癌になった理由? Part6 | mimi、39、一児の母。大腸癌、 ステージ4、末期と診断されました。

mimi、39、一児の母。大腸癌、 ステージ4、末期と診断されました。

大腸癌、肝臓、子宮転移。リンパ、胸、肺、すい臓に腫瘍、及び影あり。余命宣告、1ヶ月。持って1年。
そんな数を持っている私です。
統計や傾向に挑戦中です。まだまだ死ぬ気はありません。


精密検査の結果は10日程、待たなくてはいけませんでした。こころは震えていました。いい結果を祈ってはいる。だけど身体が感じるサインは日に日に無視し難いものに変わってきておりました。
パ―トナーと気持ちの温度差が生じてきました。
『きみはエクササイズが大好きだし、野菜だって大好きだし、僕よりも健康体だよ』
大きなお腹を見せても『大したことないよ』『絶対に癌じゃない』
彼はわたしを元気づけようとしていていたんだと思います。
彼の優しさを嬉しく思う反面、このままで良いわけはない、今から変わらないとダメだ。生活を変えないとわたしは死ぬ、と強く思うようになりました。

わたしは癌について勉強をし始めます。
素人の独学です。インターネットを使うのが最も簡単でした。
癌患者さんのブログを拝読しました。癌という病がひとの人生を変え、周囲をも巻き込む病なんだと実感しました。
そしてわたしはたくさんの情報にすこし、戸惑いました。

余命宣告。5年生存率。数、統計学、傾向。
癌患者さんのブログの更新が途絶え、家族の方が代筆をしてブログにピリオドが打たれる。涙が止まらない事実でした。
ただ、わたしは発見します。余命宣告を覆しているひとがいる。まだ、Hopeがある。やれることがある。わたしも余命宣告を覆しているグループに入りたい!
うん、入る!

『あなたは1ヶ月後に死にます』。
癌の統計学からわたしにも数が与えられるのは時間の問題でした。
この時、すでに異質な大きさにまで増大した腫瘍により、腹部は妊婦のように膨れ上がっていました。(実際に医師にも驚愕されるほど、ひどい膨張率でした)
心臓に浮腫がみられ、呼吸も難しい。呼吸が出来なければ、必然的に死にます。死。死ぬ、ということ。

『数が与えられる宿命』をわたしはひしひしと感じておりました。重苦しくて悲しくて悔しい気持ち。真っ暗闇のどん底に落下した気分。まだ感じない壮絶であろう痛みや苦しみを恐れる気持ち。明日を恐れてしまう、いま。

しかし、気持ちは少しづつ前を向こうと立ち上がり始めていました。
彼の笑顔。娘の笑顔。家族がモチベーションになりました。
これから聞くかもしれない、おどろおどろしい宣告に立ち向かってみせるぞ。わたしは、微力ながらこころの準備を整え始めていきました。
焦る気持ちをうまくコントロールしながら生活をしておりました。(実際にはうまくなんて出来ませんでした。毎日、折れそうになるこころをどうにか折れないようにしていただけだったと思います。わたしは強くなんてありません。むしろ、弱い人間です。強くなってきている、と今は自負しますてへぺろ癌がわたしに、強くするきっかけを作ってくれたんだと思います)

今の状態から考えられるわたしの症状の悪化や必要なものを箇条書きにリストアップしていきました。
この時点では自身では運転不可能。運転中に意識が飛ぶ恐れがあり。自宅での移動はオフィスチェアーと杖。歩行困難でした。

⚫車椅子が必要になる可能性。
⚫腕力の低下と倦怠感のため、娘を抱けない。保育園の送り迎えが難しい。と、なると全ての子育て業務にサポートが必要。
⚫キッチンに立つのが難しい。
⚫前述どおり、わたしの家族はみな日本におります。彼の家族からの肉体労働的サポートはこの時点ではほとんど考えられませんでした。悲しい理由から、彼は生まれた時点で親族とは絶縁状態でした。
働かなくてはいけないパ―トナ―と動きたい盛りの娘、2歳児。
住み込みのヘルパーさんが必要。と、なると高額な闘病生活の始まり。
ファイナンスの見直し……etc ... 

いちばんの心掛かりは家族でした。パートナーと娘。日本の家族。
あなたと同じです。わたしも家族を想って申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

麻央さんが以前、ブログでお話されたようにわたしも自分を責めました。
癌になってしまってごめんなさい。癌になってしまった妻でごめんなさい。癌になったママでごめんなさい。


ごめんねごめんね、ごめんね。