お元気ですか?
わたし、まあまあヨ!
放射線治療後、完全に身体が軽くなった、という状態にはならないものの、こころは踏ん張れています。
まだわからぬ治療経過。
日々を紡ぐ、繋いでいく⋯わたしのこころの状態は大海に浮かぶ小さなヨットのようです。
Be still.
頼もしくは見えません。
現状を受け入れ、ゆらゆら、ゆらゆら、流していきます。
そんな毎日。
痛みが押し寄せると弱くなる。
穏やかな流れの時ははしゃぎたくなる。
わかりやすいネ。
受け入れた痛みは数えたことはないから、わかりかねます。(当たり前だ)
いかほどになるのでしょうね。
人生を振り返ると、いつもの答えに落ち着きます。
色々あるけれど、何だかんだ乗り越えてやってきたな、乗り越えられた先はやっぱり成長というギフトが用意されていたな、と。
えっちらおっちら流れて着たら、カリフォルニアにたどりつきましたよって、ネ。
痛みの経験数が痛みに対応できる適応力を成長させてくれたかな⋯。
process(過程)をdepression(鬱状態)なしで闘う事ができたのも近くに居て支えてくださった神様と聖句のお陰です。まだ終わりじゃないけれど(笑)
甥っ子が早朝からお見舞いに来てくれました。
実は朝からとても嬉しいニュースがありました。
我々、夫婦が応援していたカップルが復縁する事になりそうです。まだ、なりそう、ではあるけれど、大きな一歩を踏み出せたことは確かです。
彼らのジャー二ーは始まったばかり。
しかしながら、希望に満ち満ちた始まりでした。
奥様のPは60歳。
旦那さんのH、65歳とは彼女が20歳の時に結ばれました。ふたりの間には娘ひとり、息子ひとりが居ます。子供たちは既に家庭を持っており、自立した大人に育ちました。
何の問題もない様に見えた家族。
しかしながら、三年ほど前から夫H氏の態度が急変。
仕事と言っては遅くに帰る毎日。時には外泊もありました。
詰め寄れば話し合いにならない程に怒るH氏。
二人の間には確実に亀裂が入り出しました。
彼女は彼を愛しておりましたが彼には秘密がありました。
彼女は苦悩の中に居ました。
わたしはPの話し合い手でした。
話し合い手というより、徹底的な聴き役でした。あの頃のPは荒んでいました。
無理も無いと思います。
わたしも全く同様の経験をした身。
気持ちがわかります。
Pに必要なのはアドバイスでは無く、感情を撒き散らすことが出来る場、でした。
安心して何でも話せる場所。
Pは傷ついていました。
愛する夫が自分から離れていく。Pが一番よく知っていました。
彼女には癒やしが必要でした。『愛』、が必要でした。
そう、愛、とは。
Pの想いに寄り添い、ジャッジメント(判断)をしない。夫H氏についても公平な視線で見ること。相談役になるという事はわたしの魂をも成長させてくれます。
わたしは聖句を用いて、Pを励まし、祈りで平安を得る経験をシェアしていきました。
手を取り、抱きしめ合いました。
Pと共に苦しみの中にいるH氏の為に祈りました。
秘密を持つという事は幸せな事ではありません。H氏は、好き勝手をしているように見えてもこころは空虚であったことでしょう。
Pは悲しみと怒りの毎日からすこしづつ脱却しているように見えました。
しかし事件は半年前に起きました。
H氏、蒸発。
連絡を完全に断ち、家族を捨てたように見えました。
奥様のPは鬱状態になりました。
今まで全ての家の事を夫に任せており、チェック(銀行から発行される小切手)の書き方も知らなかった彼女。家の支払いや諸々のこと、Pはパニックに陥りました。
Pは夫を失い、路頭に迷いました。
生活していく知恵も助けもありません。
我々、夫婦は彼女とより一層、深い関係を結んでいきます。彼女はわたしにどうしたら神様の助けを得られるのかを訊いてくれました。
わたしは聖書を学び、毎日、祈りを捧げましょう、と伝えました。
H氏の為に。Pのこころの平安の為に。
Pを怒りと憎しみから解放する為に。
彼女にはそれまで祈りという習慣がありませんでした。人の為に祈る、ましてや憎しみがあるH氏に対してなんて⋯。
Pは当初、困惑していました。
しかしながら、Pは変わりました。
神様のちから、が彼女を変えました。
彼女は完全なるsurrender(自分の罪を神様に告白し悔い改めると決意した者のこと)になりました。
H氏、半年ぶりに帰宅。全てを謝罪し、やり直したい、とPに懇願しました。
Pは彼を受け入れました。
言いたいことは山程あったでしょう。半年間、自分がどんな気持ちで過ごしてきたか、彼女にはH氏を責めたい理由が沢山ありました。
しかし、彼女は抑えました。
H氏と暮らしていた時には出来なかった感情の節制、です。
わたしは彼女を祝福しました。
厳しいです。
どうなるかは、誰にもわかりません。
実にチャレンジングです。
H氏は、完全に悔い改めねばなりません。過ちを反省するだけでは無く、行い、でPに愛を示さねばPを癒やすことは困難です。
彼の『誠実さ』、を表す機会をPから頂いたのだから、H氏も真剣にならねばならない。
そして、Pはこれからも、道を外さぬよう神様と共に学びを続けねばなりません。
信仰とは強制ではありません。
自らが神様に近づきたい、神様を知りたい、神様が見る視点で物事を見たいと望み、実行しない限り、信仰心は成長しません。
Pは夫の蒸発を経験した事で社会的に成長しました。仕事を増やし、家賃の支払いを初めて自分で賄いました。
チェックの書き方もATMの使い方も今はひとりで出来ます。
また、子供たちとの絆を深める機会を得ました。
それはPを大変、励ましました。まさに『ギフト』と言わんばかりの出来事。
Pの子供たちはH氏の蒸発後、毎日のようにP宅を訪れました。
息子のAはシャイな青年ですが、H氏が蒸発後、頻繁に『愛してるよ、ママ』と伝えてくれるようになりました。ふたりの距離がぐっと近くなったと言います。
娘のJは出産後、パラリーガルの資格を取るために学校に通い始めました。
Pの生活を少しでも楽にしたいから。Jは伝えてくれました。
彼女は悲しみの中で恵みを見ることが出来ました。今朝、彼女は感謝の気持ちと喜びを涙で語ってくれました。
それは彼女がいかに神様に励まされ、この半年間を過ごせてきたか、というもの。
神様が教えてくれた、たくさんの気付き、成長、愛、赦すという解放感。
愛されていること。周りには助けを求めれば手を差し伸べてくれる人がいること。
苦難の中にいる時は見えにくい。しかし、一旦離れてみれば神様のご計画を見ることが出来ます。
Pは聖句から怒りのコントロールの仕方を学んだ、と伝えてくれました。
イライラしたり、こころが不安定になった時は聖書を開く、という新しい習慣を身につけました。彼女の魂を成長することに成功しました。
わたしは幾度となく彼女と抱き合いました。
わたしは伝えました。
It was sad,but it was not BAD at all !
それは悲しかったけれど、悪くはなかったよね、全く!ってね。
今日もまだまだ始まったばかり。
Let's make best of our day