロが指摘する独身の二番目の利点に気がつきましたか。独身であれば、配偶者や親であるよりも、多くの時間を神に捧げることができるという点です。さらに、単独で判断を下すことができ、より旅する機会が多くなり、より大きなリスクを背負うことができます。歴史に名を残した偉大なクリスチャンの宣教師や教育者の中には、主によりよく仕えることができるよう、独身の人生を選んだ人物が何人も存在します。

こうした人たちも、素晴らしい人生を生きたのです。

独身の時
姦淫の誘惑から逃げましょう

この21世紀において、独身の人たちの禁欲を説こうとするのは意味がないように思われるかもしれません。これはわざわざ負け戦を挑むようなものです。それでも私は言いたいと思います。神の道を選び直すのに遅すぎるということはありません。たった一つの心が変えられ、たった一人の人生が祝福されるのなら、それを言う価値があるのです。

全ての社会において、結婚外の性行為がどんなに黙認され、おし進められているとしても、その行為に社会的あるいは個人的な代償が伴う事は広く知られています。望まない妊娠や性病の感染などはその代償のほんの一部です。神ご自身がその代価をご存知です。神こそが、人間の性のための特別な場として、結婚を制定された方ご自身なのですから。

使徒パウロは、神に導かれて次のように書き記しました。「不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです」(コリント人への手紙 第一 6章18節)。

この世界に、神のみことばより信頼できるものがあるでしょうか。神はご自身の御子を、全人類の罪を取り除くための生贄の子羊として、この世につかわしてくださった方です。そんな方が私たちに害になることをおっしゃるでしょうか。神が禁じておられる事は、すべて破壊的で痛みを伴うものばかりです。善でいらっしゃる神の定めた戒めは、結婚や私たちの肉体など、私たちにとって大切なものを守ります。

交際している時
惹かれ合う気持ちを楽しみましょう

アメリカで「シェーカー教団」という一風変わった宗派を始めたマザー・アン・リーは、性欲が腐敗をもたらすことをひどく恐れていました。彼女は教団内の男女をなるべく分離させるようにしていました。交際や結婚は禁じられていました。

教会が何世紀もの間、結婚や家庭生活よりも修道院での生活の方が、より優れた聖なるものだとしてきた理由のひとつは、脳の働きを不安定にさせる性の力への恐れだったのかもしれません。

神の目からご覧になれば、そもそも人間の性は全然汚らわしいものではありません。神は、私たちが性を楽しむようにと創造されました。聖書の中の雅歌は、ロマンチックな歌劇の歌詞になっています。残念ながら、その音楽は保存されませんでしたが、人間の感情的そして肉体的な愛に対する憧れや恍惚感について書かれています。

この詩の中では、男女の愛の歓びについてこう表現されています。「あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。あなたの愛はぶどう酒よりも快く」(雅歌 1章2節)。

男女が互いに心と体で惹かれ合うことは神からの贈り物です。それを楽しみましょう。
交際している時
自分勝手に行動してはいけません

キリストは私たちのために十字架の上で崇高な勝利を勝ち取ってくださいました。それは罪によって引き起こされる罪悪感、死、そして地獄での苦しみという悪夢から私たちを救うためだけではなく、私たちが勝手にさまようことがないようにするためでもありました。神は私たちをご自身のものにするために、私たちを自由にしてくださったのです。

神はご自身のかたちに私たちを造り変えることだけを望んでおられます。つまり私たちが聖なる思いを持ち、神と隣人を愛し、神の偉大なご計画のために仕えることに喜びを見出すようになることです。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい」(コリント人への手紙 第一 6章19, 20節)

クリスチャンの両親が、思春期の息子や娘がデートをするときにアドバイスをするとしたら、自分が何者なのかをいつも覚えておくように、ということに尽きます。人は誰にも関わらない、完全に独立した存在ではないのです。つまり、家族の一員である以上節度ある行動が求められること、そして私たちが生きるために死んでくださった救い主に愛されている存在だということです。

コリント人への第一の手紙  7:1ー17

さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、男子は婦人にふれないがよい。 
しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。 
夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。 妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。
夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。 
互に拒んではいけない。
ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、それからまた一緒になることは、さしつかえない。
そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない。 以上のことは、譲歩のつもりで言うのであって、命令するのではない。
 わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人はこうしており、他の人はそうしている。 
次に、未婚者たちとやもめたちとに言うが、わたしのように、ひとりでおれば、それがいちばんよい。
 しかし、もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、よいからである。 
更に、結婚している者たちに命じる。命じるのは、わたしではなく主であるが、妻は夫から別れてはいけない。 (しかし、万一別れているなら、結婚しないでいるか、それとも夫と和解するかしなさい)。また夫も妻と離婚してはならない。 
そのほかの人々に言う。これを言うのは、主ではなく、わたしである。ある兄弟に不信者の妻があり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。 
また、ある婦人の夫が不信者であり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。 
なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によってきよめられているからである。
もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、実際はきよいではないか。
 しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、束縛されてはいない。
神は、あなたがたを平和に暮させるために、召されたのである。 なぜなら、妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。
また、夫よ、あなたも妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか。 ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、歩むべきである。これが、すべての教会に対してわたしの命じるところである。

コリント人への第一の手紙 
7:1‭-‬17 口語訳